セーフティー・はーと

セーフティー・はーと

第91号 モスクワの大規模停電について思うこと

今泉博之 <独立行政法人 産業技術総合研究所>
都市が大規模災害に見舞われたら・・・。“現代社会の脆弱性”が叫ばれて久しいが,それを如実に示す出来事がモスクワで発生した。
現地時間5月25日昼前,モスクワ市内の南部及びその周辺の州を含めた広域で,大規模な停電が発生した。報道によると,停電の原因は設置後40年程度が経過し老朽化した変電所で発生した火災であり,急増する電力需要に変電設備が対応し切れなかったことが背景にあるという(別の要因も報道されているようであるが)。モスクワでは,地下鉄,トロリーバス,郊外電車などの交通機関がストップ,水道が止まったり,電話がかからなくなったりするなど,1000万人以上の生活に影響を及ぼした。停電からの復旧には2日程度を要した模様で,その影響は市民生活に止まらず経済活動にも波及した。

我々の日常生活を振り返ると,電気は生活を支える最も重要なエネルギーの形であり,近年その重要度は増大する傾向にあると思われる。“オール電化の家”というTVコマーシャルが頻繁に流れるご時世である。日本では“空気や水はただ”という意識が強いということを度々耳にする。電気をただとは言わないが,意識の中ではそれに近い存在になりつつあるように思われる。つまり,コンセントにプラグを差し込むと電気が供給されることを当たり前と思っている節はないだろうか。社会生活の利便性が非常に高くなっている今日,大部分のものが簡単に手に入るという意識が知らぬうちに根付いてしまったのかも知れない。まさに,突発的な災害の餌食ではないだろうか。

災害はいつ発生するか分からない。そのため,規模の大小を問わず,被害を最小限に止めるためのバックアップ体制が重要となる。“公”は被害の想定(シナリオ)を行い,対策(備え)を検討する。その際,どの程度の被害を想定するかが難しい。過大な想定はそれに要する経費が莫大となり実現性に欠ける。過小な想定では心許ない。想定外のことも度々起こりえるであろう。やはり“公”で対応できる範囲は自ずと限界があり,“私(個人)”の対応が欠かせない。

恥ずかしながら,筆者の災害に対する備えは危うい。先日発生した福岡西方沖地震の直後,親族が住む福岡市内へ電話連絡がつかず右往左往した。この類の報道は再三耳にしているにも係らず,自身に問題が降りかからないと,どうしても真剣に考えられない。反省しきりである。個の意識を高め,社会全体の災害に対する備えを底上げできるような妙案はないものであろうか。

現代社会の“安全・安心”は,それを構成する多種多様な要素が複雑に絡み合う上に微妙なバランスを保って構築されている。昨今,社会の“安全・安心”が激しく揺らいでいる。今回のモスクワでの停電は,日本と状況は異なるものの,改めて安全・安心の確保の難しさを突きつけた出来事と言えるのではないだろうか。日本では“災害に強い社会の構築”が提唱されている。その鍵の一つは個の意識ではないだろうか。

第90号 自然災害と危機管理

安田憲二 <岡山大学>
昨年から今年の初めにかけて,台風や地震などの自然災害が荒れ狂いました。人為的な災害と異なり,自然災害を無くすことはできませんが,災害が生じた後の危機管理の重要性は人為的な災害と同じです。
これは,人命救助の世界だけではなく,廃棄物の処理・処分に関しても同じです。災害の際には大量の廃棄物が生じますし,日本の気候風土からすると,衛生上の問題から迅速にこれら廃棄物を処理する必要があります。

これまで,自然災害に対する廃棄物関連の危機管理としては,地震を想定したものが多く,私の前職場である神奈川県でも市町村の間で地震災害に対応した廃棄物のマニュアルが作成されていました。10年前の1月17日に発生した阪神・淡路大震災において廃棄物処理が比較的順調に行われたのは,これらの経験が生かされたことも一助になったのではないでしょうか。

同じ自然災害でも,台風では被害の内容が地震と大きく異なります。台風が原因となって廃棄物処理に深刻な影響を与えたのは,2000年に東海地方をおそった台風14・15・17号による大雨でした。特に名古屋市は日降水量428mmの記録的な豪雨で,通過後に水をかぶった大量の廃棄物が残されました。それまで水害を想定した危機管理は行われていませんでしたので,焼却もままならない廃棄物が長期間放置され,社会問題にもなりました。名古屋市と同じことが,私が現在住んでいる岡山県でも起きました。岡山県は「晴れの国」として良く知られていますが,昨年は観測史上最多の台風が上陸しました。岡山県は瀬戸内海に面しているため,海水面が高く,高潮で簡単に海水が冠水してしまいます。この場合の被害も名古屋市と同様に水をかぶった大量の廃棄物が残されました。残念ながら,このときは名古屋市の経験が十分に生かされなかったようです。今年も台風の上陸は避けられそうにありません。私も微力ながら,水害による危機管理に向けて役に立てればと思っています。

第89号 そして「変更管理」の問題による事故は繰り返される

渕野哲郎 <東京工業大学所> 2005年5月16日掲載
大惨事となったJR西日本福知山線での脱線事故に関して,信じられない「新事実」が,事故後一ヶ月近くたつ今も,頻繁に報道されています。
運転手の異常な行動や,組織風土の問題はさておき,「過密スケジュールでの遅れを取り戻すために,日常的に行われていた速度オーバー」,「物理的な路線と運行計画間の整合性を無視して,現場の都合で勝手に変更された運行方法」・・・何処かで聞いたことのある話しではありませんか?そうです,JCOの臨界事故です。「プロセス,操作手順,現象の間の整合性を無視して,時間短縮のためにプロセスおよび操作手順を,現場で勝手に変更したがゆえに起きた事故」・・・,「変更管理」の問題による惨事と言っても過言ではありません。では現場では不整合を認識していたのでしょうか?一字一句は覚えていませんが,JR西日本の技術責任者が「物理的なカーブの設計スピードは,現在調査中です。」と答えていたと記憶しています。えっ?そんなこと,この情報化社会で調査することか?「何時迄,ローテクとするのか,安全管理」字余り。

第88号 大規模事故の続発に思う

藤田哲男 <東燃化学(株)>
一昨年,製造業等での大規模事故が続発したのに伴って,関係省庁を中心として種々の対策が講じられて来たことは,記憶に新しいと思いますが,この所,自然災害を含めて内外でまた大規模事故が後を絶たない状況にあるようです。
4月25日には,JR宝塚(福知山)線で電車脱線事故が発生し,多くの死傷者が出ましたことは誠に痛ましいことです。実は,私は今回のセーフティー・はーとの執筆に当って,同業に近い石油精製分野で,3月23日に米国BP Texas City Refineryで発生した爆発火災事故に関連して,原因はまだ十分に解明されてはいないものの,事故は忘れかけている時に起り易いものだと言うこと,また原因は意外に単純で,且つ通常運転ではなく非定常作業の段階で起り得るものではないかと書いてみようと考えていた所でした。このJRの事故では,事故原因についてこれから詳細に調査が行われますので,予断は許さないものの,カーブでの減速という変更作業に対するリスクアセスメントの不備ないしは定時運行を優先するに安全に対する配慮が二の次になった可能性も考えられます。BPの事故の場合,定修後の変更管理に対するフォローアップシステムの問題ないしは手順の遵守のあり方に問題があるように見えますし,加えて死傷者を多く出した要因として仮設小屋の管理体制の問題も考えられます。何やら,まとまりのつかないことになりましたが,要するに,非定常作業に係るリスクアセスメントの徹底と変更管理の手順の明確化・遵守について周知することの必要性が改めて問い直されていると考えました。「安全第一」“Safety First”---極めて単純な表現ではありますが,意味の重い言葉だと改めて思い直している今日この頃です。

第87号 F君の思い出

西 茂太郎
33年前の冬,私は有為な後輩F君を事故で失いました。極く身近な同僚を失ったのは後にも先にも彼だけです。「今度の土曜,日曜は夜勤明けの連休ですので,故郷の宮崎からフィアンセが遊びに来ます。
西さんの家へ連れて行って良いですか」,「もちろん良いよ」という会話を交わしたあくる日の出来事でした。ある圧力機器が破裂し,爆風で飛ばされてしまったのでした。その圧力機器には安全設備がきちんと装備してありませんでした。この事故を教訓に徹底した事故原因の究明がなされ再発防止の対応が取られました。設計基準にまで反映されました。良く「今ある基準は尊い人命と引き替えに定められたものでゆめゆめおろそかにしてはならない」と言われます。まさにこのことを自ら体験している訳です。あの日,F君が病院へ運ばれていく途中で見た横たわった彼の姿が眼に焼きついています。打ち身で黒ずんだ大腿部が生々しく浮かんできます。このことを契機に安全について真剣に考えるようになりました。NHKの朝ドラ「わかば」を見るたびに思い出します。F君が良く唄っていた「峠越えれば霧島の山の青さが目にしみる・・・・・」の歌声と共に。「西さん,元気にやっていますか,ご安全に!!」彼の声が聞こえます。

第86号 疑問・質問事故事例

中村 順 <科学警察研究所>
先日,全国の県警において火災,爆発事故の現場調査を担当されている科学捜査研究所の技官の方々と事故事例について話し合う機会を持ちました。電気火災,化学火災,爆発事故など多くの事故事例について発表していただき大変参考になりました。
また,既に原因調査結果が報告されている過去の事例について,その事故時の周囲の状況や事故の背景などを教えていただき,そうしたこともあるのだと納得することが多くありました。私共は,事故現場調査に訪れても,時間も限られており,事故の直接的な原因に係わる部分に重きを置かざるを得ませんが,県警の方は,長期にわたって調査を担当されており,後になって判明する事実や,より細かく掘り下げた考察があり,改めて現場でじっくりと調査をされている方との連携が重要だと思いました。

そのなかで,出席者の方から事故原因がうまく究明できたものと,事故原因が特定できないか,あるいはよくわからず,疑問の残った事例,他の県で同様な事例がなかったか質問してみたい事例を分けて発表してはどうかとの意見がありました。さらに,疑問・質問のある事例は,あらかじめ出席者に,その疑問・質問に関する情報を流しておき,それを参加者間でディスカッションするといいのではないかということでした。

最近,失敗事例を生かそうということが言われていますが,事故原因調査に関しても原因究明の出来た成功事例ばかりでなく,疑問の残った事例や,他の人にきいてもらいたい質問事例も取り上げて検討するのも必要だと思いました。

次の会議では,参加者同士で疑問・質問事故事例について,同種事故の調査経験のある人の意見や,どういうことが考えられるか,何を現場で調べたらそれを明らかに出来るかなど大いに議論を深めたいと考えています。

第85号

高木伸夫 <システム安全研究所>
1:29:300というハインリッヒの法則が示すように,大きな事故の背景には300という小さなトラブルが発生しており,小さなトラブルを防止することが大きな事故の防止につながる。
安全工学協会では,石油産業安全基盤整備事業の一環として(財)石油産業活性化センターのもとで石油各社の委員の協力を得て製油所を対象としたヒヤリハット事例を活用するプロジェクトを進めている。なお,対象とするヒヤリハットは滑った・転んだといった行動災害に関するものでなく,危険物質の漏洩や火災・爆発,装置の破損につながる恐れのあるヒヤリハット(いわゆるプロセスヒヤリ)である。どのようなヒヤリハットがどのような装置で発生しているのか,発生要因は何か,何故ヒヤリハットでとどまり事故にまで進展しなかったのかなど,ヒヤリハットに関する情報の体系化をはかり,石油産業における安全基盤の強化に役立てようとするものである。平成16年度は予備調査を行なったが,今後,平成19年度までの3ヵ年で事例収集とヒヤリハット情報処理システムの構築を図る予定である。地道な作業であるがこのシステムが完成し事故の予防に役立てれば幸いであると思っている。

第84号 同じ様な事故を繰り返さないために

島田行恭 <産業安全研究所>
先日,ある工場の爆発事故調査に同行しました.1名死亡7名重軽傷という被災状況でした.現場に入ったのは事故発生の翌日でした.
現場に着く前に入手した情報からは様々な原因が予想され,調査の目的はその推測を確実にするための証拠探しであるかのようにも感じられました.当日は被災された方がまだ手当を受けていらっしゃるということで,事故当時どのような作業が行われていて,何がトリガー(引き金)となって爆発に至ったかは明らかにされませんでした.経験的判断からいくつかの事故シナリオも予想されていますが,今後,被災者の方が元気になられ,お話が聞けるようになれば,事故発生の真の原因が解明されることと思います.

ここ数年,安全技術情報の共有や技術伝承問題への取り組み,事故事例データベースの構築などに関する研究が盛んに行われるようになりました.安全工学協会でも昨年11月に情報安全研究委員会が設立され,(1)情報利用危険予知技術の確立,(2)熟練技術者の危険予知能力の収集と外部監視系への適用などをテーマとし,今後議論が進められていく予定です.今回の調査事故にも関連していますが,事故はちょっとしたミス(勘違い)や無知(知らなかった)から発生しています.「昨日までは何も問題なかったのに・・・」というような過信が事故に結び付いた例も数多くありますし,危険であることを知らなかったために予防することを考えていなかったという問題もあります.確かに事故は偶然が重なり合って初めて(ある意味,運が悪く)発生しますが,その偶然の確率を小さくするためには,決められたことだけを決められた通りに実行するのではなく,一つ一つの作業(行動)の理由(意味)を考え,Know-how(どうやるか)とKnow-why(なぜやるか)を理解した上で,確実に実行することが要求されます.あらかじめ予測できてしまうような過去に経験した同じ種類の事故を繰り返し発生させないためにも,安全に関する情報(知見と技術)や事故事例情報を共有し,事故発生の原因追及のためだけでなく再発防止にも役に立つような環境作りを考えていく必要があると思います.

第83号 仕組みと運用

小川輝繁 <横浜国立大学>
現在,我が国に事業所の安全対策をみると,重大な事故に発展する可能性のあるものについてはハード対策にコストをかけて,重大災害にならないようにする努力がなされている。
しかし,当然ながらハード対策だけでは事故防止を達成するのは現実的ではなく,ソフト対策を適切に組み合わせて安全対策を実施しているが,事故はなくならないので,各企業や事業所はソフト対策を如何に実施すべきかで腐心しておられるように見受けられる。

最近では,ISO取得や認定事業所のように,安全を担保するための仕組み作りが我が国にも定着しつつある。この仕組みはハード,ソフト両面から構築されるが,その運用が適切に行われないことによって事故が発生している。仕組みと運用については,そのバランス,整合性,持続性が重要である。立派な仕組みができると,それだけで安心して運用面に目が届かなかったり,せっかく立派な仕組みがあってもこれを運用する人が仕組みの本質や構造をよく理解しないために適切な運用ができなかったり,長い間に仕組みが変質することによって運用と整合性が悪くなったり,あるいは仕組みを運用する人の世代交代のときの伝承が悪いなどのために事故が発生している。

今後とも,安全の担保の仕組み作りが重要視されるようになると考えられるので,その運用面の配慮を怠らないようにすることが重要と考える。

第82号

飯塚義明 <㈱三菱化学科学技術研究センター フェロー>
阪神・淡路大震災からもうすぐ10年を経過しようとしている。高速道路,ビルの倒壊など近代都市部地震災害の衝撃的な様相をテレビ画面から見たのがほんの昨日のようである。   


5年前から娘夫婦が神戸に移り住み,これまで縁のなかった三宮市内や神戸埠頭に何度か足を運ぶ機会があった。テレビ画面で見た震災直後の惨状は,5年前には殆んど目にすることが無くなりつつあった。人工物の立ち上がりの早さに感心している。

昨年末起こった,新潟地震による山間部の崩壊,インドネシア・スマトラ島沖の巨大地震・津波は,多くの人命が失われた同時に,自然そのものが破壊されており,元へ戻すことは不可能なように思われ,心が痛む昨今である。

第81号 再び!ボパール事故を考える

若倉正英
1984年12月,インド中部の都市ボパールの化学工場から,猛毒のイソシアン酸メチルが漏れだした。その蒸気は工場周辺を一夜にして死の街へと変えてしまった。
2004年12月の同じ日にインドの工業都市カンプールで,このボパールの悲劇を記念し,安全を祈念する国際的な化学安全会議が開かれ,世界26カ国の安全専門家が,そして日本からも十数名が参加した。そこで知らされた事実は,我々の想像を超えるものであり,化学安全の重要性を強く認識させるものであった。

ボパールはインド最大の湖であるボパール湖を取り囲むように発展した,美しいモスクをもつ城壁都市であった。会議の後,この街を訪れた我々を案内したタクシードライバーが,湖畔の高台からボパールの美しい場所を次々と紹介した後で,事故現場付近を指差して「あのあたりはまだすごく危険で,自分も家族も絶対近づかない,その広さは街の1/3にもなるんだ」といって言葉は,化学事故がその処理を誤ると,市民の信頼を長期間喪失させるものだと感じさせたのだった。

そして,年末のスマトラ沖地震・津波で大きな被害を受けたインド・チェンナイには,ボパール事故を契機につくられた,インド唯一の化学プロセスの安全研究セクションがある。

昨年12月に我々が訪問し,これからの交流を約した人々の津波による安否はまだ確認されていない。

第80号

東京オリンピックイヤー生まれの 岡田 理 <三井化学分析センター>
初めて投稿させて頂きます。 
先日,ある安全工学関係の雑誌を見ていたら,「40年の節目を迎えて・・・」という記事が載っていました。 
その中には,40年前の新潟地震,酸化プロピレン製造設備の爆発,危険物の無許可貯蔵倉庫の爆発火災について書かれておりました。

技術は進歩しているものの,歴史は繰り返すのかとふと思います。 
東京オリンピックとアテネオリンピックの感動の歴史は何度繰り返しても良いのですが,事故災害の歴史は繰り返さない歯止めが必要です。

最近の事件,事故を自分なりに考えると,人に迷惑をかけるという意識がかけてきているのではないでしょうか? 
もしくはそのような余裕がなくなってきているのか? 
小生の子供のころ(それほど前ではないと本人は思っていますが)は,人に迷惑をかけないようにと教育された記憶があります。 
自分が取った行動がどれだけ周りの人に迷惑をかけるかという意識が薄れると衝動的に行動を起こしたり,自分が良ければ悪いことをしても平気になったりしてくるのではないでしょうか? 自分はかわいいですから(^_^) 
日本社会全体がそういう傾向になっているのでは? 
意識しすぎるのも問題ですが意識が薄れるのはもっと問題では?

第79号 継続することの大切さ

天野由夫 <出光興産 安全環境室>
継続している安全と言えば,全国安全週間があります。昭和3年に初めて実施されて以来「産業界における自主的な労働災害防止活動を推進するとともに,広く一般の安全意識の高揚と安全活動の定着を図ること」を目的に今日まで,一度も中断されることなく続けられてきています。
時代の変遷により中断した他の活動もありましたが,全国安全週間は安全への信念と熱意を持つ人々によって支えられてきました。このように安全の取組みは「継続」させる信念と熱意が大切であり,この「継続」が着実に成果を上げ,労働災害の減少に結びついてきました。

ある調査によると,最近発生している事故の大部分は人的要因であり,背景には,保安技術・技能の伝承・教育という,産業界における世代交代に係わる問題があると指摘されています。今までは防ぎ得た事故が起る,初歩的な問題が即事故に繋がるという事は,長い歴史を経て築き上げてきた安全を担保する機能が,世代交代や時代背景の中で揺らぎ,安全への信念と熱意も薄れてきたことを暗示しています。安全と危険の境界は単純には眼に見えないもので,信念を持って取組むことにより,初めて見えるようになり,そのレベルが評価,改善できるのではないかと思います。

安全の根幹は失敗から教訓を学び,教訓をしくみ化する等着実に実践継続して事故の芽を事前に摘み取ることにあります。常に安全の取組みが有効に機能,継続されているかを自問自答していく姿勢が大切と思います。

第78号 人材育成

安田憲二 <岡山大学大学院>
平成15年8月に三重県で起きたごみ固形燃料(RDF)貯留サイトでの爆発・火災により,消防士2名が死亡し,作業員5名が重軽傷を負った事故は記憶に新しい。
日本廃棄物処理施設技術管理者協議会による事故事例調査結果によると,平成8年から11年までの4年間に廃棄物処理施設で生じた事故数は700件を超えており,化学工場などでの事故発生頻度である10-4から10-5に比べて異常に多い。また,廃棄物処理施設は最近の事故率が特に著しいなど,由々しき状況になっている。

私は,10年ほど前に1名が死亡,2名が重軽傷を負った一般廃棄物焼却炉での爆発事故について原因調査を担当した。調査の過程で,過去に同じ施設で予兆となる類似の事故があったこと,新聞報道などでも他の施設における爆発事故が報じられていたにもかかわらず,施設を供給する側,管理する側の両方とも全く関心を持っていなかったことが明らかになった。このような状況は現在も変わっておらず,少なからず事故がなくならない原因にもなっていると思われる。

産業廃棄物では,収集・運搬や中間処理などを事業として始めるためには業の許可を取得する必要がある。許可を得る条件として必要な講習を受講し,試験に受かったことを証明する書類の添付が義務付けられている。しかし,受講は現場担当者ではなく経営者サイドに義務付けられており,これまで講習会で使用するテキストには事故防止に関する記述はほとんどなかった。このため,廃棄物関係では事故防止にほとんど関心を持たず,知識の蓄積も図られてこなかった。

化学工場などでは,早くから事故防止に向けて担当部署を設置し,専門家の育成を図ってきた。その結果,事故の発生頻度はきわめて少なくなった。廃棄物関係においても,最近の事故の頻発に鑑み,早急に安全を担当する部署の設置と,必要な人材の育成に向けた取り組みを始めるべきではないか。さらに,廃棄物の業の許可を得る条件として,事故防止を担当する専門職の常駐を義務付けるのも,事故防止に有効であると思う。一考を要するのではないか。

第77号

西 晴樹 <独立行政法人 消防研究所>
平成15年度から平成16年度にかけては,火災原因調査や事故調査などで災害現場や事故現場となった事業所に出かけることが多々あった。
それらの事業所では,消防法上の危険物(例えば,ガソリンや原油)や高圧ガスなどを使用し,それぞれの事業活動を行っており,一旦災害となれば,失われる生命や財産は多大なものとなりうる。

ここで,火災や事故に至る原因はそれぞれであるが,一旦事故という非常事態に遭遇した場合,対処方針の策定までの遅れや実施に際しての躊躇が出てくることが多いように見受けられる。こうした災害時の対応としては,各法令に基づいた訓練や,自主的な訓練が 行われているものと聞いており,訓練においては十分な手応えを得ているものと推測している。それにも拘わらず,実際の災害においては遅れや躊躇が出てくるのはなぜなのであろう。

もちろん,考えられるすべての火災や事故について,訓練を行うことも不可能であろうし,また,訓練の範囲で火災や事故が起こってくれるとは限らないことも確かである。しかしながら,こうした遅れや躊躇を見ていると実際の災害がどのようなものなのかを,普段はあまり想像する機会もとれないことも要因の一つと思われる。

最近は,日本を代表する企業における火災や事故が多発しており,こうした事態は早急に終息させたいものである。災害の再発を防止し,みんなが安心できるような防災体制が確保されることを願う。様々な立場にいる人が,それぞれ想像力をたくましくし,日々,現実に近い訓練を重ねることが無用な火災,事故を起こさないための,秘訣なのであろうと感じている。

第76号 安全教育

土橋 律 <東京大学>
私は,いくつかの安全関係の委員会等に参加する機会があるが,そのような席で,例えば化学プラントの安全を確保するためには何が必要かと考えていったとき,PDCAによる管理サイクル,リスク評価,設備対応,保全や変更管理などやるべきことは
様々挙がってくるが,突き詰めていくとどうしても外せない重要なものは安全教育であるという点に行きあたることが何度かあった。様々な管理が効果を発揮するのも,作業者の安全への十分な認識が必要なわけであり,高度な安全設備を設置していても使用者が適切な使用法を理解していなければ役に立たないわけである。さらに,事故や災害の原因の多くに,ヒューマンエラーが関与していると言われているが,この点からも人間に対しての安全対策,すなわち安全教育が事故・災害防止に重要であることが理解できる。

このように安全を確保する上で,安全教育は無くてはならないものであることは自明と考えられるが,それでは,筆者は教育機関である大学に所属しているわけであるが,学校教育において安全はどのように取り上げられているのであろうか。残念ながら,大学においては,高等教育を受けた者の持つべき一つの素養として安全を位置付けていないのが現状である。もちろん,専門科目として安全に関係した講義は存在するし,学生実験のガイダンスでは通常安全上の注意が説明される。しかしながら,これらは関係する学生のみが受講し,在学中に必ず習得すべき位置付けにはなっていないのが現状である。小,中,高等学校においても,安全教育を必修項目として位置付けてはいないようである。安全文化の醸成などということがよく言われるが,そのためには子供の頃からの安全教育が是非必要と考えられる。小学校から大学まで,系統的・計画的に安全を教えることが必要ではないだろうか。安全の重要性に始まり,事故・災害をどのように防止するか,個人・企業・行政の果たすべき役割と責任などを系統的に教え,安全・安心な社会を支える次の世代を育成することが是非必要であると感じている。

最近,大きな事故や災害が発生すると,関係する企業や行政の責任追及にばかり目がいくように感じられる。安全教育を充実して,安全に関するしっかりした考え方,知識をもった人間を世に送り出していくことが,最終的にはこのような事故や災害の重要な対策となることにも,もう少し目を向けて欲しい。

第75号 安全工学あるいは安全工学協会の今後?

田中 亨
昨年は,大規模産業施設での火災事故が続発しました。今年は,大雨と台風による被害が多く発生しています。ご承知のように,例年,日本列島に上陸する夏台風は少ないのですが,今年は,8月末の時点で,すでに5つの台風が日本列島に災害をもたらしました。
被害は,6月の台風6号(死者2名/行方不明者3名/重傷者19名/軽症者99名,消防庁発表,以下同順序)から始まって,7月13~16日の新潟・福島豪雨(15名/1名/3名/1名),7月18~21日の福井豪雨(4名/1名/4名/15名),7月30~31日の台風10/11号(1名/2名/3名/16名),8月17~20日の台風15号と前線に伴う大雨(10名/-名/6名/16名),8月30~31日の台風16号(10名/3名/31名/209名)などです。(ここには記しませんでしたが,被害は人身災害に加えて,家屋損傷/浸水,田畑冠水などの多大な経済損失が含まれています。) 産業施設での事故災害の規模に比べると,被害者の数は大規模事故に相当し,その発生頻度も(今年の例では)極めて高いレベルにあります。自然災害に関しては,様々な領域で研究が進められていますが,災害防止/環境影響軽減するための総括的研究がこれまで以上に進められるべき分野と考えます。

安全工学協会のホームページに掲載されている安全工学協会概要の中の趣意[安全工学の社会的な役割(2000年2月14日更新)]の中の“3.安全工学の今後の方向”の項には,「(1)社会の安全を確保し,その安定化を図ることは,工学の一つの責務であり,その方法論について他の研究分野と協力しつつ確立していく。」と将来展望が書かれています。これまで,安全工学協会のメンバーは,化学物質や化学装置/施設に関連する安全問題,環境問題を研究あるいは関係する方が大半と思いますが,前述のように多大な被害を生じさせている自然災害の分野へも安全工学を応用展開(無論,他の領域の研究者と協力の上)してゆく必要性はあると考えます。また,この展開は,安全工学協会の意図している安全工学の社会的な責務“社会の安全の確保,その安定化”に合致していると思われます(趣意を書かれた方の意図を拡大解釈している可能性がありますが)。安全工学協会メンバーは,これらの分野での安全工学の展開について,如何にお考えでしょうか?(すでに,研究されている方がいるかもしれませんが。)

昨日は,防災の日でした。その9月1日夜8時過ぎ,浅間山が噴火しました。9月2日午前8時現在,被害は,噴石落下と降灰,それに長野原町の観光施設の玄関窓ガラスが空振 (空気振動)で破損と報じられています。農作物の被害状況は不明ですが,人身被害は発生していない模様です。将来は,噴火災害防止も安全工学の研究対象になり,火山研究者も安全工学協会のメンバー?

第74号

高野研一
昨年から三重県のRDF発電燃料火災をはじめとして様々な業界で事故が多発している
一方,事故ではないが,三菱自工のリコール問題は問題の深刻さを浮き彫りにしている。

長く続いたリセッションから明るさを取り戻そうとしている矢先に水を浴びせられたような気がするのは,筆者だけであろうか。

これは社会全体の意識変革が起こる前触れと捉えたい。というのも,安全文化や倫理コンプライアンスで重視される価値共有という概念が社会のあちこちでみられるようになったからである。NPOなどの非営利法人の設立ラッシュ,地域コミュニティの発達など個と小集団,集団と組織のあり方に根本的な変革が起こりつつあると感じられる。

第73号 「安全はすべてに優先する!」か?

大谷英雄  <横浜国立大学>
私自身も企業に勤めていた時には「安全はすべてに優先する」という標語を覚えさせられたし、現在もそう言っている企業は多いことと思う。なぜ、そう言わなければならないのだろうか?つまりは安全はすべてに優先していないという実態があるからそう言っているのではないだろうか。安全がすべてに優先していればここのところ目立っている企業倫理の問題なども起きないと思うのだが、安全がすべてに優先していないことは事実が証明している。安全より企業の収益等が優先していることを隠すために免罪符として工場内のいたるところに「安全はすべてに優先する」と掲示しているのではないか、という気がしてならない。
これはむしろ経営陣が深く心に刻んでおくべき評語だと思う。なお、この場合の安全は元々は労働安全に限られていたのだと思うが、今はそういう時代でもないので、より広い安全を指しているものと解釈した。
 一方、安全工学では安全という状態は達成できず、リスクが小さい状態があるだけという認識なのであるから、ただ安全とだけ言われても困るし、リスクを減少させる場合にも、他の事を無視してリスクを下げることだけを考えることはあり得ない。原子力の世界でも合理的に達成できる限度までリスクを下げるという言い方がされており、現状の科学技術や経済性による限界を容認している。(容認しているのは技術者だけで市民の理解は得られていないようではあるが。)現代社会をすべて否定するならともかく、現代社会の恩恵を享受しているのであれば、リスクをある程度は受容するという考えに立つべきであると思う。
 評語としては簡潔なことが求められるというのは分かるが、いつまでも「安全はすべてに優先する!」と主張するのはいかがなものだろうか。

第72号 安全・安心を取り戻すのに私たちができることは?

<三菱総合研究所 上野 信吾>
小学生のS君が数人の仲間とサッカーボールをかごに入れて自転車をこいできた。「あ、Rのお父さん。」「これから練習かい?今日お父さんは何してる?」「知らなーい!」とすれ違いざまに会話を交わす。
 7月15日に内閣府が「安全・安心に関する特別世論調査」の概要を公表した。この調査の中で、「今の日本は安全・安心な国か?」の問いに対してそう思う人は39%、そう思わない人は56%となっており、残念ながら今の日本を安全・安心と感じている人は少数派となってしまったようだ。安全・安心と思わない理由の上位に「少年非行、ひきこもり、自殺など社会的問題が発生している」「犯罪が多いなど治安が悪い」があがっており、比較論では片付かないとは思うが、海外で起きている様々な過酷な事件を日頃メディアで見聞きしている以上に、近頃、日本の安全・安心感を損なう事件や事故、生活を脅かす先行き不透明なことが多すぎるということであろうか。
 調査の中では「一般的な人間関係について」の設問もあり、人間関係が難しくなったと感じる人は64%、そう感じない人は29%となっており、人間関係が難しくなった理由として「人々のモラルの低下」「地域のつながりの希薄化」が上位を占めている。内閣府では、家庭の崩壊や地域のつながりの変化が、多くの国民に日常生活の不安を感じさせている要因ではないかと見ているようだ(読売新聞Webより)。
 都市化や少子化、ワークスタイル・ライフスタイルが変化する中で、確かに地域のつながりが希薄になってきている気がする。近所づきあいが煩わしい、面倒くさいと考える人も多いと聞く。しかしながら、防犯、防災で最も頼りになるのは地域の人たち、遠い親戚よりも近くの他人であるということも、「地元」という生活資源を共有することの強さを考えると納得できる。地域の人たちがお互いを知っている街では、何となく監視されているようで不届きな輩も悪事を働きにくいのではなかろうか。
 地域のつながりということを考えたとき、かつてどこかで経験した冒頭のような何気ない日常の姿を思い浮かべた。地域の有機的なつながりは大人同士、子供同士の点と点のつながりのみならず、世代を超えた網のようなつながりであって欲しいと思うし、私たちにできる安全・安心を取り戻す一歩になることだと感じる。

第71号 科研費はどうなっていくのか

(独)産業安全研究所 板垣晴彦
研究所に「科研費制度についての説明会を開くので参加されたし」との通知が届いた。
最近、不正使用がマスコミでしばしば取り上げられるので、採択された機関への周知徹底であろうと、出かけていった。

 行き先は、安田講堂。東大最大の講義室がどんどん埋まっていく。話を聞き始めてみれば、科研費の補助の対象となる機関すべてに通知を出したそうだ。その数は軽く1000を超え、一度ではすべて入りきらないので、午前と午後の2部に説明会を分けたとのことだ。
 説明会の趣旨は、科研費の門戸を企業にまで開いたこともあり、いままでのお役所と大学の間のわかりにくくて不明瞭な点を改め、ルールとして単純かつ明確にし、さらにこれをすべての機関に周知するため、毎年行うとのことであった。
 最初は科研費制度の説明。科研費は、各省庁が研究目標を定めるいわゆる競争的資金とは異なり、研究テーマは研究者自身が自由に設定して応募できる。つまり、現時点で問題としている課題を解決するための研究ではなく、我が国の研究水準の向上を目的として、優れた研究成果の可能性がある研究や30年後に重要となるかもしれない研究、独創的な研究が対象ということである。国家予算が苦しい中でもこの科研費の予算は最近は毎年100億円近く増加し続け、平成16年度予算では1800億円を超えた。この額は、各省庁の科研費以外の競争的資金をすべて合わせた額とほぼ同額であるそうだ。
 このほか、これまで長く文部省という役所が科研費の役割を担ってきたが、今後は独立したアカデミック・コミュニティー、具体的には日本学術振興会、へ業務をすべてを移管する計画という。
 続いて、単純化されたルールが説明された。ルールは、「応募」と「評価」と「使用」の3つに段階に区別されているのだが、今回の説明会は、このうちの「使用」についてのみだった。なぜかというと、「まずは、今年度配分した補助金を正しく使って頂くことが先決。次の応募は秋口で、まだ詳細が決定していないため」という。さらに「いま説明しているルールにもし不都合がみつかればどしどし改定する方針なので、きょうの配布資料が、あす使えないこともあり得る」との話。
 制度の骨格自体は変わらないのだが、単純化とはきめ細かく定められていた規定や慣例の白紙化に違いないから、自己で判断、あるいは、各自で定めて良い部分が、大幅に増えることを意味する。研究費についても、自己責任と説明責任を課すというわけだ。
 最後に、不正使用の実例とその際のペナルティーが説明された。マスコミ報道がしばしばなされる状況だが、当然の事ながら金額や実名をあげていないので、インパクトにやや欠けていた。
 今回の説明会は、「研究者が使いやすく、わかりやすく」を狙っているのであるが、同時に「適切かつ透明性」が求められている。今後は研究だけでなくマネジメントも必須となろう。今まで規定や慣例で縛られる体制から、今度の新しい体制に慣れるには、しばらく時間がかかりそうだ。

第70号 PSAM7に参加して

福田 隆文 <横浜国大>
確率論を基にした安全評価と管理に関する国際会議PSAM(Probabilistic Safety Assessment and Management)が、今年はベルリンで6月14日から18日までに開催され、私も参加してまいりました。500余件に発表があり、盛況でした。

 発表は、広範な分野におよんでいました。OECDにおける安全管理システムの構築と各国への導入など大局的なマネジメントシステム構築に関するものもありました。私たちの日々の研究は、組織・職場の任務に従っていますから、それほど自由にテーマが選べるわけではありませんが、技術者もマネジメントシステム(何もこの例のような国レベルのことでなくて、工場レベルでもマネジメントはありますし、そのような発表も多くありました。)の問題にも関心をもっていたいと思います。年末の安全工学研究発表会で、オーガナイズドセッションで関連するマネジメントやシステムつくりの話が聞けるのが、ここ数年の企画ですが、これが一層発展しながら続くとよいと思います。また、安全工学誌も、安全関連の広い分野の情報をもたらしてくれており、助かります。
 また、女性の参加者・発表者が多くいました。どの分野の発表会場でも、1割から2割は女性がいました。安全工学協会にどれくらいの女性会員がいらっしゃるのか私は知りませんが、安全工学研究発表会においても、もっと女性の発表が多くなってほしいと思います。生命・環境・新物質の問題などを中心に、広く安全の問題を考えるとき女性の視点からみた安全の考え方はますます重要になってくると思います。
 当然ですが、発表・討論は英語で行われます。多くの日本人は苦労していると思います。今回、感じたのはネイティブの方に二タイプあるということでした。それは、特に討論であらわれるのですが、非ネイティブの人でもわかるようにしゃべってくれている人とそうでない人がいるということです。ネイティブの人がネイティブの方からの質問を受けたときでも、わかりやすく、比較的ゆっくりと回答してくれる場合には、我々も何を議論しているかわかりました。もち論、私たちの努力も必要ですが、国際会議は議論の場であることを考えると、会場の誰もが議論に加われるように配慮した討論を望みたいと思います。このことは、リスクコミュニケーションにおいて専門家でない人に技術的な内容を伝えるときにも必要な配慮だと感じました。

第69号

大島榮次  <東京工業大学名誉教授>
事故統計によると、平成12年以降石油コンビナート事業所の事故件数は微増の傾向が見られます。
 事故は連鎖的に起こると良く言われますが、詳細に一つひとつの事例について調べて見ても、なかなか事故を誘発するような共通の条件は見付けることが出来ません。 平成15年は石油コンビナートで22件の事故が発生しておりますが、日本全体の事業所数で割算をすると、4%弱になり、言い換えれば各事業所にとっては25年に1回の頻度ということになります。この数字は、外国に比べると非常に小さい値ですが、プラントとしては限りなくゼロに近づける努力が求められており、最近の安全管理の課題は、一般的な統計値を減らすといった漠然とした目標ではなく、25年に1回しか起きない個別の問題を先取りしなければならないという厳しい要求に応えることなのです。 我が国の石油産業のプラントは昭和40年代からのものも多く、老朽化が懸念されておりますが、最近の事故事例を見ると、長年の経年劣化と言うよりは、ある「きっかけ」が起点となって加速的に劣化が進行した例が多く、その「きっかけ」が何処で何時起きるかが把握されていないと言えます。 我々の体の何処かで始まる癌細胞を見付けるのと同じような技術がプラントの健康管理にも必要なようです。

第68号 自主保安は自守保安

坂 清次 (株)三菱総合研究所 客員研究
少し古い話になりますが、りそな銀行に預金保険法第102条により公的資金が注入され、事実上の経営破綻で国による管理下に入りました。自己資本比率という最重要な尺度から判断されたもので、リスク対応が問われたものでした。
 わが安全工学協会が入居しているビルが、りそな銀行の前身の大和銀行ビルでした(その支店も合理化で閉鎖され、なくなりました!)。もっともまだ旧名の大和横浜ビルとなっていますが、何やら象徴的です。安全を標榜する協会の足元が、経営的に揺らいだのです。
 昔は銀行といえば、堅実・確実さの代名詞でした。勝負の世界では“銀行レース”といえば、間違いのない堅いレースのことで面白みの少ない本命が必ず勝つレースのことでした。この世界に、国際ルールが適用され、リスク対応それも自主的な取り組みが求められるようになりました。旧大蔵省の護送船団方式の庇護のもとの“出来レース”が、市場経済のもとで評価されるようになったわけです。法律万能から自主保安に移行した安全問題と同じです。銀行の場合は、その社会性、公共性から国が守ってくれましたが、工場や事業所の火災・爆発・漏洩はそうではありません。自“主”保安は、自らが自らを守る自“守”保安なのです。
 思えば日本の金融破綻のきっかけは、“安全銀行”という安全を冠した銀行の破綻でした。奇しくも地下鉄サリン事件の当日銀行名が消え、消滅しているのです。他山の石としたいものです。

ご安全に

第67号 安心な社会への進歩

和田有司 <(独)産業技術総合研究所 爆発安全研究センター>
同時多発テロ以後の社会に対する不安の裏返しであろうか,「安心な社会」というキーワードがよく聞かれるようになった。「安心な社会」とはどんな社会であろうか。
「安心」=「心が安らか」であるからには,きっといろんな心配事がなくて,住民は何も心配しなくても安全に暮らせる,そんな社会のことであろう。もちろんこれは理想にすぎない。今の日本が「安心な社会」である,と思っている人はまずいないであろう。しかし,安心ではない社会,すなわち,危険と隣り合わせの社会に暮らしていながら,自分だけは安全,と思いこんでいる人は,決して少なくはないようである。六本木ヒルズの回転ドアの事故以後,同様の子供の被害として児童公園の遊具による事故が盛んに取り上げられている。昨年の安全工学研究発表会で警察関係の方が遊具の事故調査事例を発表されていた。私はこうした事故例はどんどん世間に公表していただきたい,とお願いしたが,期せずしてマスコミに取り上げられている。多くは管理責任を問題視しているようであるが,それだけでよいのであろうか。先日,近所の児童公園でブランコが動かないように固定されているのを見かけた。これならブランコにぶつかって怪我をする心配はない。しかし,これが真に安心な社会への進歩なのであろうか。安心な社会は,何が危険かを認識することから始まるものであると思う。動かないブランコから動いているブランコと隣り合わせの危険を知ることは困難なのである。

第66号 回転ドア災害と安全工学の常識

若倉正英 <神奈川産業技術総合研究所>
六本木ヒルズ(森ビル)の回転ドアに小学生がはさまれ、亡くなる事故があってから回転ドアの危険性が急にクローズアップされている。
この事故はいくつもの教訓を含んでいるが、安全工学の分野で仕事をしている人間として強く感じるのは、安全工学が積み上げてきたものが、まだ世の中の一部でしか生かされていないのだという事実である。たとえば、回転機器などへの巻き込まれ、はさまれ災害は産業革命によって発生した、もっとも古典的な労働災害であり、多くの研究が積み上げられている。また、人間の行動予測に基づく労働災害の防止も、安全工学の重要な研究課題であり多くの成果が送り出されている。これらの成果は製造業や建設業、鉱山など事故の多かった職場を、安全な職場に変えることに多大の貢献をしてきているのである。
 一方、森ビルの例だけでなく、遊具や、アミューズメント施設の事故などをみると、いずれも安全工学の知見がいかに生かされていないかが明らかになる。その原因の一つは、これらの機器を扱う事業者の認識の欠如であろう。回転機器や加熱機器など多くの機器装置があらゆる場所で使われている。これらは潜在的に危険性を有しているが、一般家庭で使われる場合誤用があっても事故を起こさない配慮がされており、これに対応できないものはすぐに市場から消えていく。しかし、事業用に使われる機器は明らかに異なる。大型であり、不特定多数の人に使われるなど潜在危険性は家庭用とは比べものにならない。これら機器を製作する、また使用する事業者は事前に安全性を確認しておく責任があるにもかかわらず、家庭用機器と同様に安全性に無頓着であることが多い。RDFや生ゴミ処理機の事故もその延長線上で発生しているのでないだろうか。

第65号

平田 勇夫   <野田市>
2000年6月、群馬県の事業所でヒドロキシルアミン(HA)蒸留装置が爆発し、死者4名と多数の負傷者を発生する惨事となった。その後、HAとその塩類の危険性が評価され、消防法危険物第5類に指定された。
また、流通している化学物質の危険性が注目されことになり、消防庁は、危険性が高い物質で規制されていないものはないか、化学物質の危険性について認知したものがないか、その情報提供を事業者などに呼びかけている。
 最近、海の向こうでも反応危険性の高い化学物質(Reactive Chemicals)の安全管理に関する論議が盛んになっている。ここで、「反応危険性」は、暴走反応、自己分解危険、混合・混触危険などである。
 米国の化学安全調査委員会(CSB: Chemical Safety and Hazard Investigation Board)は、約2年をかけて1980年以降20年間に発生した化学物質が関与した事故167件を解析した。(これらの事故の中には1999年2月ペンシルヴァニア州アレンタウンで起きたHA蒸留設備の爆発事故も含まれている。)そして、2002年9月、
 ① これらの事故で108名が死亡
 ② 原因物質の50%はOSHAのPSM規則(1910.119)の規制対象に入っていない
 ③ 原因物質の60%はEPAのプロセス安全関係の規制対象に入っていない
 ④ 原因物質の36%はNFPAレイテイング(Ni)が付けられていない
などがわかったことを公表し、反応性化学物質の管理は重大な安全問題であるにも拘らず、効果的な規制が行われていないことを指摘した。そして、規制当局、関係学会・業界などに勧告を出している。例えば、OSHAに対してPSM規則(1910.119)に客観的な基準を採用し規制対象物質の範囲をひろげること、プロセスの安全に関する情報に反応性化学物質の情報を含めることなどを勧告している。一方、OSHAは、この勧告に対してPSM規則を改正するには時期尚早である趣旨の回答したが、最近CSBがこれに反論している。
 化学物質を危険物に指定することにより、(国内では)既定技術基準を適用することが義務付けられ、注意して取り扱うことになるので安全管理のレベルを高めることができる。しかし、全ての潜在危険性物質を規制することは不可能といっても過言ではないだろう。増してや、取扱条件や混合・混触危険を全て加味した規制は難しい。大事なことは、化学物質を取り扱う者が、物質およびプロセス(物質+取扱条件)の危険性を科学的データに基づき十分評価して、事故発生防止と災害拡大防止の対策を実施、さらに上流の事業者が得た危険性情報をつぎの事業者に提供することだと思う。
以上

第64号 再発を防止することと新たな事故を防止すること

三菱総研 野口
プロの目と市民の目

 事故が発生する。事故分析が行う。失敗に学ぶ。この一連の活動は、もはや当然の活動となっている。
しかし、この一連の活動の目的をもう一度整理してみたい。

それは、この一連の活動は、再発を防止することを目的としているのか、新たな事故を防止することまでもスコープに入れているのかということである。
失敗学が求めていることは、基本的には新たな事故の抑止にまでその成果の活かすことである。
今の事故分析は、本当にそこまで真剣に考えているのか?
昨年、大規模な火災事故が続いた。その事故分析から我々は、一体何を学んだのであろうか?
何故、発生した火災が直ぐに鎮火できなかったのか?
この住民の素朴な疑問に安全学は納得できる回答を用意できたのか。
安全のプロであるがゆえに、個別・固有の問題に目を奪われて、市民の視点を忘れてはいなかったのか。
セーフティハートのハートとは、誰の心のことか?
安全工学協会は、もう一度安全の原点に返って、このような問いかけに答えるための活動を開始した。
こう、ご期待!  と私は思っているのですが・・・・・
仲間よ来たれ !

第63号 事故のシナリオ

科学警察研究所  中村順
平成15年に起こった爆発事故は新聞記事を整理してみると72件であった。一昨年の2倍の発生件数である。
本年に入ってからも、樹脂製造プラントにおける爆発事故、病院における酸素ボンベ爆発事故とその発生の収まる気配がない。既に多くの人が最近の事故の多いことについて述べられており、本欄でも取り上げられている。これらの爆発事故の中には、事故の発生のシナリオがよくわからないものがいくつか見られる。ここでは、事故シナリオについて考えてみよう。爆発事故が起こると原因究明が行われる。原因究明がきちんとなされていないと、その安全対策を誤ることになり、同様な事故の再発という最も悪い結果となる。普通には、この事故はどういう順序で爆発したのか事故のシナリオをまず考えることになる。全体的には、ガス爆発、粉じん爆発、蒸気爆発、凝縮相の爆発などの中のどの形態の爆発が起こったかを推定する。さらに具体的には、気相の爆発では、爆燃なのか爆ごうが起こったかや、拡散燃焼かあるいは予混合燃焼か、あるいは小爆発で混合されたものが、その後により強く爆発したかなどの問題が考えられる。また凝縮相の爆発では、最初に爆発が起こったのか、あるいは分解や重合から反応が開始してその後に爆発したかや爆燃から爆ごうに転移したかなどの問題が考えられる。さらに、それらが複合した大規模な事故の場合は、発生頻度も低く、再現実験や小規模実験からは事故原因の究明が困難な場合が多い。事故に関する多くの資料と過去の異なる形態の爆発事故事例や数値的な検討をあわせて、最も起こり得ると考えられるシナリオを描くことが求められている。

第62号 最近の事故増加に思うこと

高木 伸夫 <システム安全研究所>
ここ数年、火災爆発事故といった化学事故が増加の傾向にある。これら事故を振り返ると、旧動燃のアスファルト固化施設での火災爆発事故、廃プラスチック油化プラントやRDF貯槽、また、ごみ処理設備での火災爆発事故、タイヤ工場や製鉄所での火災爆発事故など従来型の化学産業とは異なった分野において増加傾向にあることが特徴として挙げられる。
化学産業も含め、事故の原因としてリストラによる人員の削減が主因のように言われている。それも一因であろうがそれで済ませてよいものではない。字数の関係上、キーワードしか示せないが、常日頃感じている幾つかの点を次に示す。 ①操業、設備管理を協力会社、業者まかせにし、事業主体の安全ポリシーが欠如している

 ②化学プロセスに携わってこなかったものが主体となった運転がなされている
 ③取り扱う物質ならびに装置特性に対する知識、教育があまりにも不足している
 ④事業主体ならびに操業現場に化学に関する知識を持った技術者が不在である
 ⑤縦割り組織、もしくは複合組織に起因する情報交換不足と責任体制があいまいである
 ⑥メーカー納入設備に対する受入時の詳細な点検、確認をせずにそのまま運転している
 ⑦メーカーも運転現場も言われたこと、あるいは、マニュアルに記述されたことしか実施せず、
  安全に対する感性が欠如している
 ⑧安全に関する知識の属人性が強く、論理性、普遍性に欠けている

事故は複数の要因が重なり合って発生するものであり、上に示した要因に心当たりがある関係者も多いのではないだろうか。事故の根幹原因にさかのぼるとマネジメントエラーに帰着することが多い。トップマネジメントの強力な推進力が必要である。

第61号 カンボジアの地雷処理

小川 輝繁 <横浜国立大学 大学院>
昨年12月にカンボジアの地雷処理を視察した。カンボジアの地雷処理の組織はカンボジア地雷対策センター(CMAC)である。
カンボジアでは内戦時代に敷設された膨大な数の地雷が埋められており、現在のペースでは全て除去するのに100年以上かかるといわれている。また、ベトナム戦争での米軍の空爆の不発弾が大量に埋まっている。地雷により子供を含む一般人が手足を失う悲惨さが報道されている。カンボジア全土での地雷による事故の死傷者数は1998年には1640人であったが、CMACの調査、広報等の活動の成果で年々地雷事故の死傷者数は減少し、2002年は366名である。一方、不発弾の事故による死傷者はほとんど横這いで、2001年以降は不発弾事故による死傷者数が地雷事故によるものより多い。
 地雷や不発弾の処理活動に対して国際的な援助が求められている。日本からは資金援助の他、NPO法人に本地雷処理を支援する会(JMAS)がカンボジアに専門家を派遣してCMACと連携して主に不発弾の処理活動を行っている。プノンペンンでCMASの本部、JMASのカンボジア事務所を訪問し、JMASがプレイヴェーン州で行っている不発弾処理活動状況やポーサット州のCMASの地雷処理活動等を視察したが、JMASの高山良二現地副代表に全工程案内して頂いた。山田良隆現地代表、高山副代表をはじめ日本人専門家は自衛隊のOBで危険な仕事にもかかわらずボランティアとして活動している。高山副代表は自衛隊のPKO隊員としてカンボジアのタケオで活躍されたが、その時地雷・不発弾事故撲滅の重要性を痛感され、自衛官退官後直ちにカンボジアにおける地雷・不発弾処理の活動に参加された。同氏が「できるだけの多くの人が無理をしないでできる範囲内で地雷処理に貢献して頂くことを望んでいる。」といわれたことが印象に残っている。この言葉は安全活動にも当てはまると思われる。安全活動も関係者が自分のできる範囲で安全化に取り組むという意識を常に持っていることが必要ではないでしょうか。

第60号

フェロー 飯塚義明   <㈱三菱化学科学技術研究センター>
私事で恐縮ですが,昨年3月に環境安全工学研究所の所長職を退任し、6月には、定年退職を迎えました。引き続き、研究組織が独立した研究センターに勤務をしています。
三菱化成工業㈱の時代からほぼ30年間安全に関する研究やおよび製造現場への安全支援を行って着ました。年間生産量が何十万トンというプラントと50kgが商業レベルというプラントまで幅広く体験できたことは、安全をライフワークとするに貴重な経験でした。ここ数年は、製品安全という分野に手を染め、現在も小さいながら特定分野の安全性評価を研究するプロジェクトを運営しております。「製品安全」と「製造安全」と異なる点は、安全意識そのものにあるようです。例えば、一般大衆に近い製品で、使用者に被害を加えるイベントの発生は、その製品の存在(売れ行きの低下)が脅かされる。そのため、あらゆる最悪ケースを想定した評価を必要とされる。一方、製造は必要悪と言うと言い過ぎなるかも知れませんが、致命的な事故が発生しない限り、根本的な改善を施さないままずるずると生産活動を続ける。生産の周囲もそれを認める風潮があり、日本代表をするような企業が、その典型例をおこしている。「製品安全」という世界からもの作りの世界を見たとき、そのギャップは、なんとも表現しがたい。生産技術に国家間の差が無くっている昨今、日本のもの作りは、製品安全レベルの安全意識で取り組んでいって欲しいものです。

第59号 今こそ自主管理の徹底を

西 茂太郎
2004年の新年が明けました。今年こそ良い年にしたいと誰もが思っておられることと思います。それにしても昨年は安全に携わる者にとっては色々と苦難の一年であったと思います。
何故事故が立て続けに起こるのか?共通した原因があるのではないかと。事故を起こした側の社会的責任は当然であり、厳しく問われてしかるべきと思いますが、長期的な視野に立った場合、今こそ自主管理を徹底すべきだと思います。
 安全確保のために日本では、「Zero Event Tolerance(事故はゼロでなければならない)」、欧米では「ALARP(as low as reasonably practicable:合理的に実行できる中で可能な限り少なくする)」というコンセプトです。
「Zero Event Tolerance」コンセプトの強制の弊害は、規制と基準のありように表れています。日本と欧米の法律の明らかな違いの一つはその規定の仕方で、欧米の規制は「ゴール志向」であり、日本ではほとんどがゴール志向ではなく、微に入り細に入り規定しています。このことは行政機関にとっては法律遵守状況のチェックに容易である反面、産業界を知らず知らずのうちに、法的責任ばかり負わせられる自由度のないリスク管理に追いこんでしまっています。企業が独自にリスク管理することを結果として行政が邪魔しています。しかし結局、日本の企業は行政が敷いた事故防止の路線を歩むしかない状況に陥っているのが実態ではないでしょうか。
 これから脱却するための取り組みがいくつかなされつつありますが、事故が発生したら新たな規制強化という今までのパターンから脱却し、中途半端な自主管理から徹底した自主管理へ移行しなければ真の安全確保は達成できないと考えます。

第58号 生き物に学ぶ

佐藤研二 <東邦大学>
先ほど金沢工業大学において開かれた安全工学発表会では,安全の意味について考えさせられる2件の特別講演があった。
向殿政男氏は「情報安全」の題のもと様々な切り口から安全を考える安全マップの内容を含めた話をされ,長尾隆司氏は「身の丈に合った生活 ―コオロギから見た人間社会―」と題した話をされた。筆者は所用のため長尾氏の講演は聞くことができなかったが予稿集の文章を興味深く読ませていただいた。ある種の人工的な生育環境に置かれたコオロギは本来の適応能力が大きくゆがめられてしまうという内容が述べられていた。
 これらの話題から取り留めのないことを考えてみた。
 様々な環境の中で弱点を持ちながらも命をつないできた生き物(生命体)は,細胞レベルで,個々の個体で,または,仲間,種などのまとまりとして,危険を回避しあるいは受けたダメージから回復して生き延びようとする性質とそのための能力や習性を属性として持っている。この能力と習性は,大きく見ると多くの生き物に共通する部分と個々の生き物の種類の体の構造や行動様式の違いに適するように特化した部分とから成り立っていて,これに個体差が加わる。
 飛行機の例をみるまでもなく生き物を手本にあるいはヒントに発達してきた科学技術は多い。安全工学関係でも,生活,産業,環境等での安全に関連した技術やシステムの課題について解決方法を考えるときに生き物がヒントになってきた部分が多々あると思うが,その関連性が強く意識されたものは意外と少ないようにも思える。今後,生き物が長い進化の過程で獲得してきた多様な能力や習性についてより深く知りさらに人間と他の生き物の間での,あるいは他の生き物間でのそれらの比較も進めることで安全工学に関係する新たな展開が生まれてくる可能性も考えられる。これまでに知られているこのような能力や習性を安全工学的な観点をふまえてまとめたデータベースのようなものがあってもよいのではないだろうか。

第57号 CSRに思う

天野 由夫 <出光興産 安全環境室>
最近、CSR(Corporate Social Responsibility)という言葉を耳にする機会が多くなって来ている。CSRは簡単に言うと企業の社会的責任であり、企業が社会の一員として持続的に事業を展開するため果たすべき責任のことである。
CSRが求めているのは、単に、法律を守っているだけでなく、最近はこれも守らず問題になっているケースもあるが、企業の倫理規範の遵守、公正な企業活動、社会貢献等がある。欧米では、この動きが顕著となってきている。日本も近い将来、消費者や投資家はこのようなCSRを尺度として企業を峻別する時代が来ると考えられる。その中でも、CSRではステークホルダー(利害関係者)に対する説明責任を果たすこと要求している。CSRの中には当然、環境や安全の分野も含まれている。安全の場合で言えば、企業の安全確保に対する努力や姿勢を利害関係者に普段から説明することが必要である。不幸にも事故が発生した場合も同様、ステークホルダーは誰で、どのような内容、手段等によって、説明責任を果たすのか、考えなければならない。過去、往々にして、安全の説明では、安全上の問題点を明示することなく、しっかりやっているとか、安全に対しては最大限の努力を傾けているという姿勢論の説明が多くなされてきた。CSR等を考えると、安全の説明責任を果たすためには、今後、あまり積極的に公表してこなかった安全上の問題を明確に示し、そのため、このような安全確保の努力を行っているという説明が必要となって来るのではないかと思う。ステークホルダーを明確にし、納得させるような説明を普段から準備することが今後、大切になってくると思う。

以 上

第56号 廃棄物処理施設における火災・爆発事故

安田憲二
最近、廃棄物処理施設における火災・爆発事故が多発している。例として、第51号で取り上げた8月19日の「三重ごみ固形燃料発電所」における爆発事故のほかに、11月5日の早朝に神奈川県大和市で発生した「生ごみ処理機」の爆発事故などがある。
これらは、いずれも貯留、処理の過程で発生した可燃性ガスが直接の原因であると考えられているが、詳細は不明である。
 廃棄物処理施設での爆発事故としては、昭和52年ごろから焼却施設の灰バンカー内における爆発事故が数多く報告されている。この原因は灰と冷却水が反応して可燃ガスが発生したためであるが、これらの事故は思いがけない場所で起こることが多く、しかも可燃ガスが発生することに関して認識があまりないことから、原因不明として扱われることが多い。このため過去の経験が生かされず、現在もこの種の事故が繰り返されている。
 現在、労働災害の発生は毎年減少しているが、廃棄物処理業では発生率がきわめて高いうえに減少していないなど、ほかの産業と比べて特異な状況にある。これまで、廃棄物処理に関しては処理技術の開発が主であり、安全性に対してあまり注意が払われてこなかった。可燃性ガスによる火災・爆発事故は死亡事故を招くことが多いことから、今こそ専門家の英知を集め、事故の撲滅に向け奮起すべき時ではないか。

第55号

西 晴樹  <独立行政法人 消防研究所>
平成15年9月26日に発生した十勝沖地震では、行方不明者2名、負傷者844名などの人的被害、1676棟の住家被害、火災4件などの被害が発生した(平成15年10月23日20:00現在)。
この火災4件のうち2件は、屋外タンク貯蔵所の火災であり、かつ、同一の事業所で発生したものであった。日本において、地震で屋外タンク貯蔵所が火災となった事例としては、昭和39年の新潟地震での事例や昭和58年の日本海中部地震での事例があるが、最近はほとんどその例を聞いたことがなかった。
 火災原因の究明は、消防機関のこれからの調査を待たねばならぬが、当該火災が与えた社会的影響を考慮すると、火災原因調査は早急に、かつ、徹底的に行われなければならないであろう。
 今年は、日本を代表する企業の事故や火災が続発しており、こうした事態を踏まえて、総務省消防庁では、関係企業から関連事項についてヒアリングを実施したり、関係各省と相談しながら、「産業事故災害防止対策推進関係省庁連絡会議」を発足させ、産業事故災害の防止について、情報交換および安全対策の検討を行っている。
 こうした活動展開していくことにより、このような災害の再発を防止し、みんなが安心できるような防災体制が確立されることを願う次第である。

第54号 国立大学法人化

土橋 律
国立大学は、平成16年4月から法人化することが決まっている。法人化により組織運営など様々な点が変化するが、安全衛生管理においては、適用法規が人事院規則から労働安全衛生法(安衛法)に変更となる。
これに伴い、衛生委員会設置、衛生管理者選任(資格取得が必要)、局所排気装置設置(有機溶剤や特化物使用時)などが必須となり、準備に追われている。さらに、現在は罰則の規定が無く責任体制が不明確なのに対し、安衛法では罰則が明確に規定され、労働基準監督署の監督のもと厳格に適用されることなるため、責任体制確立や責任者の意識改革が課題となっている。実際、現状では、国立大学の実験室と、安衛法が当初から適用されている企業の研究所の実験室を比較すると、安全衛生管理や安全設備において国立大学の実験室は明らかに劣っていると言わざるを得ない。このような差異が生じてしまったのには、法規の違いのみならず、企業と大学の組織や管理の違い、面積や予算の問題など様々な背景があると思われる。しかし、大学は教育機関であり人材育成の場であることを考えると、大学の実験室では模範的な安全衛生管理のもとで教育、研究をおこなわなければならないことは自明である。危険作業時の安全衛生管理について、大学を卒業した学生が企業に入って始めて知るという今の状況は異常と言わざるを得ない。
 したがって、国立大学は、この機会を良いチャンスととらえ、安全衛生管理の大幅なレベルアップ実現することが肝心であると思う。安全衛生管理には、労力や費用が必要であるが、確実な管理を実施し安全な教育研究環境を提供できるか否かが、今後各大学の評価に大きく影響してくることは間違いないと思われる。

第53号 2003年7~9月の火災爆発事故

田中 亨
産業施設での火災爆発事故が多発しています。セメント工場石炭サイロの爆発(7月22日)、ごみ固形燃料(RFD)発電所でのRDF貯蔵タンク火災(8月14日)と同じタンクの爆発火災事故(8月19日)、
油槽所でのタンク改修工事中のガソリンタンク火災(8月29日)、製鐵所のコークス炉ガス用ガスホルダーの爆発炎上と隣接高炉ガス用タンクの誘爆事故(9月3日)、タイヤ工場の大規模火災(9月8日)等です。2ヶ月弱の間に、これほどの数の事故が続くと、何か共通する問題が隠れているように思われます。事故が発生した企業の業種は異なっており、共通する問題があるならば、業種に限られることなく、次の事故発生が懸念されます。事故調査がなされ、いずれそれぞれの事故原因は明らかにされるでしょうが、その結果が明らかになるまでは、過去の経験や業界の常識の枠を超した観点からの事故予防に注力する必要があります。

第52号

高野研一
今朝、全国の国立大学の病院での事故防止の取組みに変化が起きているとの報道がNHKで紹介されていた。
病院での事故(顕在事象)、ささいなミス(ニアミス)、ヒアリハット(潜在事象)の分析を専門家が徹底しておこなったところ、個人の不注意というよりもむしろ組織や医療システムに係わるいわゆる「組織要因」がこれらのインシデントを引き起こしている実態がしだいに明らかにされ、担当の安全推進室の医師は衝撃を受けたという内容である。これに対するアンチテーゼとして、事故は個人がしっかり注意すれば防げるという古典的な意見がいまでも根強いが、不注意によるミスは後を絶たない。これを防止するには、精神訓ではなく、地に足が着いた組織としての対応である。そのような取組みには、「人・物・金」がかかるために二の足を踏むケースが多いが、ミスを起こしにくい、機器構造、確認システム、コミュニケーションシステムが求められる。さらに、院内従事者の負担軽減、チーム医療による相互チェックなど包括的な取組みが不可欠である。

第51号 消防士の安全は?

大谷英雄  <横浜国立大学大学院工学研究院>
8月19日に発生した「三重ごみ固形燃料発電所」のRDF貯槽の爆発事故により消防士2名が死亡した。このような消火作業中の消防士の死亡事故が国内では東京や神戸,さらに大きなものとしてはニューヨークのワールドトレードセンタービルで起こったのもまだ記憶に新しいところである。
消火活動というのは常に危険にさらされているが,これらは従来の知見では対応できない火災のように思える。従来工法とは違う建て方をされた建物や,従来の経験にはない可燃物の火災に対した場合にどのような消防戦術を取ればいいのだろうか。火災の研究は,研究者の数が少ないこと,実際にその火災が起こらないとニーズを理解してもらい難いことなどから技術進歩の後追いになりがちであるが,例えばRDFの性状については情報がないわけではなかった。RDFが何故発熱しているのか理由を考えてみることはできなかったのだろうか。特殊な火災に遭遇することはまれではあろうが,消防の指揮を執る者には従来以上の幅広い知識およびそれに基づく洞察力を養ってもらいたい。

第50号

上野信吾 <三菱総研>
冷夏にも助けられた形の日本の電力供給であるが、そんな日本がお盆休みの最中、ニューヨークを含む広い範囲で大停電が起きた。
生活、経済活動のあらゆる場面で電力に頼っている現代人にとって停電は明らかに安全を脅かす事件であろう。しかも人や都市機能が集中する大都会においては。交通事故、犯罪、医療機器の作動異常などによる人的な被害や健康障害のみならず、財産や環境の保全(近年の国際標準の考え方ではこれらも安全の範疇)をも脅かす原因として容易に連想できる。現状の報道ではニューヨーク市だけで経済的な損失額は1,250億円と報じられている。
確かに経済的な被害は甚大だったに違いないし、現地の人々の不自由さは大変なものだったであろうが、丸1日以上もの大停電であったにもかかわらず社会的な混乱は存外大きくなかったと感じるのは筆者だけであろうか。もし、このような規模の停電が東京を中心とした地域で起きたらどうだったであろうかと考えると不安になる。同時多発テロを経験したニューヨークだからこそ「危機に対する備え」ができていたのであろうか。報道でも「大きな混乱はなく市民は落ち着いて行動している」とのコメントが印象に残る。被害の拡大を抑えたニューヨークの精神的な「危機に対する備え」はこのコラムのタイトルである「セイフティ・はーと」に相通じるものだ、と停電の事件を思って感じた。

第49号 安全分野のCOEは?

板垣晴彦   < (独)産業安全
7月17日に今年度の「センター・オブ・エクセレンス」(卓越した拠点)の採択結果133件を文部科学省は発表した。世界レベルの研究教育拠点を10の学問分野ごとに形成し、創造的な人材育成を図ろうというものだ。研究所>
昨年と今年で合わせて246件が採択され、各プログラムには1件あたり年間1~5億円程度が原則として5年間交付されるという。応募総数は1000を超え、さらに先端研究が多いために同じ分野の研究者による審査が必要となり、結局1000人を超える研究者が審査にあたったそうである。
 10の分野の中に安全分野はないが、採択された246件の中から安全と関連がありそうなプログラムを探したところ、次が見つかった。
 災害学理の究明と防災学の構築                   京都大学防災研究所
 ユピキタス社会における災害看護拠点の形成     兵庫県立看護大
 安全と共生のための都市空間デザイン戦略        神戸大学
 先導的建築火災安全工学研究の推進拠点     東京理科大
 「平和・安全・共生」研究教育の形成と展開       国際基督教大学

それぞれのプログラムについて概要を調べてみた。
 東京理科大のプログラムは、「火災に対する人命と財産の保護」の観点で建築火災に関する最先端の研究を推進するとともに人材育成の場を提供することにより、21世紀に貢献しようとするものだそうだ。そのほかは、「災害に強い都市づくり」や「災害時の対処」、「防災の情報科学」といった大規模災害を対象としたプログラムが中心のようだ。常に安全であって災害のない生活が我々の共通する願いであること が、このようなプログラムの採択につながる理由のひとつになっているのではなかろうか。そんなことを調べている時、日頃「安全」を「工学」の観点でばかり見ていることにふと気がついた・・・。
 来年度の募集はない。4年後の次回にはどんなプログラムが採択されるだろうか?

第48号 安全工学誌に論文の投稿を!そして情報発信を

福田隆文 <横浜国大>
7月10,11日に安全工学シンポジウムが開催された。今回は安全工学協会が幹事学会だったの、多くの会員が企画委員会に参画している。
その努力が報われて、かなりの盛況だった。また、企業の方の参加が多かった。このことは、安全問題の関心の大きさを物語っている。
 ところで、安全工学の専門学会である当安全工学協会の「安全工学研究発表会」も例年通り開催される。会誌・会告によれば今年は金沢で開催されるそうである。ここでは、安全技術から事故調査や安全の考え方まで幅広い領域の優れた研究発表がされているし、活発に討論もされている。しかし残念ながら研究発表会予稿集だと、それほど多くの人の目には触れない。一方、「安全工学」は大学の図書館にも配架されるし、記事はJSTをはじめとする抄録誌にも載るので、適切なキーワードを付与すれば、多くの研究者によって検索され読まれる。
 そこで、もう一歩研究が進んだら、それをまとめて 安全工学誌に投稿していただきたいと思う。他学会誌で安全関係の記事を読むと結構、本誌の記事が引用されている。つま、本誌は専門学会の機関誌としてそれなりの評価を得ている。論文については、査読委員2名による厳しい査読を行っている。会誌に論文が多数載ることで、新しい知見の発信が行える。それが安全工学誌の発展につながるし、日本の安全工学の発展にもつながると思う。

第47号 企業倫理

大島 榮次
この所、矢継ぎ早に企業の反社会的な行為に関するニュースが報道されており、高圧ガス設備の認定検査制度でも、実際に検査をしていないにもかかわらず適当な数値を書いて県に虚偽の報告書を提出するという法律違反が発覚した。
 東京電力で起きた違反行為と殆ど同じ構造の事件である。 法律で決められている検査周期は頻繁過ぎるので、明らかに安全性には関係がないという技術的な常識を法律に優先させてしまった行為である。 従来、法定検査は県の立会の下で行われて来たが、検査項目も多くすべての検査に立ち会うことが出来ないので、充分信頼するに足る検査が行われていることを確認する程度に留まってしおり、日程調整などで検査の能率にも影響があるということから、高圧ガス保安法に基づく認定制度では自主的に事業所の社員が県に代わって立会、監査をすることが出来るようになったものである。 しかし、事業所の認識としては、検査管理組織とは検査を管理する内部監査的な機能であるとしか理解していない節が見られる。 今回の事件に関しては、実際には釈明とは程遠いものであったにせよ、会社の責任者の説明と謝罪は表明されたが、本来はそれとは別に検査管理組織の責任者から何故不正行為を阻止することが出来なかったかの説明が行われるべきである。 それは、検査管理組織の担当は事業所長が任命するが、彼らは社会から負託された法の番人であるからなのである。 現行の認定制度では簡単に違法行為が可能であるということを事業所自らが証明したとすら思える今回のスキャンダルを見るにつけ、検査管理組織に携わる者の資格として単なる経験年数だけではなく、保安に対する考え方、そして何より企業倫理に関して強い責任感を持っているいることを確認する具体的な手続きが必要ではないかと考えている。 

第46号 韓国邸丘の地下鉄惨事に想う

坂 清次 <(株)三菱総合研究所>
(その2 北陸トンネル内列車火災事故)

 韓国の地下鉄事故は、密閉空間といえる地下4階で起きている。司令室の状況の過小判断、対向車が通過せず駅で停止し、なおかつ鍵をかけてしまったことなど的確な判断、指示、行動がとれていないことが惨事の原因であろう。
1972年11月6日01:09に、北陸トンネル内での急行「きたぐに」の列車火災事故は、死者30名、負傷者714名を出す大事故であった。老朽した食堂車から出火した火災が、停止した列車に広がったためで、停電し長いトンネルの中央部ということもあり脱出に障害となったものである。走り抜けば8分でトンネルを通過する時点であったが、当時の国鉄の運転保安規定が「事故時はまず停止」という大原則であったために、現場で停車したため被害を拡大している。超高圧の交流電流ということもあり、消火設備も連絡設備も不備であった。電化が裏目に出ているが、昔の蒸気機関車なら排煙設備が当然設けられていたであろう。ロンドンの世界最初の地下鉄では、蒸気機関車が走っていたようで、乗客は煤煙に悩まされ酸欠の危険を身をもって体得していたであろう。乗客にも自衛策として、知識と行動が求められているのである。
なお最新の長大トンネルである英仏間のユーロトンネルでも、車両火災が発生している。いかに事故から学ぶか、教訓とするか、もって他山の石としたい。 ご安全に

第45号 安全情報の活用に向けて

若倉正英  <神奈川県産業技術総合研究所>
化学物質の危険・有害性や事故事例、国内外の関連法律や条令に関する多様な情報が、インターネット上で提供されています。
最近、独立行政法人産業技術総合研究所が科学技術振興事業団のバックアップのもとに公開した「リレーショナル事故データベース」は、主として国内の数千件の化学事故例を掲載していますが、それに加えて事故進展フロー(事故に関連した作業者の行動、機器の状態、事故が拡大した要因などからなる事故の時系列的な流れ)や、関連物質の熱分析チャートを含む事例もあり興味深いデータベースです。また、本年度改訂された化学便覧(日本化学会)では、安全に関する化学技術情報を数値データで載せるというこれまでの形式から、ウェブ上での検索をも考慮して多くの情報サイトを紹介しています。安全工学協会でも協会誌や本年度の安全工学シンポジウムでのオーガナズドセッションなどを通して、様々な安全情報の紹介に努めております。今後は、それらの多様な情報をいかに現実の安全活動に活用するかが重要な課題になると思われます。そこで、当協会では安全情報委員会を立ち上げ、安全情報の活用に関する手法の検討や、安全専門家の人的情報などの整備など行うべき作業の基礎固めを始めております。安全情報委員会の活動内容や方向性に対して、会員各位のご意見、ご要望をお聞かせいただきたいと念じる次第です。

第44号

<野田市   平田 勇夫>
最近、ドミニク・ラピエ-ル/ハビエル・モロ共著「ボーパール 午前零時五分」(上巻、下巻:長谷泰訳、川出書房新社)を読んだ。
この本は、1984年12月2日深夜から3日にかけてインド・ボーパールで発生したメチルイソシアネート(MIC)の漏洩事故を主題にしたノンフィクションである。出版後4週間して、フランス・ノンフィクション新刊部門のトップになり、そして、フランスでは16万部を売り(スペイン15万部、イタリア14万部)、報道出版賞を受賞したということである。
 この事故の直接原因は「MIC配管を水洗していた水が、錆などとともにMICの貯槽のひとつに流れ込み、発熱分解反応を起こした」と記述している。そして、根本原因に繋がるそのときの状況が説明されており、整理するとつぎのとおりである。

1.工場の生産停止から1か月以上経っていたにもかかわらず、3基ある貯蔵タンクうち2基には合計63トンのMICが貯蔵されていた。本来は、工場停止の段階でMICを処理し、タンクは除害の処置を済まして置くべきであった。

2. 貯蔵タンクは、0℃付近に冷却して管理することになっていたが、冷却設備は1ヶ月以上も運転されていなかった。その結果、MICは大気温度(約20℃)になっていた。

3. 除害塔とフレアは前の週から保守工事のために解体されており、運転できる状態になかった。

4. 貯槽タンク内温度の警報装置は電源が切られ、機能しない状態になっていた。

5. タンク周囲のMIC配管の水洗作業をやるとき、貯槽タンクとの縁切りは、バルブを閉じただけであった。本来、仕切り板の挿入などを行い完全に縁切りをすべきであった。

6. 設備の維持管理状態が適切でなかった。

7. 多くの住民が居住する地区のすぐ近くにMICを取り扱う工場を設立した。

これらは、運転管理、設備管理および工事管理に問題があったことを示している。また、著者は、この会社の組織・安全文化面の問題点についても繰り返し記述している。
 多数の地域住民が死亡した保安史上最大級のこの災害が発生して約20年になるが、「事故の教訓」を再認識した。また、ジャーナリズムの視点から描かれたインド市街地周辺の社会状況はリアリテイーに富み大変おもしろかった。

第43号 「Good Luck」と言うために

<三菱総合研究所 野口和彦>
今年の1月から3月までの日曜日は、21時からTBS系で「Good Luck」を観るのが楽しみであった。この番組は、視聴率30%を超えるお化け番組であり、主演は木村拓也であった。
この手のトレンディドラマは、基本的には観ないのであるが、この番組は面白かった。
何が私を引き付けたのか。
この番組に出てくる男達が格好良いのである。この番組は、パイロット達の物語である。従って職業ももちろん俳優も見栄えが良いのであるが、私がこの男達を格好良いと思ったのは、別の理由による。それは、男達の責任感、自分の持つ操縦桿に500人の命を預かっているという使命感を持ち働く姿が、格好良いのである。自分の体調、乗客の精神状態や体調に対する気遣い、同僚との協力と信頼、先読みによる対処、あらゆる面でプロの姿が見受けられる。
我々が働くとき、このような緊張感とプロ意識を持って働いているであろうか。
日々の仕事における安全の確保にとって、責任感と緊張感そして仕事への誇りが如何に大切かをこの番組は教えてくれる。
この番組のDVDは、安全意識の向上に有効である。安全担当者は、経費でこのDVDを買っても、会社に決して損はかけないはずである。
少なくとも安全関係者は是非一度ご覧下さい。
では、Good Luck!

第42号 鉄腕アトムの時代

<科学警察研究所>   中村 順
平成14年に起こった爆発事故は新聞記事を整理してみると33件であった。それ以降も爆発事故の件数は減らないが、それ以上に気になるのが、同様の事故が繰り返し起こっていることである。
携帯電話に使用されるマグネシウム合金枠の研磨作業における粉じん爆発事故、産業廃棄物にかかわる事故、たとえばスプレー缶の廃棄によるLPGガス漏洩爆発事故、放射線取扱事業所における混触爆発などである。 ここ数年繰り返し発生をみている事故や、あるいは重大な事故を起こし、注意が喚起されているにもかかわらず再び起こすなど深刻である。またかってそれ程多くなかった火薬工場における爆発事故も最近多くなったようにみえる。
こう書いているときにも鹿児島で近年最大の花火工場の爆発事故が発生した。
個々の事故原因はさまざまであるが、過去の貴重な事故事例を他山の石としないで対岸の火事としてしか見ないのだろうか。あるいは、法的に規制でもかけない限り安全対策に取り組む気がないのかと考えてしまう。
平成15年4月7日は鉄腕アトムの誕生日である。かって21世紀は鉄腕アトムの時代であり夢と希望に満ちているように見えた。ところが21世紀に入ってから起こっているこの世の中の出来事は、その希望がむなしいものであったように思える。絶望的なのだろうか。いや、かっての希望がむなしいものであれば、また絶望も虚無である。
業績のV字型回復を果たした自動車会社の社長の異名は「コストカッター」だそうであるが、彼がコミュニケーションを大切にして社員のやる気を出させたことが評価されている。社員のモチベーションの高さが会社の復活を成し遂げた原動力だといわれている。安全がV字型回復とはいかないかもしれないが、こうしたことに携わる人のモチベーションは決して低いことはないと考えている。