セーフティー・はーと
第67号 安心な社会への進歩
和田有司 <(独)産業技術総合研究所 爆発安全研究センター>
同時多発テロ以後の社会に対する不安の裏返しであろうか,「安心な社会」というキーワードがよく聞かれるようになった。「安心な社会」とはどんな社会であろうか。
同時多発テロ以後の社会に対する不安の裏返しであろうか,「安心な社会」というキーワードがよく聞かれるようになった。「安心な社会」とはどんな社会であろうか。
「安心」=「心が安らか」であるからには,きっといろんな心配事がなくて,住民は何も心配しなくても安全に暮らせる,そんな社会のことであろう。もちろんこれは理想にすぎない。今の日本が「安心な社会」である,と思っている人はまずいないであろう。しかし,安心ではない社会,すなわち,危険と隣り合わせの社会に暮らしていながら,自分だけは安全,と思いこんでいる人は,決して少なくはないようである。六本木ヒルズの回転ドアの事故以後,同様の子供の被害として児童公園の遊具による事故が盛んに取り上げられている。昨年の安全工学研究発表会で警察関係の方が遊具の事故調査事例を発表されていた。私はこうした事故例はどんどん世間に公表していただきたい,とお願いしたが,期せずしてマスコミに取り上げられている。多くは管理責任を問題視しているようであるが,それだけでよいのであろうか。先日,近所の児童公園でブランコが動かないように固定されているのを見かけた。これならブランコにぶつかって怪我をする心配はない。しかし,これが真に安心な社会への進歩なのであろうか。安心な社会は,何が危険かを認識することから始まるものであると思う。動かないブランコから動いているブランコと隣り合わせの危険を知ることは困難なのである。