セーフティー・はーと

第81号 再び!ボパール事故を考える

若倉正英
1984年12月,インド中部の都市ボパールの化学工場から,猛毒のイソシアン酸メチルが漏れだした。その蒸気は工場周辺を一夜にして死の街へと変えてしまった。
2004年12月の同じ日にインドの工業都市カンプールで,このボパールの悲劇を記念し,安全を祈念する国際的な化学安全会議が開かれ,世界26カ国の安全専門家が,そして日本からも十数名が参加した。そこで知らされた事実は,我々の想像を超えるものであり,化学安全の重要性を強く認識させるものであった。

ボパールはインド最大の湖であるボパール湖を取り囲むように発展した,美しいモスクをもつ城壁都市であった。会議の後,この街を訪れた我々を案内したタクシードライバーが,湖畔の高台からボパールの美しい場所を次々と紹介した後で,事故現場付近を指差して「あのあたりはまだすごく危険で,自分も家族も絶対近づかない,その広さは街の1/3にもなるんだ」といって言葉は,化学事故がその処理を誤ると,市民の信頼を長期間喪失させるものだと感じさせたのだった。

そして,年末のスマトラ沖地震・津波で大きな被害を受けたインド・チェンナイには,ボパール事故を契機につくられた,インド唯一の化学プロセスの安全研究セクションがある。

昨年12月に我々が訪問し,これからの交流を約した人々の津波による安否はまだ確認されていない。