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第87号 F君の思い出
投稿日時 : 2005/03/12
事務局
西 茂太郎
33年前の冬,私は有為な後輩F君を事故で失いました。極く身近な同僚を失ったのは後にも先にも彼だけです。「今度の土曜,日曜は夜勤明けの連休ですので,故郷の宮崎からフィアンセが遊びに来ます。
33年前の冬,私は有為な後輩F君を事故で失いました。極く身近な同僚を失ったのは後にも先にも彼だけです。「今度の土曜,日曜は夜勤明けの連休ですので,故郷の宮崎からフィアンセが遊びに来ます。
西さんの家へ連れて行って良いですか」,「もちろん良いよ」という会話を交わしたあくる日の出来事でした。ある圧力機器が破裂し,爆風で飛ばされてしまったのでした。その圧力機器には安全設備がきちんと装備してありませんでした。この事故を教訓に徹底した事故原因の究明がなされ再発防止の対応が取られました。設計基準にまで反映されました。良く「今ある基準は尊い人命と引き替えに定められたものでゆめゆめおろそかにしてはならない」と言われます。まさにこのことを自ら体験している訳です。あの日,F君が病院へ運ばれていく途中で見た横たわった彼の姿が眼に焼きついています。打ち身で黒ずんだ大腿部が生々しく浮かんできます。このことを契機に安全について真剣に考えるようになりました。NHKの朝ドラ「わかば」を見るたびに思い出します。F君が良く唄っていた「峠越えれば霧島の山の青さが目にしみる・・・・・」の歌声と共に。「西さん,元気にやっていますか,ご安全に!!」彼の声が聞こえます。