セーフティー・はーと

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第21号 明石歩道橋事故に想う

(株)三菱総合研究所 客員研究員  坂 清次
昨年7月、花火大会の雑踏で死傷者280名を出した歩道橋事故は、幼い子どもを含む11名の方が亡くなるという痛ましい惨事であった。
事故は予見可能であり、雑踏警備に不備があったということで、警察官を含む署、市、警備会社の当時の幹部12名が書類送検された。折しもワールドカップを控え、フーリガン対策など話題を呼んでいるが、保安面から考えてみることにする。警備計画と当日の群衆雪崩に至る当時の緊急事態との両面があるが、ここでは警備計画に焦点を当てる。
 主催者の明石市が警備会社に作らせた警備計画書が、前年に開かれた年越しイベントの計画書の丸写しであったことが分かった。実はそのカウントダウンイベントそのもので、現場で大きな混雑が発生していたのである。警備会社も丸投げした市も警察署もそのことを忘れていたのであろうか。イベントの反省会で問題点が浮かび、報告書が残されていたらと悔やまれる。お互いにまずいことは、消去されたのであろうか。神様ではないわれわれが、精いっぱい出来ることは過去に学ぶことである。もっと手短には、PDCAサイクルを回すことである。それもリスクは必ず存在するという、素朴な感覚が出発点である。この事故から学ぶところは多く、関連した情報も多数公開されているので他山の石としたい。
ご安全に   

第20号

大島 榮次  <安全工学協会 会長>
最近、浜岡原子力発電所の水素爆発の事故を始めとして、高圧ポリエチレンプラント、ナイロン紡糸プラント、石油精製の脱硫プラントなど、と幾つかのプラントの事故が発生しております。
 幸いどの事故も人身に被害はありませんでしたが、社会的な不安を引き起こした点の責任は免れません。 しかし、日本のプラントの安全性は国際的に見て、非常に高い水準にあることが統計的には示されております。 米国のある保険会社の人から、何故日本ではプラントの事故件数が少なく、しかも事故の規模が小さいのかと尋ねられたことがあります。 現場をまもるオペレーターが優秀であるということは大きな原因であると言うことが出来るでしょう。 しかし、いまだに失敗が散見されるのは残念なことであります。 最近の事故の原因を見ると、従来の安全管理技術の裏をかくような、想像し難かった状況で事故になっている例が多いようです。 言い換えれば、今では当たり前の事故は起こさない技術水準に達しており、これから起こるのは難しい事故ばかりということにになるのかも知れません。 風邪のビールス退治のように、事故は常に皮肉な条件で起こるので、絶えず新たな取り組みが求められということでしょう。

第19号 失敗知識の活用研究が始動

神奈川県産業技術総合研究所  若倉 正英
「失敗は成功の母」と言われているにもかかわらず、わが国には失敗を恥とする風潮があり、それが事故を隠蔽し類似事故の発生を招いたり、時には積極的技術開発の足かせにすらなってきた.
さらにはH2ロケットや臨界事故など、我が国の科学技術に対する信頼性が揺いでいると自覚した(?)文部科学省は、昨年度から工業技術分野での失敗経験の積極的活用を目指して研究プロジェクトをスタートさせた.対象となる技術分野は建設、機械、材料そして化学物質・プラント分野である。それぞれの分野で多くの失敗事例を収集・解析して、失敗知識を体系化しようとするものである.一方、化学物質・プラントの分野では過酷な開発競争や企業企業秘密の壁があり、同時に化学物質に対する厳しい市民の視線が存在する.市民が化学物質と安心感をもって共存するためには化学物質のリスクに関する社会的コミュニケーション、その基礎となる企業の安全活動やリスクを正しく認識するための社会教育や公的教育の充実が不可欠である.
 失敗知識の活用研究はそれだけで単独で存在するのではなく、安全に関する多様な工学的研究、リスクマネージメントに対する取り組み、生産活動から生じるリスクの社会的受容性のあり方など結びついた、21世紀の安全の中核研究として考えるべきなのではないだろうか.

第18号 「安全文化」と保安管理

野田市   平田勇夫
チェルノブイ発電所の原子炉事故以降、世界の原子力発電の分野で安全文化の論議が行われるようになったが、1990年代後半まで日本国内ではあまり論議されていなかったように思う。
東海村での臨界事故、H-Ⅱ打ち上げ失敗などを契機に、政府が「事故災害防止安全対策会議」を開催(1999年秋)し「安全文化」の創造を取り上げてから、国内の原子力以外の産業分野においても注目されるようになった。このような流れの中で2000年末高圧ガス保安協会が「安全文化研究会報告書」を発行し、INSAGがまとめた安全文化の8つの要件(1991年)などについて敷衍している。その部分を読むと「安全文化」は保安管理そのものであることを痛感する。前者を後者(OSHAのPSM規則など)と対比して例示するとつぎのとおりである。
  1. 相互の確実、密接なコミュニケーション⇒「安全に関する情報の収集と教育」及び「事故調査・報告」
  2. 的確な手順の作成と厳守(学習の文化)⇒「操作手順の作成と周知徹底」
  3. 安全活動に対する厳格な内部監査(自立の文化)⇒「内部適合監査」
  4. エラーを率直に報告できる雰囲気作り⇒「事故の調査・報告」
「言わずもがな」のことを述べるが、これらの要件の基底には組織問題としてのヒューマンファクターの取り組みが含まれおり、上に例示した対比は機能的な保安管理システムの構築には、その組織において「安全文化」を醸成することが不可欠であることを示唆している。
最近保安関連法規・基準の性能規定化などが進められているが、わが国における安全管理が新しいパラダイムへの移行を始めたと見ることができる。これを実り多きものにするためには、関係者が「安全文化」の醸成について論議を深め、社会と安全を共有できるパラダイムを創造していく努力が必要であり、その責務を認識して対応することが重要である。

第17号 リスク把握の技術について

(株)三菱総合研究所 野口和彦
リスクを把握するためには、リスクの持つ2つの要素、すなわち影響の大きさと起こりやすさ(発生確率)を求める必要がある。
まず、影響の大きさの算定には、以下の項目が使われる場合が多い。
リスク把握の技術について
 リスクを把握するためには、リスクの持つ2つの要素、すなわち影響の大きさと起こりやすさ(発生確率)を求める必要がある。まず、影響の大きさの算定には、以下の項目が使われる場合が多い。
  1. 各リスクの指標:労働災害リスクでは死傷者の数、環境リスクでは汚染の範囲とレベル等
  2. 金銭換算した値:影響の大きさを金銭に換算したもので、その金銭換算には以下の項目が含まれる場合が多い。
    ① 人的被害
    ② 環境被害
    ③ 生産被害
    ④ 損害賠償
    ⑤ 対策費の増加
    ⑥ 機会損失
    ⑦ 生産の減少等
  1. 社会的信頼性:企業の社会的信頼性が低下することをリスクと見る考え方であり、直接の物的・人的被害が無くとも企業活動に大きな影響を与える場合がある。
次に、起こりやすさ(発生確率)であるが、この指標は以下の方法で求められる場合がある。
  1. 安全理論による解析
  2. 統計手法
  3. 経験による評価
  4. 他事象との相対比較 等
これらの指標は、数学的な確率で表されることが求められているわけではなく、頻度やランク分類(大、中、小等)でも、問題無い場合がある。さらに、評価者の主観的価値を排除したい場合は、評価対象となる事象を以下の事実関係で整理して、起こりやすさの指標とすることが可能である。

表 現状の知見で起こりやすさを評価する場合の例
起こりやすさ
現状の知見
良く起きる
現在起きている
時々起きる
過去に経験したことがある
起きる場合もある
自社では経験していないが、日本で起きている
めったに起きない
日本では発生していないが、他国では発生している
起きる可能性は極小である
理論上可能性がある

第16号 インターネットによる事故情報

科学警察研究所 中村順
化学物質にかかわる爆発事故の発生を自宅で知り、とりあえずその物質についてインターネットで検索してみたところ、MSDS(化学物質等安全データシート)を始めとして、火災爆発危険性や、過去の事故事例、関連法規などを見つけることが出来た。
中でも海外、特にアメリカの機関の報告書(例えばChemical safety and hazard investigation board)などからは多くの有益な情報を得ることが出来た。
「セーフティー・はーと」を読まれておられる人なら、こうしたことは当然のことと思われるが、事故の調査をしてみて、過去の教訓が生かされていないことを見ることも珍しくない。最近の傾向として、数年以上前や、海外で起こった同種の事故原因が繰り返されることがあげられている。昔は、事故事例の収集は困難で専門家の記憶にたどるようなところがあったが、現代では、インターネットを通じて容易に得ることが出来る。過去の事例は決して大きな事故だけをいうのではない。安全弁から吹き出しただけで終わったものや小規模な発火事故も重要である。そこには大事故につながる潜在危険性が示されている。異種の溶液を試験管で混ぜた際に、炎をあげて激しく燃える組み合わせは、混合危険と認識されるが、ステンレス製の大きなタンク内で同じ反応が起こったときのすさまじさに思いを致すべきである。事故データベースの充実と共に、集めた事例の検討分析を行い活用されることが必要である

第15号 絶対安全からリスク評価安全へ

システム安全研究所 高木伸夫
「絶対安全」は「リスクゼロ」と同義語であり、リスクがどんなに小さくても、また、社会にどんな便益をもたらしても許容されないことを意味している。絶対に安全な世界は現実には存在しないし、また、科学的にも実現不可能である。
欧米においてはリスク概念に基づき社会的合意を形成することが古くからなされているが、日本においては絶対安全の考えが長い間浸透しており、リスク概念の取り込みが未成熟であった。しかし近年、情緒的な「絶対安全」議論から抜け出すべきだという動きが進展しはじめている。たとえば平成12年2月に日本学術会議から報告された「安全学の構築に向けて」において、“安全を議論し、それを有効なものとするためには、「絶対安全」から「リスクを基準とする安全の評価」への意識の転換が必要である。”としている。この提言と平行するように官民においてリスク評価あるいはリスクアセスメントに対する関心が高まり種々の研究や検討会が開催され始めている。ようやく山が動き出したという感がある。
 先日、リスクアセスメントと社会的合意形成に関するミニシンポジウムに参加する機会を得た。危険な施設の立地あるいは行為を実施する際には、その実施主体、関係当局、市民団体を含めた合意形成が必要となるが、それぞれが異なった価値観を有しているため容易ではない。米国においては解決への方向性と合意形成を見出すにあたりメディエーター(Mediator)あるいはファシリテーター(Facilitator)とよばれる調停役が重要な役割を負っているときいた。調停役は中立でなければならず、また、当事者からの信頼・信用は不可欠であり、そのためには何回ものまた長期間にわたる議論をとおして信用を獲得していくとのことである。我が国においてもリスク概念に基づく安全性の評価が浸透した際にはこのような調停役が必要になることも考えられる。このためには、リスク評価の技術的側面だけでなく合意形成にあたっての社会科学的研究も重要になってこよう。

第14号 牛肉すり替え事件に思う

平成14年1月29日  西郷 武
「安全工学」Vol.40,No5(2001)の巻頭言に、“安全知識基盤の整備と安全工学の再構築”と題して田村昌三先生の安全への提言が掲載された。セーフティ・はーと4号に横断的な安全工学体系の早期確立を提言した者として誠に同感である。
安全工学協会を軸に産・官・学が一体となって安全の理念と方法論を具体的に展開して安全な社会が定着することを望む。
 1月23日付夕刊各紙が牛肉すり替え事件を一斉に報道した。雪印食品が狂牛病対策して実施された国産牛肉の買い上げ制度を悪用して、輸入牛肉を国産と偽って買い取らせていた。
 これは偶然に発生した事故ではなく、故意に仕掛けた悪質な事件であって内部告発がなければ明るみに出なかった。背筋が寒くなる思いがする。
 企業が利潤を追求するのは当然であるが、ルール違反を承知で組織ぐるみで実行することは一体どういうことなのか。企業活動のモラルが問われる。特に狂牛病の発生で畜産農家や食肉業界が辛酸をなめ、消費者も自己防衛に苦慮している矢先に生じたものであり、この行為は社会に対する挑戦とみなされても仕方がない。フェアーでない企業は消費者の冷静な審判を受け市場から退場させられるのもやむを得ないと思う。
 本事件は安全工学以前の問題であって、社会に共生していくための基礎的なモラルの問題である。ルール遵守を家庭教育、学校教育、企業教育、社会教育などの仮定で醸成させなければならないと思う。

第13号 ルート・コース

横浜国立大学大学院工学研究院  小川輝繁
事故調査では、直接原因を明らかにするだけではなく、事故を引き起こした背景について分析し、根本的な要因(ルート・コース)を明らかにし、これにメスを入れなければ十分な安全対策とはなりえない。
かつては直接原因だけを明らかにして再発防止対策を講じることが一般的であったが、最近ではルート・コースの撲滅の重要性の認識が次第に浸透してきている。しかし、最近の事故の再発防止対策をみると、事故に結びつくハード面の改善、ルール違反防止や安全意識の向上のための教育、マニュアルの不備の是正、類似設備、施設への水平展開などが中心で、根本的なルート・コースに踏み込んだものはほとんど見られない。事故や問題が起こった場合は原因究明においてルート・コースを明らかにして、事故防止のための体質改善を実施しなければならない。
企業や事業所の安全文化・倫理の不備がルート・コースになることが多い。これは企業や事業所の体質・風土、経営姿勢、職場環境、技術力、組織、リスクマネジメントシステムの機能と有効性等の問題である。
安全を確保するためには、事故や問題起こった場合だけではなく、日頃からルート・コースになりうる要素がないかを検討しておく必要がある。

第12号 これからの安全技術のあり方

飯塚義明 (三菱化学㈱ STRC 環境安全工学研究所)
月並みですが、先ずは、新年明けましておめでとう御座います。穏やかな元旦の中、休み明けにある2002年度のプロジェクト案件の説明資料を作成しています。
我々のような企業の安全技術者(科学者)が注力すべきターゲットとは何か。
日本では、二つの流れに沿って思考の展開があるように思えます。一つは、新しい科学技術とそれに関連する産業の安全を事前にどのように安全性のアセスメントが行えるか、です。従来、新しい分野への安全科学の展開は、大きな災害が発生後に研究が開始されることがほとんどでした。新しい科学技術における災害防止には、個別論でなく、いろいろな分野に共通する安全科学の発展が必要です。もう一つは、時代に取り残されつつある石油化学を中心とした巨大装置産業の安全管理です。基本的には、この産業分野の運転、保守における安全は、かなり完全に近い状態で管理が進んでいると思います。問題は、主流でなくなっていくこれらプラントの安全管理のあり方です。これまでの培ってきた技術、知識の伝承が不十分な場合、常識が常識でない状況が生まれます。個別企業だけでなく、当協会のような安全に関係する学会がバックアップする体制があっても良いような気がします。

第11号 タンク火災の消火戦術

西 茂太郎(出光興産(株)安全環境室)
去る12月3日から8日まで米国テキサス州ボーモント市を石油連盟関係者16名と訪問しました。
当地のラマー大学の消火訓練場で、石油連盟が日本における導入を推進している大容量泡放水砲の実証試験を行ない一応の目的を達成することが出来ました。

一方で、私にとって常識を覆す貴重な体験・見聞をしたのでいくつか紹介したいと思います。
① 日本では油タンクの火災を消火する時、泡消火剤を前方のタンク側壁に当てるようにして油面を泡で覆うことを戦術としているが、米国では泡は30mしか広がらないことを考慮し、タンク中央部に泡を放射する方法を取っている。
② タンクのリング火災が発生した時、米国では消防士がタンクの屋根の上に登って消火することもある。日本では消防士の安全を考慮してまずそういうことはしない。
③ 米国では放水砲の中に水と泡とドライケミカル(粉末消火剤)を混ぜて3次元火災までをいとも簡単に消火してしまう。水と混合してドライケミカルを使用するので飛距離も伸びる。風の影響も少ない。
④ 日本においては油タンクで火災が発生した場合、先ず当該タンクに入っている油を空いている別のタンクにシフトすることを考えるが、米国では油面より下の部分の損傷を防止するために可能な限り残すことを考えている。
等々です。
 米国における火消し屋は、このような消火戦術を彼らの実体験を通して体得し、実用的な防災資機材の開発まで行なっていました。彼らの自由なしかも実用的な発想に対して感心すると同時に何故日本において同様なことが出来ないのだろうか?これも仕様規定の弊害の一つではないかと改めて思いました。
ところで、我々16人は、テロの最中に良く来たということでボーモント市長より名誉市民の称号を貰って無事帰って来ました。

第10号

安全工学協会 会長 大島 榮次
安全に関する法規制については、対象となる危険物質を扱っている所にとっては直接的な関心事ではありますが、国際的にはかなり以前から、また我が国ではこの数年来、その考え方が変わりつつあります。
 象徴的には、機能性規格化という言葉で言われるように、強制法規においては、安全に関して満足すべき条件を示すに留め、それを実現する方法は直接の担当者である企業が責任をもって決定するという考え方が採用されつつあります。 その結果としては、法規制は緩和されるように見えますが、他方それだけそれぞれの事業所の自主保安の責任が重くなることを意味しております。 法規制が求める条件を満足させる具体的な方法として示されるのがJISやASMEのような技術基準ということになりますが、それとても一つの例に過ぎず、他の基準を採用しようとすれば、示された技術基準と同等あるいはそれ以上に安全性が確保されることを証明することを前提に、独自の基準に従うことが認められるのが最近の外国、特にヨーロッパでの考え方になっています。 やがて我が国でもこうした考え方が実現することになりますが、そのためには各企業が独自に保安の技術を研究して自主保安を全うする責任が求められることになるでしょう。

第9号 廃棄物問題の逼迫と安全工学の責任

神奈川県産業技術総合研究所  若倉 正英
廃棄物の処理は長い間焼却と、海洋投棄や埋め立てという自然の浄化能力に依存してきたが、瀬戸内海上に浮かぶ「豊島」や所沢のダイオキシン問題などでその限界を露呈した。そして、行政もようやくのことで腰を上げた。
容器包装リサイクル法、家電リサイクル法、建設リサイクル法、食品リサイクル法など様々な法整備を始めている。しかしよく考えるとこれらはみんな、問題点を廃棄物処理業に押しつけているのではないかとも思えるのである。
 また、廃棄物の処理工程では一般廃棄物、産業廃棄物を問わず労働災害の発生率が高すぎるという指摘がある。労働災害の発生度数率は全製造業の平均値を7~8倍も上回っていて、ここ数年は現象の兆しさえみえていない。同じように労働災害の多かった鉱業や林業がそれなりに安全になりつつあるのに、どうにしてなのかが今ひとつはっきりしないし、すぐにもどうにかしなければならないほどの水準である。さらに、怪我人がでないため労働災害として統計にのらない火災や爆発の件数は,減るどころか増え続けているともいわれる。産業サイクルの下流に位置する産業廃棄物処理施設が事故によって停止することによって、生産活動全体が阻害されかねない事態も発生している。
さらに廃棄物の輸送や貯蔵、処理の工程で起きる火災や爆発は人の健康に悪影響を及ぼしたり、環境を汚染する物質が放出される可能性も高い。それが産廃施設への不信感を増幅させ、建設反対訴訟の多発など市民社会との共存の妨げともなっている。

 我々日本人は赤ん坊まで含めて毎年3トン以上の産業廃棄物を排出しながら、快適で便利な生活を享受している。現在の生活水準を維持するために使われたものが廃棄物となり、社会の安全と安心を損なう凶器にもなりかねない、ということでもあるのだ。
 事故が多いのは産業として未成熟で人材が十分に育っていないとか、低コストでの処理を強いられるため、本質安全化を進めるための安全化装置を導入することができない、という意見もあるがそれだけではないだろう。廃棄物を取り扱う様々な工程の安全化には、安全化機器の導入だけではなく、物質危険性の簡易な予測手法の開発・標準化や安全化システムの構築などが必要であるが、雑多な廃棄物が流れ込み様々な処理技術が群雄割拠する今、それは容易くはないだろう。

 取扱者の立場からすると、廃棄物を安全かつ適正に処理する上で最も重要なのは、処理するものの内容がはっきり分かっていることだという。特に産業廃棄物には様々な有害、危険物質が混入される可能性があり、情報の提供に対する排出事業者の責任は大きい。

 公害として騒がれた鉱工業生産に伴う地域環境汚染、そしてやオゾンホールやダイオキシン、地球温暖化、環境ホルモンなど地球規模の環境問題が起こるにつれて、近代の工業技術が本当に人類を幸せにするための道具になったのか、という議論が起きている。高度工業社会の大きな技術課題である廃棄物にこそ、安全工学に携わる技術者、研究者がまとまって考え社会に貢献するべき課題があるはないだろうか。

第8号 情報開示について思うこと

野田市 平田勇夫
最近、PRTR法や情報公開法の施行を受けて、情報開示に関する論議が盛んである。
PRTR制度の仕組みは米国のTRI制度とほぼ同じと思われる。TRI制度は、米国の「緊急時計画及び市民の知る権利法」(Emergency Planning and Community Right-to-know Act)という法律に規定されている。
この法律は、1984年インドのボパールで起きた潜在危険物質の漏洩事故が地域社会に甚大な被害を与えたこと、また大きな災害にはならなかったものの類似の漏洩事故がその後米国内で起きたことを受けて1986年に制定された。

この法律は、つぎの4つの大きな柱で構成されており、MSDSの提出や漏洩の報告を義務付けるとともに、これらの情報を受け取り伝達する体制を整備することを規定していることに注目したい。
・ 州、地域に緊急時対応の委員会を設置すること。
・ 潜在危険物質を漏洩した場合、州と地域の緊急時対応委員会に通報すること。
・ 物質安全データシート(MSDS)のリスト等を緊急時対応委員会及び消防本部に提出すること。
・ 潜在危険物質の排出・移動について報告を提出すること(TRI)。
  
MSDSなど潜在危険物質の情報開示は、専門家は内容を理解できても、地域住民にはそのままではなかなか理解し難いと思われる。情報開示の本来の目的は「地域の住民に情報を提供する」ことであり、この点がもっと大事であり、工夫がいるような気がする。
米国では地域の住民に対して地域の緊急時対応委員会が説明会、緊急時対応訓練、啓蒙活動などを活発に行っている。この委員会は、住民代表、地元自治体の代表、地元各企業の代表、地元医療関係の代表など地域のいろいろな分野の人達で構成し、これらの人々が協力して活動している。情報は、緊急時対応委員会を通して住民に伝達できるので、住民の理解しやすい方法で、しかも普段接する機会の多い人達から受信することになり、企業が直接発信する場合よりも受け入れられ易いものと思われる。わが国においても真の情報開示、地域への木目細かい情報発信を行うためにはこのような体制の整備もひとつの方策かと思われる。

ところで、9月11日に米国で起きた同時多発テロを受けて、「情報開示のあり方」を見直す動きが出ている。米国環境保護庁(EPA)のリスク管理プログラム(RMP)規則施行開始の時から潜在危険物質に関する情報開示とテロの危険が論議されて来た。そして一部のRMP情報の開示が制限されたが、最近、EPAは潜在危険物質の情報を掲載しているいくつかのインターネットサイトを閉じる方針を発表している。
今日に至ってテロの心配は一層大きくなっている。(9月21日南仏の肥料工場で起きた大きい爆発事故の原因は、一部でテロ説も取り沙汰されている。)本来、情報公開は善良な市民に情報を提供し、安心を感じてもらうためのものであるが、このような状況になって来ると逆な結果にもなり兼ねない。難しい世の中になったものである。

第7号 これからのリスク管理に必要な広範囲なリスクの把握

(株)三菱総合研究所 安全科学研究本部   野口 和彦
~シュアティという概念の紹介~ 
最近の大きな自然災害による地域の危機や企業・組織の不祥事もからんだ危機の連続により、リスク管理の重要性の認識に関しては定着した感がある。
また、米国の同時テロの事件も発生し、あらゆることが起き得ることが実感となってきた。
 リスク管理を大きく分類すると事故や災害による直接の被害を主な対象とした場合に防災と呼ばれ、組織全体の問題として捉えられた場合、危機管理と呼ばれる場合があり、リスク管理も縦割りの状況である。
 また、これまでのわが国のリスク管理の特徴を考えてみると、業界によってその常識と対象が限定されていた。これまでの事故対応や防災では、人間のミスは前提としていても、人間の悪意は前提としていない。一方、セキュリティに力を入れているイベント関連分野等では、災害等に対する対応が充分とはいえない。
 ここで、確認しておかなくてはならないことは、防災という視点でも、危機管理と言う視点でも、事故の原因は特に限定しているわけでは無いということである。今後の社会情勢を考え合わせた時に、この前提をいつまでも踏襲していられる状況ではない。
 機器のトラブルや自然災害をその原因とするセイフティという概念と主に人間の悪意に対処しようとするセキュリティの双方を含む概念としてシュアティと言う概念がある。
 これからのリスク管理を考えると、セイフティやセキュリティというどちらかの概念だけでは、組織は守れない。シュアティとう概念によるリスク管理が必要な時代である。
 自分は、どのようなリスクに対処するかという問題を、野球とサッカーという二つのスポーツの守備を通して考えてみる。
 まず野球の守備の特徴は、その守備範囲が限定されていることである。三塁手がライトにあがったボールを追いかけることはない。一部ベースカバーや中継という形で本来のポジションを移動することはあるが、これも限定的である。この守備の考え方は、打球がバターボックスからしか飛んでこない野球というスポーツでは、合理的な体系といえる。安全の世界でも、事故や事件の原因が予測の範囲で、さらにその対応組織も確立されている場合は、組織安全における自分の対応範囲を限定しても問題は少ないし、合理的でもある。
 しかし、この安全対応における立場や守備範囲の固定は、これまでに予測していなかった状況に関しては、対応できない場合がでてくる。
 この時に参考になるのが、サッカーの守備の考え方である。サッカーも11人の仕事の分担は、フォワード、ミッドフィルダー、ディフェンダー、ゴールキーパーとわかれているが、キーパー以外は、状況に応じてその時々の役割分担が変わってくる。サッカーの守備において、最大の目標は点数を入れられないことであり、そのためには、守備の人がいない空間(オープンスペース)を極力少なくするために、11人が必要な場所をカバーしていく。
 今の社会安全に必要なことは、各自が自分の守備範囲を決めてその立場に固執することではなく、組織や社会の目的を達成するために、気づいた問題点を気づいた人が改善する情熱と責任を持つことであり、そのような活動を是とする価値観を社会や組織が持つことである。
                                   

第6号 大災害

<中村  順>
昨年、わが国では化学工場、火薬工場での大きな爆発事故を経験し、また比較的に工場災害の多い年であったように思う。
それに比べて今年は、穏やかで、こういう時にこそ、足元を見直してと考えていた。ところが、米国における同時多発テロは、あまりに悲惨であり、しかも今後も世界に対して大きな混乱をもたらすことが予想される。そしてこの災害がニュースのほとんど占めているときに、フランスのツールーズ郊外にある化学工場AZFで大規模な爆発事故が発生した。まだ詳細は不明であるが、死者29名、負傷車700名で、直径50m、深さ15mのクレーターが生じているという。硝安を製造している工場とのことで過去の大きな爆発事故を思い出させる。しかもこれが化学薬品の混合ミスといわれており、さらに爆ごうを起こす可能性のあるものを一挙に爆発させる貯蔵方法なり停滞量があったわけで、これも驚くべきことである。
こうした災害は、直接、間接に日本に影響を及ぼしてくるであろうし、また、日本でも起こりうることである。安全に関しても、他国でのこうした災害に対して一人一人が深く考える必要があるであろう。

第5号 安全マニュアルの風化防止を

<システム安全研究所 高木 伸夫>
世の中マニュアル社会である。業態に応じて多種多様なマニュアルが存在する。ファーストフードチェーンの多くでは注文したもののほかに、これはいかがですか、これもいかがですかとうるさいほどの同じ問い合わせに会う。
同系列のチェーン店ではどこに行っても同じ笑顔で迎えられる。マニュアルどおり対応である。アルバイトを使い、大量にものをさばく業界にあっては、個人の能力に期待することは避けマニュアルに従った受け答えをするほうが効率的であるし、マニュアルから若干外れた対応をしても決定的なミスを防ぐことはできるであろう。それでは産業分野における安全に関するマニュアルはどうか。装置産業では事故を教訓として安全作業マニュアルが作成されることが多い。事故の悲惨さを覚えている間はマニュアルが作成された背景を誰もが理解しているためマニュアルは遵守される。しかし、年月が過ぎ、マニュアル作成に携わったベテランが職場から去り世代交代が起るとマニュアルの風化が始まりやすい。面倒だからこのステップは省こう、これくらいなことなら問題ないだろうと手抜きがなされ、これにより事故が発生する。JCOの事故もこの要素を含んでいる。安全マニュアルからの逸脱は取り返しのつかない事態に発展する危険性が高い。マニュアルの風化防止が必要である。そのためには、安全マニュアル作成の背景、マニュアルに記述されている内容それぞれの意味を定期的に教育していくことが必要といえよう。

第4号 セーフティー・はーとによせて

(2001年8月22日  西郷  武 )
昭和30年頃 横浜国立大学教授 北川徹三先生が安全工学の重要性を世に問うて すでに四十数年が経過した。
当時、わが国では戦後初めて石油精製工場の運転が再開され、石油化学工場の操業も始まり、これらの工場で発生する爆発・火災の防止・軽減のために安全工学が必要であった。発足当初は化学安全工学であったと思われる。その後高度成長時代に入り、自動車事故による死亡者の増加、大量生産大量消費による廃棄物の問題、大気汚染による公害問題が発生し始め安全工学の検討課題も広がった。最近生じた航空機の墜落事故、原子力発電所の関連事故、医療事故、ダイオキシンの問題などは一般市民にまで影響を及ぼし社会問題となっている。また、二酸化炭素の増加は地球全体の環境破壊につながり、従来のリスクとは質が異なる。安全工学誌上に安全文化に関する論文もみられるようになり、各種機関による安全の本質についてのシンポジウムが盛んに開かれている。安全学とか失敗学など安全に関する科学哲学の提案もみられる。各分野に共通した安全に関する学問体系の確立が望まれる。

第3号 安全教育と安全情報

横浜国立大学大学院工学研究院   小川輝繁
事故やトラブルの原因の大半は人間が係っているため、各事業所では安全教育を保安対策の重要な柱にしておられるように見受けられます。人の危険回避能力は知識と経験に裏打ちされており、さらにこれらを危険予知に生かすことが重要です。
そのため、現場では危険予知の能力を高める教育訓練としてKYT活動が行われています。危険予知には潜在危険を洗い出してこれらのリスク(発生頻度と影響の大きさ)を評価する必要があります。人はこのリスク評価を無意識的に行い、危険回避を行っています。危険予知能力を高めるためには潜在危険の洗い出しとリスク評価を体系的に行えるようにする必要があります。この能力を身につけさせることが安全教育に求められます。安全に関する知識は科学技術の知識と事故やヒヤリハット等の体験に基づくものです。そのため、企業では社内外の事故情報を社内に周知し、また社内のヒヤリハットを収集することにより体験を活かす努力をしています。また、安全に係る業務を行っている行政機関では事故データベースの整備を行っています。また、文部科学省では事故等の失敗知識の社会的共有・活用のため「失敗知識データベース整備事業を科学技術振興財団に委託しました。このように事故情報データベースを整備し、公開する動きが活発となっています。多くの事故情報は活用するためには内容が不十分でありますが、この中から安全教育や安全技術に活用できる情報を抽出して整理することが必要です。

第2号 安全との付き合い

三菱化学㈱STRC 環境安全工学研究所 飯塚義明
「安全」と言う言葉と付き合って、ほぼ28年になる。安全技術開発を担当し始めた当時は、酸化プロセスの燃焼爆発、粉じん爆発の限界測定が主体であった。安全確保と製造コスト増という問題に最初に直面したのが、ある酸化プラントのプロセス変更であった。
安全確保のための追加投資を、熱っぽく説き、その結果、担当専務のご了解を頂き、感激し、そして、その責任の重さに恐怖した。それ以降、産業の発展と安全確保の調和をライフワークとして、今日まできた。今年は、当社の技術開発分野の大幅な組織改正があり、「環境安全工学研究所」と言う組織が生まれた。技術担当役員から三菱化学㈱本体だけではなくグループ会社全体の製造プロセスと製品の安全確保の援助することがミッションと言われた。そして、今若い研究員達が産業に必要な技術として、認知された「安全技術」の成熟を目指し日夜がんばっている。そして、安全を始めから専業の職業として、企業で働くことを目指している現役の学生諸君も出てきた。今、そんな「安全」を技術として正面から捉えている彼等の夢を壊さないようにすることが、私の義務となった。三菱化学と言う一企業を超えて、産業、科学の発展と安全との調和に挑戦する技術者の育成に少しでも役立ちたいと思っている。