セーフティー・はーと

セーフティー・はーと

第36号 日本の安全倫理教育は?

和田有司 <(独)産業技術総合研究所>
2002年12月に安全工学協会で実施している「…高度安全教育プログラムの構築プロジェクト」の海外調査のために米国に出張した。
主たる目的は,米国の学協会,企業における化学プロセス関連技術者の安全教育の実態を調査することであり,テキサスA&M大学,米国安全技術者協会(ASSE),デュポン社,米国化学工学会(AIChE)にて,有益な情報を入手することができた。調査の詳細はいずれ発行される報告書に譲り,ここではその中で非常に印象的であった「安全倫理教育」について一言書きたい。例えば,海外からの訪問者に「日本では安全倫理教育はどこでやっているか?」と聞かれたら,何と答えるであろうか。「企業」か?企業ぐるみの産地偽装疑惑があちらこちらで報道され,「企業倫理」そのものの不足が指摘される中で,「企業である」とは恥ずかしくてとても言えない。では,「大学」か?私の知る範囲ではそういったコースを持っている大学はなさそうである。たぶん日本では安全倫理はどこでも教育されていないのではないだろうか?先の訪問先で「技術者に対する安全倫理の教育コースはないのか」と質問をしてきた。「安全倫理の教育は企業に入る前に大学でされているのだから,技術者に対して行う必要はない」というのが,彼らの一致した答えであった。実態はともあれ,質問をしたことが恥ずかしかった。

第35号 安全文化とは?

福田 隆文  <横浜国立大学> 
安全文化という言葉を聞くようになって久しい。意味もわかるような気がするし,「安全文化」の大切さもわかったつもりでいた。ところが,よくよく,これはどのような意味だろうか,と考えると,「文化」という言葉に引っかかった。
手元に辞書によると,『3.(Culture)人間が自然に手を加えて形成してきた物心両面の成果。衣食住をはじめ技術・学問・芸術・道徳・宗教・政治など生活形成の様式と内容を含む』(広辞苑)『3[U,C] particular form of intellectual expression, eg in art and literature  4[U,C] customs, arts, social institutions, etc of a particular group or people』(Oxford Advanced Learner's Dictionary)と説明されている。どうやら,特定の(ある)やり方で行って,その結果,成果があることが,「文化」の定義らしい。安全を考えましょう,はいまや各国で普遍の事だろうから,これだけでは「文化」というには弱いように思う。「安全文化」というからには,日本独自の,あるいはその企業独自のやり方で成果を示していることが要るようで,「安全について配慮しています」とか,「従業員に安全を考えてもらっています」から進んで,具体的に安全を確保するやり方を示すことが肝心のように思った。そして,それが従業員に根付いてその企業の誰もがそのやり方を用いるようになると,その会社の安全文化ができあがることになるのだと思った。
 文化という言葉には,漠とした感じを持っていたが,実は具体的なものだという事がわかった次第である。そのやり方が企業で当たり前のことになるのには時間がかかる。つまり,文化熟成に時間がかかることもわかった。

第34号 アリとキリギリス

坂 清次 (株)三菱総合研究所 客員研究員
イソップ物語は、みなさんよくご存知の寓話集です。ここのところ、グリム童話などと一緒に見直され、ブームの気配すらあります。驚くことですが、海外では私たちが知っているのと異なった解釈がなされています。

アリとキリギリスを例に取りましょう。米国の小学1年の教科書に出てくるのは、日本人がなじんだ話と結末が違っているのです。キリギリスは冬になってもアリに食べ物を求めたりせず、食べ物を蓄えなかったことを後悔し、来年は準備しておこうと誓いを立てることになっているのです。(アリが見かねて食べ物を恵んだかどうかは、定かではありませんが。)米国の小学校の国語教科書には、自己責任や自立心を教える話が多く、温かい人間関係や自己犠牲をたたえる話が多い日本とは対照的とのことです(日経紙記事より)。
自主保安が定着しつつある状況下、基本となる自己決定・自己責任の根っこに、ここに見られるような社会風土があるのであろうか。自己責任が、事故責任になってしまっては困りますが、明日の保安を考える上で、ある種の厳しさが必要です。優しさも大切ですが、甘えは禁物です。 ご安全に。

第33号 2002年11月の事故2件

田中 亨  <横浜市在住>
エンジニアリングコントラクターで、30年弱、プロセスプラントを中心とした安全評価、リスク解析の業務に従事しています。安全工学協会とのお付き合いは、第285回編集委員会(1986年9月2日開催)に出席して以来、16年強の期間になります。
この間、多くの方々からご指導ご教授いただきました。この場をお借りしてお礼申し上げます。事務局長の井村さんから「セーフティ・はーと」への投稿を要請されたのは、数ヶ月前ですが、業務都合で、今回の投稿が初回となりました。
 さて、本稿を執筆しようとしていた矢先の2002年11月下旬、2つの火災事故が続いて発生しました。一つは、23日(土)勤労感謝の日に発生した横浜の油槽所のハイオクガソリンの入った屋外タンク火災です。約6時間後に鎮火しました。TVのニュースでも放映されていましたが高所放水車をはじめとする周辺への放水が功を奏し周辺タンクへの延焼は食い止められました。また、人身への被害はなかったようです。未だ、火災の原因についての報道はありませんので、この点については何も言えません。しかし、延焼防止に成功したことは、消防活動をなさった方々のご努力とともに、先人たちが築いてこられたタンク間離隔距離など消防法の危険物規制も有意であったと思います。近年、法規による規制に関しては、構造規制から機能規制への移行、あるいは自主規制への転換等大きな変化が起こりつつあります。これらの変化に適切に対応するためには、安全工学的見地からの検討判断は不可欠であり、また、それら技術の適正かつ効果的な活用が期待されます。
 もう一つの火災は、10月の台風で伊豆大島の海岸に座礁してしまったバハマ船籍の大型自動車運搬船(56800トン)で、11月26日午前5時30分頃、出火したものです。座礁後、船内に残っていた重油の抜き取り作業が行われていましたが、季節はずれの台風25号による高波でこの作業は11月20日に中断されていました。現時点では、出火原因は明らかではありませんが、新聞報道では、台風の高波や強風が船体を揺すり破損部分で生じた摩擦熱、あるいは船の非常用電源のショート、さらには20日以前の作業に伴う失火などが出火原因として考えられているとの事です。報道写真では、もうもうと上がる黒煙が写されています。現場近くの住民は避難を余儀なくされ、高波により二つに折れてしまった船体からは残っていた重油が流れ出し、周辺海域の汚染が懸念されています。作業に伴う失火が火災原因であれば、これは作業の管理上の問題ですが、季節はずれの台風の発生とその接近を考慮し、台風の発生以前に火災発生防止対策を行うか否かの決定は、経営上の判断になると思われます。一般の産業施設では、高度な経営判断のために種々の状況を前提にリスクマネジメントが行われていますが、事故災害に係わるリスクマネジメントには安全工学の範疇に分類できる各種手法が使われます。有効な解析評価手法を使うリスクマネジメントの普及を望まれます。
 たまたま、「セーフティ・はーと」の原稿を考えているときに、二つの事故が発生しました。一般の方々が安全工学に接する機会が少ないと思われますので、少々、無理やり安全工学に結びつけたところがありますが、新聞やTVで報道される社会現象と安全工学のかかわり合いを書いてみました。

第32号

大島 榮次  <安全工学協会 前会長>
安全確保には2つの異なった要素が必要であると言えます。一つは安全確保のルールであり、もう一つは決めたルールが守られるかという問題であります。
最も上位にあると言えるルールとしては、強制法規がありますが、法規がどのようなルールを設定すべきかについては、現在政府内で具体的な議論が進められております。今までのルールは詳細過ぎたために一般化すると弊害が生じる危険性があり、いわゆる性能規定化の方向で見直しが行われております。東京電力の検査データの改竄と隠蔽はルールを守らなかったという企業倫理の基本的な姿勢が問題であったことは言うまでもありませんが、安全技術とは無関係な保安のルールを設定したために、現場では馬鹿らしくて守る気がしない、操業への悪影響が懸念されるといった独善的な判断が法律よりも優先されてしまったということです。法規制の機能性規定化はこれから整備されるところですが、これは公の場で行われるので衆目の監視が届きますが、もう一つの問題である決められたルールを各現場が確実に守るにはどうすれば良いのか。査察や監督といった強圧的な方法ではなく、当然まもられるという高い倫理観に基づいた安全文化はどうすれば構築できるのかが社会から問われているようです。