セーフティー・はーと

セーフティー・はーと

第121号 世界に依存している我が国を再認識して

今泉博之 <(独)産業技術総合研究所> 2008年2月4日掲載
冷凍ギョーザから殺虫剤成分が検出された事件についての報道が続き、その被害が徐々に拡大する様相を呈してきた。
最初に報道された薬剤のみならず、新たな薬剤も検出されたとか・・・。昨今殺伐とした事件が頻発する中、何が起っても不思議ではないと思ってはいるが、「食べ物から殺虫剤成分が・・・」となれば、やはりショッキングと言わざるを得ない。また、身の回りに輸入品が実に多い状況を鑑みると、「一体どうなっているんだ」というのが率直な気持ちであり、とにかく真実を知りたいところである。しかし、我が国の情勢を考える時、これに類する事象は今後も発生するのではないかと思う。

我が国は国土が狭いこともあり、いわゆる"資源"に恵まれているとは言い難い。

例えば国内で消費する一次エネルギーの自給率は、原子力を含めた場合で20%程度、原子力を除くと約4%である[1]。1970年代の2度のオイルショックを経て石油への依存を少しずつ是正し、現在ではその依存度が50%を下回る水準となったものの、他の主要国に比べれば高い水準と言わざるを得ない。今も昔も、我が国の生命線が石油であることに変わりはない。

食料についても類似した状況である。世界の主要国で十分な食料自給率を有する国は多くないが、我が国の自給率40%(正確には総合食料自給率)は最低水準であり、その上漸減傾向にある[2]。何とも心許ない。

ところが、我々は日常生活の中で食物などに "量的な不満・不安"を実感する瞬間がどれだけあるだろうか。筆者はというと、ほとんどない。多くの人がそうではないかと思う。これは、世界中から物資が潤沢に供給されているという有り難い状況の証であるが、そこでの物の売り買いは経済性(価格)が最優先され、勢い"質的な要求(安全性など)"は置き去りに成りがちではないか。我々の日常生活はこの状況の上で"支えられている"のである。今回の事故の背景に、この構図が透けて見える気がする。

昨今の世界情勢は少しずつ緊迫あるいは悪化していると思われ、未来永劫、潤沢な物資の供給が続くとは考え難い。この変化は我が国の国勢に間違いなく深刻な影響を及ぼすし、特に食物やエネルギー等は国の基盤を支える物資であるため、"経済ではなく安全保障"と捉え対処すべきである。こんな当たり前とも思える事が、今回のような事件に遭遇するたびになぜか気になって仕方がない。

参考資料
 IEA, Energy Balances of OECD Countries 2000-2001 (2003).

第120号 安全教育としつけ

鈴木和彦 <岡山大学> 2008年1月21日掲載
私の研究室名は「高度システム安全学」である.この名に示すように,大学の内外に「安全」に関する研究と教育をすると宣言している.
しかし,最近思い悩むのは,「安全教育」として,学生達に何を教授したらいいのかである.システム安全工学として,理論,手法を学ぶことは必須であるが,「信頼性工学,危険評価手法,安全管理の基礎・理論を講義で教授すること」=「安全教育」とは言えない.昨今「安全文化の醸成」の必要性が唱えられている.「教育」により,若い学生達に,「安全」の重要性を意識させ,「安全意識・知識」を身につける助けをしたいと思っているが,なかなか実現は難しい.

ところで,「安全教育」と「人の命」であるが,新聞紙上,毎日のように悲惨な事件が報道されている.ほんの一部の人達によるものとしても,人の命に対する意識が薄れているようで気がかりである.最近の若者(一般大学生)を観ても挨拶ができない,お礼が言えない等々であり,結構マナーも悪い.どうも一般的には倫理観に欠ける学生が増えているような気がする.また,ゲーム感覚で生きている学生を多く見かける.

しかし,1年間研究室に所属し,教員,先輩学生とつきあう内に徐々に学生達は変化をみせる.ゼミ等で安全研究についての議論をしながら,「しつけ」も同時にしていることの成果かもしれない.学生達は,結局「教育」「しつけ」により変わる.社会,企業においてのこのような努力をしなければならないのが現状であろう.

学生達(若者)には,うっとうしがられるのを覚悟で,これからも「安全教育」「しつけは」地道に続けるつもりである.

「安全意識・知識」を持ち「人の命」の尊さを常に考えながら行動できる若者を育てることができればと思う.

第119号 駒宮先生のファイル

辻 明彦 <NPO法人・災害情報センター> 2008年1月7日掲載
昨年11月、日本の労働安全、安全工学に多大な貢献をされた駒宮功額先生が他界された。
古今東西の事故事例に精通され、私どもの初歩的な質問にもいつも丁寧なお答えを頂戴した。ある時、都市ガスの事故についてお尋ねした折、これを見るようにと1つのファイルを渡されたことがあった。その中には、都市ガスの性状に関するデータ、事故の新聞切り抜き、内外の論文などがまとめて保存されていた。

先生は、当センターの会誌に毎月欠かさず安全に関するコラムを寄稿して下さっていたが、そのテーマは高圧酸素の事故から温泉地の硫化水素事故、さらには動物による交通事故まで多岐にわたっていた。先生はそれぞれのテーマごとにファイルをお作りになっていて、ご研究や原稿作成の糧とされていたようだ。

先生が2001年に中央労働災害防止協会から上梓された「技術発展と事故―21世紀の「安全」を探る」は、それらのファイルも活用しながら長年にわたる事故調査と実験研究の成果を読みやすく集大成されたものだ。技術の発展やエネルギーの変化、日本と海外の風土の違いなどから独自の史観で事故の変遷を俯瞰されたもので、今日、このようにしてライフワークを世に問う安全研究者は極めて少ない。この本の中で先生は、明治以来日本は、欧米の技術を事故や失敗の多大な犠牲の末に安全が確立した段階になって導入することができ幸運だったと指摘されている。安全の技術や基準の多くを欧米に頼る状況は今日でも基本的に変わりなく、技術史から事故を見る先生の視点はこれからも重要である。

私は、駒宮先生が遺された膨大なファイルや書籍の整理・活用の仕事に縁あって参加させていただくこととなったが、故人の方法論を引き継ぎつつ活用の道を探りたいと思う。

第118号

古積 博 2007年12月10日掲載
今秋、中国、韓国を訪問する機会があった。小生、両国とも過去数10年の間にそれぞれ数回ずつ訪問しているが、ここ数年の両国の変化の大きさには目を見張るものがある。また、その活気には圧倒される。
日本には、長年、「世界第二の経済大国」という枕詞が与えられてきたが、昨今の中国の発展と日本経済の沈滞のために残念ながらこの枕詞を返上する時がやってきた。一方、安全防災の面でも日本は長年世界の中でも高いレベルを維持してきたが、これも中国、韓国に追いつかれつつあるように感じられる。これは、国際的な雑誌での中国や韓国の論文の掲載数の増加をみても判る。

日本が世界の安全防災の面で引き続き、世界のトップランナーの立場を維持するためにどうしたらよいのか、考えさせられる。我々、研究者は、先ず第一に、引き続き、地道な研究を続け、成果をできるだけ発表するべきであろう。また、国際会議に出席するなら出来るだけ発表したいものである。外国の研究者と交流する時、ギブアンドテイクでないと続かない。研究発表の質は最も重要だが、数も大事であろう。研究者は、利害が絡まない場合、研究成果に対しては、公平である。日本からたくさん発信していれば思いがけない好意的な反応があるかもしれない。他方、成果を基に社会に貢献して安全工学研究の認知度を上げ、その重要性を理解してもらうよう努力したい。他方、安全工学会は日本の安全防災研究の司令塔なわけで、我々の研究の高さと重要性を国内外の社会に理解してもらうようサポートしていただけるとありがたい。また、我々はどうしても視野が狭いので社会のニーズを取り込み、研究の方向性を示していただけたらありがたい。

国際化がはやりだが、我々は日本人であり日本がベースである。日本の存在感が無くなるのはさびしい。

第117号

熊崎 <(独)労働安全衛生総合研究所> 2007年10月15日掲載
少し前の話ですが,某大学で実験後の廃液処理中に,学生が化学薬品を混合させた結果やけどを負った,という事故がありました
報道等によれば,幸い,症状も軽く大事には至らなかったようです。聞くところによれば,この実験が行われていた研究室の専門は化学ではなかったそうです。

ある種の化学薬品は混ぜただけで急激な反応を起こして危険な状態になる,ということは化学安全に携わっている人ならご存じの事です。しかし,その危険性はどれだけ知られているのでしょうか?上記の事故も,学生はその事実を知らなかった・気づかなかった可能性があります(化学の研究室だったら起こらなかった,とは言えませんが)。
逆に,化学の実験室で起こった感電やポンプの巻き込まれなどは,電気安全や機械安全の専門家からすれば「なぜ気づかなかったのか?」と思われる事故であるでしょう。

多くの分野にまたがる複雑な作業に日々追われていれば,何処にどんなリスクがあるか,自分の専門分野でなければなかなか見えません。しかし,それをよしとするのではなく,常に自分の行っている行動に危険性があるのではないか?という「疑いのまなざし」と,専門外の情報や自分とは関係のないと思える事故情報にも「アンテナ」をたてて自分の業務に役立てるどん欲さが重要なのではないかと思う次第です。

第116号 「コミュニケーション」と情報技術

仲 勇治 2007年9月25日掲載
ISOの標準化に参加したことがあったが,そこでの会議の進め方と日本における同様の会議の進め方が全く違うのに驚かされた。
まず,両方とも議事次第が用意されるが,向こうは,項目やそれらを議論する順番に結構時間を費やし,その日に議論し,決めたい事項を明確にしていく。日本では,議事次第の中に委員長挨拶などから始まり,項目や議論の順番などの議論には時間を割かないことが多い。どうも,向こうは参加者のバックグラウンドは異なるのが当然であり,その違いを旨くかみ合わせることで広い観点から議論しながら素目標に向かって議論をする意図を持っていた。一方,日本流は,会議の主催者側の意向表明があるものの必ずしも十分でなく,参加メンバーが意向を徐々に理解しながら,意向に添って議論を進める場合が多い。 
どちらが旨いコミュニケーションの取り方であろうか? 
もっと驚いたことは,書記の能力の高さである。委員の話をコンピュータに打ち込み,それも色分けして。休憩の10分前に,同色を合わせながら,議論の中間のまとめを作ってしまった。利用者の能力が高ければ,もの凄いコンピュータのパワーを引き出せる。 コミュニケーション手段としてコンピュータはもはや必須である。

安全技術に関わる設計や運転標準などの図書は,過去に行われた設計で考えていたことを表現している。今それらを見ている人達は,当時の設計に関わった人達と交信していることになる。しかし,必ずしも交信がうまくいっていないことは,団塊世代の退職に伴う技術伝承問題として表面化している。

コンピュータのパワーを用いて,何処まで論理的に,多角的に,安全管理を支える技術として整備できるのであろうか。

第115号 安全な設備とは?

和田
燃料電池自動車普及に関連するある事業に携わっています。燃料電池自動車が普及するためには水素ステーションが必要です。
様々な安全性の評価を行い,規則が改正され,水素ステーションが設置できるようになりました。しかし,安全を確保するためにかなり広い敷地が必要とされます。燃料電池自動車が普及するためには市街地にも水素ステーションが設置できるように水素ステーションをコンパクト化する必要があるといいます。そのために,水素ステーションで高圧の水素を貯めておく容器を地下に設置できないか検討することになりました。すでに安全対策もいろいろと考えられています。設備そのものは,規則に則り,まず水素が漏れることがないように作られます。それでも,万が一の水素漏れに備えて,警報設備を設置し,水素が漏れても溜まることがないように,24時間故障のない換気装置で換気します。たぶん安全な設備ができると思います。でも,本当に大丈夫でしょうか。

以下はあくまで「最悪の」想定です。この安全な水素ステーションに勤勉な運転員が働いていたとします。営業をはじめて数日後,近所の住民から「換気の音がうるさいからなんとかして」という苦情がきました。勤勉な運転員は設備が安全なことを良く知っています。警報設備もあります。苦情のために営業を止めることはできません。とりあえず,換気装置なら止めてもいいか,と思うかもしれません。24時間故障なく動くように設置された換気装置はこうしてムダになってしまいます。そんなバカな,と思われる方に以下の渋谷の温泉施設爆発に関する情報を紹介します。

温泉施設の温泉くみ上げ施設では,開業当初は発生するガスを排気管を通して直接外に放出する仕組みになっていたそうです。ところが,くみ上げポンプの音が排気管から外に漏れ,周辺住民から苦情が寄せられました。そこで排気管を隣の部屋の換気扇まで延ばしたというのです。報道情報なのでこれ以上の詳しいことはわかりませんが,住民の苦情で当初の設計は簡単に変えられてしまいました。

第114号 安全のイメージ

安田憲二 <(独)国立環境研究所>
廃棄物の処理では,取り扱い物の組成が不均一で変動が大きいため,
安全への対応が原料から製品を作る場合とは違ってきます。
廃棄物処理施設を建設する場合,許可等を受ける過程で住民の意見が重視されますので,個々の住民が持つ「安全のイメージ」が施設の内容に大きな影響を与えます。

廃棄物の中間処理施設の建設では,環境負荷に関して環境基準に基づく排出基準値の順守が求められます。施設の内容は,当然それに対応したものになりますが,多くの場合,排出基準値の数分の一から1/10程度の厳しい値に設定されています。処理施設が建設される場所は地域性に違いがあるため,周辺環境により基準値よりも厳しい値を設定する必要のある施設もありますが,地域性に関係なく,一律に値を設定するケースも少なくないように思われます。

「安全のイメージ」はリスクマネージメントに属する領域ですが,不必要に厳しい値に対応した施設を建設した場合,建設費や維持管理コストの増加や,資源の無駄遣い,地球温暖化への負荷を高める原因にもなります。自治体等は住民との論争を避ける傾向にありますから,不必要とは感じつつも過剰設備の施設を建設しがちです。

地球温暖化の影響が抜き差しならぬ状況である昨今,専門家も交えて「安全のイメージ」をより客観的なものにし,過剰設備を無くして資源の無駄遣いや地球温暖化への影響を軽減するための努力が必要とされているのではないでしょうか。皆様はいかがでしょうか。

第113号

渕野哲郎 <東京工業大学>
昨日,アメリカ合衆国ミネソタ州ミネアポリスで高速道路の橋梁が崩落した。
まだ行方不明の人が何十人もいる現在,一人でも多くの方の生存発見を祈るばかりである。
それにしても,日本に限らず,世界中何かおかしいのではないだろうか?本当のところはわからないが,新聞やネットニュースが伝える限りでは,この橋は1967年開通で,1990年すでに接合部の腐食,劣化による亀裂が見つかり「構造上の問題」が指摘されていたが,2005年2006年の検査で,亀裂の進行の拡大がないことを理由に,重量制限なしの継続使用となったとのことである。また,1950年代,60年代の橋は構造上の問題が多いことや,全米で7万箇所以上の橋が同様の問題を持っていることを伝えている。

「わかっていたんじゃない」と言いたくなるし,継続使用を判断したときの根拠,設計強度と当初想定交通量に対し,交通量が激増した段階での余寿命をどう推定したのかなどなど,懐疑的な目で見たくなる。「結局,事が起こらないと対処しない」ところは,どこも同じかと思わざるを得ない。日本では,柏崎刈羽原発の問題,ジェットコースターの事故,エレベータの事故,湯沸かし器の事故,トラックのハブ設計強度不足の問題に,加えて隠蔽・・・・「やはり重要なのは,安全文化(Safety Culture)なのかなー?本当は,エンジニアの要件なのに・・・」とぼやきたくなるのは,私だけ???

第112号 電車の信頼性に赤信号?

藤田哲男 <東燃化学(株)>
奇しくも,2年前にセーフティー・はーとに投稿した際も,
JR宝塚線での電車脱線事故の直後でありましたので,これを話題にした内容を書かせて頂きました。
最近も,またまた,鉄道関係の事故が非常に多いように感じます。特に,非常に長時間にわたり,且つ多くの人々に影響を与えたと言うことでは,(1) さいたま市でのJR高崎線の架線切断事故と,(2) 都営地下鉄浅草線三田駅近くでのケーブル火災事故が挙げられます。これらも,前回で書かせて頂きましたのと殆ど同様に,結局プリミティブな原因が主であり,(1) については,停止位置を守らなかったこと,(2) については,マニュアルの不備があって対応方法が周知されていなかったことのように集約されるように感じました。リスクをどこまで,把握していたかどうか,詳しくはまだわかりませんが,十分防ぎ得ることであったと思います。いずれにしても,大きく信頼性を損じたことは否めないと思います。

局面は違うのですが,自身も,夜遅く会社から帰宅する際に,JR東海道線で約1時間半も缶詰めにされて,うんざりしたことが記憶に新しいものです。前を行く電車が,線路内に何者かが侵入した後,接触したかどうかで,その救出作業に手間取ったとの説明であったように思います。先日も,東海道新幹線で,同種の事故がありました。これは,JR東海社員の自殺によるものであったようですが,運転再開に多くの時間を要したと言う点では共通するものがあったと思います。つまり,リスクを如何に把握し,その対応方法をどこまで検討しているかと言うことではないでしょうか。ただ,いたずらに安全サイドに時間をかけて良いということではないと思いますので,当然のことですが,如何に迅速に対応するか/できるかと言う視点で取り組むことが,信頼性を上げることに非常に大事だと思います。

初心に帰って,改めてリスクマネジメント・アセスメントの大事さをマネジメントがきちんと把握して,リーダーシップをもって,臨むことが肝要と思った次第です。

第111号 安全構築の大障害となる“ズルズル感”

野口和彦
事故や不祥事が繰り返される状況を見るにつけ,ため息がでるのを禁じえない。
最近話題の牛肉に豚肉を混入させていた事件にしても,あの会社は本社を同じ北海道に置く乳製品会社のトラブルを見ていたはずである。それにもかかわらず食品業界において重要な案件である材料をごまかすといった行動が修正できなかったことは,安全向上に携わる身としては,何とも言えない無力感を感じずにはいられない。

このような事が繰り返される限り,安全社会などいつまでたっても実現されるわけがないのである。しかし,嘆いてみても仕方が無いので,先輩達がこの虚無感を乗り越えられてきたように,何とか前進する方法を考えてみたい。

何故,失敗を繰り返すのか?この問いに対する答えは,もちろん一つではないし,正解があるのかさえ定かではないが,なにやら“ズルズル感”が,その原因の一つであるような気がしてならない。

“ズルズル感”の正体とは,何か?

それは,「ま,いいか」,「もう少しの間だけこのままで」,「この程度までは・・」という感覚である。

規則通りに実行できないことは,間々ある。その時に,つい「この程度の違反なら良いか」とか「後1年くらいこのままで,その後何とか改善しよう」というように自分に言い聞かせながら,今日も同じ過ちを繰り返すということがないであろうか?

改善を後回しにして,現状を肯定していく。このような行動が,事故を誘発し,不祥事を引き起こしているような気がしてならない。

もちろん,私にもこのような経験はある・・というより頻繁に経験しているといったほうが良いかもしれない。

だから,悩むのである。このままでは,日本が危ない。どこかで気持ちを切り替え,背筋を伸ばして子供達に胸を張って働く姿を見せられる,そんな大人に戻ろうではないか。

どうでしょう,皆さん。

第110号 安全のタテとヨコ

坂下 勲 <坂下安全コンサルタント事務所>
安全を丸ごとでなく,漁網にならって,タテ糸とヨコ糸に分けてみる。
タテ糸は,安全法規・技術情報・事故事例あるいは企業倫理など,安全の構造を支える分野。まとめて,「標準安全」と呼ぶことにしよう。本来は,経営や本社の管理部門が担当する事項である。

一方,ヨコ糸は,安全教育・作業マニュアル・品質管理・設備保全など,危険と直接向かいあっている現場での具体的な安全実務で,「個別安全」と呼ぶことにする。このタテ・ヨコは適宜決めればよい。

ところで,もし魚網が,タテ糸だけだったらどうだろう。糸がぶらぶらして,すきまが開いてしまうため,魚を捕まえるのは難しくなる。ここに,一本のヨコ糸が絡んでくると,タテ糸は拡がることなく,魚を捕えられる。ヨコ糸の本数をもっと多くして網にすれば,十分に機能を発揮できる。相互補完による両機能の向上効果である。

安全でも同様に,「標準安全」と「個別安全」の双方の糸が相互にしっかりと連携補完しあって,はじめて期待される安全が実現される。

コンプライアンスとか企業倫理とかの,難しそうな話は,総じてタテ糸・「標準安全」に属する問題が多い。危険に直接向かい合っていないスタッフが担当しているせいか,対応が抽象的・精神論的に偏り,抜けや落ちが発生し易い。

一方,危険と直接向かい合っている現場では,さぞ毎日緊張しているかと思いきや,設備の高性能化や自動化が進んで危険が直接見えなくなり本社サイドと同様,とくにヒューマンファクタの問題を多く抱えている。

タテ・ヨコの安全の糸がうまく絡み合った相乗効果の発揮,そのための安全教育の充実が期待されるゆえんである。

安全文化。いろいろな言い回しがあるようだが,タテ糸とヨコ糸が華麗に織りなす織布の縞や絵柄の模様に例えると解り易いかも。模様がその企業独自のものであれば,本物の安全文化であろう。

マスコミ報道される不祥事や事故トラブルの類も,タテ糸とヨコ糸に分けて眺めて見ると,少しは問題の核心が見えてくるのではないだろうか。

第109号 本質を看る

西 茂太郎 <練馬区在住>
ひょんなことから料理研究家の辰巳芳子氏の講演を聞く機会に恵まれました。「最近は独りで料理することも増えたので・・・・」と軽い気持ちで出かけました。
氏の手になるスープは過日NHKの番組で放映されたこともあって特別な物であるという事は知っていました。氏はお母上で料理研究家であった浜子氏から薫陶を受けられたが,「母からは料理は教えて貰わなかった。『気なしに物事をしては駄目だ』といつも言われた。」とのことだった。「きゅうりを一つ刻むのでもきゅうりの本当の美味さを引き出す切り方を求められた。いつも本質を追求する姿があった。本質を追求するとは『○○とは何か』と問い続けること。」と。そこには料理家と言うよりも根源的なものを徹底して追求するというまさに研究家という姿がそこにありました。気楽に出かけたはずの講演会がまたとないいい刺激の機会となったのです。

根本分析。なぜ何故分析等など。常に本質を看る眼を持ち続けることが大事なことだと日々の食を通じて知らされた一日でした。

化学分析の結果,氏の作ったスープには,グルタミン酸が多いことが判明したそうです。

第108号 たった1回

中村 順 <科学警察研究所>
粉じん爆発にしても,金属の疲労破壊にしても,安全工学の中で重要事項として,研究もされ,解説書も出ている。それにもかかわらず最近,粉じん爆発やジェットコースターの事故が起こった。
今回の事故は,過去に軽微な事故もあまりなく安全(なように)と考えられていたところに,突然起こったように見えるが,本当にそうだろうか。過去の東海村JCO臨界事故,回転ドア,エレベータ,産業廃棄物に関わる事故等,当事者にとってたった1回の不幸な事故であるかもしれないが,普段の不安全行動と不安全状態の結果と指摘されている。

同様な事故が繰り返し起こり,同様な指摘が繰り返しされることは,本当にこの国は安全・安心になるのだろうかと思う。米国では,東京地下鉄にサリンがまかれた事例を研究し,地下鉄に毒ガス対策をとり,9.11同時多発テロの後,コンビナートや石油タンクに飛行機がつっこんでくることの対策を真剣に議論していた。

まさかそんな事故は起こらないという神話を作っていないだろうか。5年も10年も無事故で操業してきたといっても,たった1回の事故で神話は崩れる。そのたった1回の事故を防ぐために,管理者と担当者が,安全への関心と洞察力をもってとりくみ,それを持続して欲しい。

第107号 技術の伝承と標準化

高木伸夫 <システム安全研究所>
2007年問題がいわれて久しいが2007年も既に5月に入った。現場ではどのような状況なのであろうか。
振り返ってみれば2007年問題がクローズアップされたのはそれほど古い話ではない。安全分野に限らず各産業セクターにおいてベテランの大量引退による技術の伝承が社会的課題となった。しかし,2007年頃からベテランの大量のリタイアが始まるのは10年,20年前から自明のことではなかったのか。なぜ2007年問題なのか。この背景には各種の技術やノウハウが個人に属するという技術の属人性が強く,技術基準やマニュアル類などによる標準化の遅れがその一因にあるといえるのではないか。

現在,様々な産業分野において年齢構成の歪みが指摘されている。三角形からビヤ樽型,更には逆三角形あるいは瓢箪型へと推移してきている。かってはベテランの技術を引き継ぐ次世代の数も多く,また,年齢差も大きくなかったので,ベテランの技術を受け止める余裕を持った土壌があったといえよう。しかし,現在は中堅,若手の数が少ない上,場合によっては20歳も年齢差があるということも珍しくない。技術の伝承は必要であり否定するものではない。しかし,このような環境において30年以上にわたるベテランの経験を短期間にそのエッセンスだけを伝承しようとすること自体が無理といえまいか。多くのベテランが蓄積した技術,技能を若手に託そうとしてもベテランと若いヒトの意識・価値観の違い,若手の絶対数の不足に起因する吸収能力の限界など多様な制約条件があろう。このため定年の年齢を引き上げたりOBの起用などをはかる企業も出ているが,これも一時的な方策であり限界があろう。産業分野においては,かっては目,耳,鼻,手足の多さと現場レベルの技術・技能の優秀さとでもって安全を確保してきたとも言えよう。この土台がくずれつつある状況において安全確保にあたっては安全教育,情報の共有など色々やることが多いが,標準化の推進というソフト面での強化と人手の少なさを補完するためハード面での対策の充実が欠かせないのではないだろうか。

第106号 事故再発防止のためのプロセス安全管理

島田行恭 <労働安全衛生総合研究所>
前回84号にて「同じ事故を繰り返さないために」と題して,安全管理に関わる研究を行っている者としての思いを書きました。
でも,相変わらず類似の事故は繰り返されています。会誌「安全工学」の最新号(Vol.46,No.2)の中で西川氏は「事故調査報告書の多くは,物質や設備などのモノの部分に当てられ,その根本に隠れているヒト(人間とその管理)に関することまで掘り下げられていない」と述べられています。

先日も「粉じん爆発」がありました。粉じん爆発に関する事故は毎年,何件も発生しており,その度にどうしてそのような事故が起こったのか,詳細な原因の推定(現象の解明)が繰り返されています。もちろん原因解析は大事なことなのですが,もっと大事なことはやはり再発を防止するにはどうしたらよいのか?ということをしっかりと検討するべきでしょう。多くの先輩方が事故調査においても「プロセス設計,建設から運転,保全,廃棄に至るプラントライフサイクルに渡るエンジニアリング業務全体の安全管理の問題と,それに関わる人の教育,コンプライアンス問題,外部への説明などの問題にも踏み込んだ再発防止策まで検討することが重要である」と説いています。

同誌Vol.46,No.1の『安全への提言』の中で東工大の仲教授が説明されていますが,プロセス安全管理(PSM)システムは,プロセス産業におけるライフサイクルエンジニアリング全体を安全の観点から管理する仕組みです。事故の原因調査においても,調査を行う人の得意な視点からだけでなく,幅広く,再発防止策を考えるきっかけを作ることができるようなPSMの枠組みに沿った問題点の分析を行うことが重要でしょう。

一般に化学プロセスの安全管理問題は物質(反応プロセス)の安全管理とプロセスプラントの安全管理に分けて議論されています。化学プラントの安全管理に関する研究を行っている方々はどちらか一方の立場を取っているのではないでしょうか。よく言われる物質屋さんとプロセスシステム屋さん。お互いのノウハウをつなぎ合わせ,統合化されたPSMの環境を構築することが今の研究目的です。というのは壮大なテーマ過ぎるでしょうか・・・。

第105号 安全工学会の活動

小川輝繁 <本会副会長>
安全工学会の副会長を拝命して,1年弱になりますので,安全工学会の活動について私見を述べさせて頂きたいと存じます。
安全工学会の活動には,安全工学の学術的振興,会員に対する学術交流の場の提供,情報提供などの会員サービス,安全工学専門家の団体としての社会貢献などがあります。

安全工学会は前身の安全工学協会創設以来,講習会や安全工学誌などによる安全工学の啓蒙・普及や公的機関からの受託研究など社会的貢献に特に実績があり,最近でも多くの方のご尽力・ご協力により大きな成果をあげていると思います。

安全工学の学術的振興につきましては学術論文の安全工学誌掲載,研究発表会の開催,安全工学シンポジウムへの協力などが従来から行ってきた活動ですが,最近では安全工学体系化など安全工学の課題について検討するための研究委員会を学術委員会の下に設置して活発な議論を行っています。また,国際シンポジウムの開催など国際的な活動も活発化する方向で検討しています。

学術活動での現状の課題は安全工学誌に掲載される学術論文の数が少ないことです。これについては学術的に優れた論文を投稿して頂くようにするための方策を考えなければならないと存じます。会員サービスについては安全工学誌やホームページによる情報提供,論文や研究発表の場の提供などですが,さらに会員に満足して頂くための努力が必要と考えています。

安全工学会が多くの方の熱心な支援により,活発な活動ができていますことを非常に感謝しております。

第104号 事故の後始末

岡田 <三井化学>
関東では桜が咲き,何か気持ちが高ぶるのは私だけでしょうか? 入学や転勤,異動などもあり,生活が大きく変わる時期でもあります。
工場などでは,人事異動後,直ぐにトラブルが発生すると【歓迎会】とうれしくない呼び名の現象がありがちなのでみなさんも注意してください。

話は,変わりますが先日あるセミナーに参加して貴重な話を聞くことができたので紹介します。

2003年9月に発生した北海道十勝沖地震で大規模タンク火災を発生させてしまったI社の方が事故の復旧作業について講演されました。 事故については,多くの方がご存じだと思いますが,地震の影響で浮き屋根式タンクの屋根が沈降し,火災が発生。

泡消火剤も風で飛ばされ,効果無く,長期間火災が続くという災害で,後に泡消火剤の備蓄や大型放水銃を導入するきっかけになった意味深い災害でした。

その被災タンク43基の復旧が2年9ヶ月かけて,昨年6月で完全復旧したとのことでした。 復旧作業は,北海道という地域性もあり,冬場は雪かきから始まり,原油の抜き出し,水への置換,その後タンク内に潜水夫の休憩小屋を設置し,潜水夫により脱落部の調査等を行ったというものでした。

復旧作業にあたられた方々の苦労が伝わってきました。 事故を起こしてしまうことは,もちろん良くないことですが,起きてしまったことに対し,いかに反省し,再発防止を行い,ちゃんと後始末することができるかどうかによって,会社の実力が現れるのではないでしょうか?

最近,トラブルが発生しても後始末せず?できず?にうやむやになっていることが多いような気がします。

まずは,災害を発生させないことが一番の対策とは思いますが

第103号

飯塚義明 <(有)PHAコンサルティング>
総合化学会社の開発研究部門で30年間「安全評価技術の開発」と「開発部門や生産部門の技術支援」に費やした。
3年前にこれまでの経験を活かして,他の会社の安全技術(思考方向)向上のお手伝いをしているが,その中で感じたことは,1990年代前半までは,企業間で安全意識に温度差が見られた化学産業界であったが,その後,技術,意識の両面で企業間の差はかなり無くなってきていると思われる。しかしながら,ある化学品加工メーカーの工場幹部と保安安全について議論したところ,その工場幹部から「最近,当工場は全く事故が無く,このような状況下での高い安全意識を継続させることが難しい」と告げられた。この会社以外にも,世界に誇れる安全で,生産性の高い技術が日本の産業界では,活躍している。これらは,今話題の団塊の世代の優れた技術者達がつくり上げた「生産技術」の成果である。これらの技術をどのような形で後世に伝えて行くかが重要な課題である。過去の事故情報や失敗事例のデータベースも有用であるが,他人のことではなく自分達の職場の問題として認識させる手法の取り入れも考慮すべきことと思う。先輩達がどのような経緯をたどって,成功に至ったかを詳細に解析することも一つの方法である。即ち,何故安全が維持されているのか,そこにある技術的要因とソフト的(人,組織)要因との係わり合いを科学的に解明することである。「たまたまの安全なプロセス」にも事故を起さない理屈があることを知ってほしいと思っている。

第102号 安全第一主義 というけれど

若倉正英 <神奈川県産業技術センター>
しばらく間があきましたがセーフティーハートを再開させていただくことになりました。
セーフティーハートは安全工学会の活動を積極的に支える様々な分野の専門家が,“安全・環境問題”にその専門性を基にコメントしていく場です。ご一読いただき,そのコメントに対して皆様からのご意見をいただければ幸いです。

この1年近くのインターバルの間に様々な産業事故,製品事故,偽装問題,コンプライアンス問題などが起きてきました。特に,ガス湯沸かし器の事故では,多くの人命が失われていたことが明らかになりました。企業のトップが従業員,消費者いずれもの命の重さを第一に考えるべきなのですが,安全とは空気のようなものだという思いもします。普段はその存在を全く気にしていないのに,なくなってみると実は大変な思いをするのです。企業の安全部門の方から時折耳にする言葉があります。“上の人は安全第一って言うけれど,会社の中では利益に貢献する部署に比べると,安全環境部門の評価は低いんだよね”。病気になって初めて健康のありがたさを知る,というのと同じで安全は当たり前のことと思われすぎていて,それを維持するために知恵や努力がいることが忘れられているのではないでしょうか。

安全工学会では産業分野の安全に寄与するため,「ヒヤリハットや事故情報を活用して,現場の安全性を向上させるための研究開発(石油産業活性化センター;安全基盤整備事業)」,「産業保安分野における安全文化の向上に関する調査・検討(原子力安全・保安院;原子力発電施設等社会安全高度化事業)などの活動を行っています。これらの事業の直接の目的はプロセス産業を中心とする製造産業の安全ですが,様々な分野に利用可能です。多様な安全専門家が活躍する安全工学会の特長を生かして,得られた成果を広く活用していきたいと考えております。