セーフティー・はーと

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第111号 安全構築の大障害となる“ズルズル感”

野口和彦
事故や不祥事が繰り返される状況を見るにつけ,ため息がでるのを禁じえない。
最近話題の牛肉に豚肉を混入させていた事件にしても,あの会社は本社を同じ北海道に置く乳製品会社のトラブルを見ていたはずである。それにもかかわらず食品業界において重要な案件である材料をごまかすといった行動が修正できなかったことは,安全向上に携わる身としては,何とも言えない無力感を感じずにはいられない。

このような事が繰り返される限り,安全社会などいつまでたっても実現されるわけがないのである。しかし,嘆いてみても仕方が無いので,先輩達がこの虚無感を乗り越えられてきたように,何とか前進する方法を考えてみたい。

何故,失敗を繰り返すのか?この問いに対する答えは,もちろん一つではないし,正解があるのかさえ定かではないが,なにやら“ズルズル感”が,その原因の一つであるような気がしてならない。

“ズルズル感”の正体とは,何か?

それは,「ま,いいか」,「もう少しの間だけこのままで」,「この程度までは・・」という感覚である。

規則通りに実行できないことは,間々ある。その時に,つい「この程度の違反なら良いか」とか「後1年くらいこのままで,その後何とか改善しよう」というように自分に言い聞かせながら,今日も同じ過ちを繰り返すということがないであろうか?

改善を後回しにして,現状を肯定していく。このような行動が,事故を誘発し,不祥事を引き起こしているような気がしてならない。

もちろん,私にもこのような経験はある・・というより頻繁に経験しているといったほうが良いかもしれない。

だから,悩むのである。このままでは,日本が危ない。どこかで気持ちを切り替え,背筋を伸ばして子供達に胸を張って働く姿を見せられる,そんな大人に戻ろうではないか。

どうでしょう,皆さん。

第110号 安全のタテとヨコ

坂下 勲 <坂下安全コンサルタント事務所>
安全を丸ごとでなく,漁網にならって,タテ糸とヨコ糸に分けてみる。
タテ糸は,安全法規・技術情報・事故事例あるいは企業倫理など,安全の構造を支える分野。まとめて,「標準安全」と呼ぶことにしよう。本来は,経営や本社の管理部門が担当する事項である。

一方,ヨコ糸は,安全教育・作業マニュアル・品質管理・設備保全など,危険と直接向かいあっている現場での具体的な安全実務で,「個別安全」と呼ぶことにする。このタテ・ヨコは適宜決めればよい。

ところで,もし魚網が,タテ糸だけだったらどうだろう。糸がぶらぶらして,すきまが開いてしまうため,魚を捕まえるのは難しくなる。ここに,一本のヨコ糸が絡んでくると,タテ糸は拡がることなく,魚を捕えられる。ヨコ糸の本数をもっと多くして網にすれば,十分に機能を発揮できる。相互補完による両機能の向上効果である。

安全でも同様に,「標準安全」と「個別安全」の双方の糸が相互にしっかりと連携補完しあって,はじめて期待される安全が実現される。

コンプライアンスとか企業倫理とかの,難しそうな話は,総じてタテ糸・「標準安全」に属する問題が多い。危険に直接向かい合っていないスタッフが担当しているせいか,対応が抽象的・精神論的に偏り,抜けや落ちが発生し易い。

一方,危険と直接向かい合っている現場では,さぞ毎日緊張しているかと思いきや,設備の高性能化や自動化が進んで危険が直接見えなくなり本社サイドと同様,とくにヒューマンファクタの問題を多く抱えている。

タテ・ヨコの安全の糸がうまく絡み合った相乗効果の発揮,そのための安全教育の充実が期待されるゆえんである。

安全文化。いろいろな言い回しがあるようだが,タテ糸とヨコ糸が華麗に織りなす織布の縞や絵柄の模様に例えると解り易いかも。模様がその企業独自のものであれば,本物の安全文化であろう。

マスコミ報道される不祥事や事故トラブルの類も,タテ糸とヨコ糸に分けて眺めて見ると,少しは問題の核心が見えてくるのではないだろうか。

第109号 本質を看る

西 茂太郎 <練馬区在住>
ひょんなことから料理研究家の辰巳芳子氏の講演を聞く機会に恵まれました。「最近は独りで料理することも増えたので・・・・」と軽い気持ちで出かけました。
氏の手になるスープは過日NHKの番組で放映されたこともあって特別な物であるという事は知っていました。氏はお母上で料理研究家であった浜子氏から薫陶を受けられたが,「母からは料理は教えて貰わなかった。『気なしに物事をしては駄目だ』といつも言われた。」とのことだった。「きゅうりを一つ刻むのでもきゅうりの本当の美味さを引き出す切り方を求められた。いつも本質を追求する姿があった。本質を追求するとは『○○とは何か』と問い続けること。」と。そこには料理家と言うよりも根源的なものを徹底して追求するというまさに研究家という姿がそこにありました。気楽に出かけたはずの講演会がまたとないいい刺激の機会となったのです。

根本分析。なぜ何故分析等など。常に本質を看る眼を持ち続けることが大事なことだと日々の食を通じて知らされた一日でした。

化学分析の結果,氏の作ったスープには,グルタミン酸が多いことが判明したそうです。

第108号 たった1回

中村 順 <科学警察研究所>
粉じん爆発にしても,金属の疲労破壊にしても,安全工学の中で重要事項として,研究もされ,解説書も出ている。それにもかかわらず最近,粉じん爆発やジェットコースターの事故が起こった。
今回の事故は,過去に軽微な事故もあまりなく安全(なように)と考えられていたところに,突然起こったように見えるが,本当にそうだろうか。過去の東海村JCO臨界事故,回転ドア,エレベータ,産業廃棄物に関わる事故等,当事者にとってたった1回の不幸な事故であるかもしれないが,普段の不安全行動と不安全状態の結果と指摘されている。

同様な事故が繰り返し起こり,同様な指摘が繰り返しされることは,本当にこの国は安全・安心になるのだろうかと思う。米国では,東京地下鉄にサリンがまかれた事例を研究し,地下鉄に毒ガス対策をとり,9.11同時多発テロの後,コンビナートや石油タンクに飛行機がつっこんでくることの対策を真剣に議論していた。

まさかそんな事故は起こらないという神話を作っていないだろうか。5年も10年も無事故で操業してきたといっても,たった1回の事故で神話は崩れる。そのたった1回の事故を防ぐために,管理者と担当者が,安全への関心と洞察力をもってとりくみ,それを持続して欲しい。

第107号 技術の伝承と標準化

高木伸夫 <システム安全研究所>
2007年問題がいわれて久しいが2007年も既に5月に入った。現場ではどのような状況なのであろうか。
振り返ってみれば2007年問題がクローズアップされたのはそれほど古い話ではない。安全分野に限らず各産業セクターにおいてベテランの大量引退による技術の伝承が社会的課題となった。しかし,2007年頃からベテランの大量のリタイアが始まるのは10年,20年前から自明のことではなかったのか。なぜ2007年問題なのか。この背景には各種の技術やノウハウが個人に属するという技術の属人性が強く,技術基準やマニュアル類などによる標準化の遅れがその一因にあるといえるのではないか。

現在,様々な産業分野において年齢構成の歪みが指摘されている。三角形からビヤ樽型,更には逆三角形あるいは瓢箪型へと推移してきている。かってはベテランの技術を引き継ぐ次世代の数も多く,また,年齢差も大きくなかったので,ベテランの技術を受け止める余裕を持った土壌があったといえよう。しかし,現在は中堅,若手の数が少ない上,場合によっては20歳も年齢差があるということも珍しくない。技術の伝承は必要であり否定するものではない。しかし,このような環境において30年以上にわたるベテランの経験を短期間にそのエッセンスだけを伝承しようとすること自体が無理といえまいか。多くのベテランが蓄積した技術,技能を若手に託そうとしてもベテランと若いヒトの意識・価値観の違い,若手の絶対数の不足に起因する吸収能力の限界など多様な制約条件があろう。このため定年の年齢を引き上げたりOBの起用などをはかる企業も出ているが,これも一時的な方策であり限界があろう。産業分野においては,かっては目,耳,鼻,手足の多さと現場レベルの技術・技能の優秀さとでもって安全を確保してきたとも言えよう。この土台がくずれつつある状況において安全確保にあたっては安全教育,情報の共有など色々やることが多いが,標準化の推進というソフト面での強化と人手の少なさを補完するためハード面での対策の充実が欠かせないのではないだろうか。