セーフティー・はーと

セーフティー・はーと

第31号 人の悪意と安全技術

若倉 正英  <神奈川県産業技術総合研究所>
ニューヨーク世界貿易センタービルの崩壊映像には世界中が大きなショックを受け、怒りも感じたものだった。
しかし、先月モスクワで起きたチェチェン人による劇場占拠と鎮圧作戦による市民の巻添死のような、大勢の一般市民が普通に生活している最中に巻き込まれる事件が日常茶飯事になり、それにたいする我々の感性も鈍化してきたように感じられる。工学的な安全化技術は化学物質や機器・装置が何らかの原因で正常な状態から”ずれ”ることによって発生する災害を防ぐための様々な工夫ということもできるだろう。一方、特攻隊でもないのに旅客機を破壊装置としたり、民用爆薬が市民を殺傷するなど、人の悪意や憎しみが引き起こすとんでもない”ずれの影響”には唖然とさせられる。システムが巨大化し、生み出される物質の種類が膨大になるにつれて、生活・生産システムの機能破壊や化学物質の悪用が市民の安全にとって大きな脅威になりつつあるように思える。安全工学は人の悪意によって引き起こされる災害への技術的な対応だけでなく、「安全工学者」の視点から高度産業社会に適応したモラルのあり方を問いかけてゆく必要があるのではないだろうか。

第30号 蛇と風船

千葉県野田市 平田 勇夫
化学プラントの安全管理の要素のひとつにプロセス危険性評価(以下、PHAとよぶ)がある。化学プラントは、反応器、熱交換器、ポンプ、貯槽などで構成され、いくつかの化学物質を混合したり反応操作によって違った化学物質を合成したり、加熱・冷却したり、などのいくつかの操作を経て目的の化学物質を得る。
実際にこれらの操作を行う前に、「危ないことにならないか」を検討して必要な安全対策を取り、事故を未然防止することがPHAの実施である。
筆者は、「PHA」をよく蛇や風船に例えて説明する。
蛇には、毒蛇とそうでないものがいる。もし、家の近くで蛇を見かけたら家族にそのことを伝え、それとなく注意を促す。それが毒蛇であることがわかれば、絶対に近づかないように警告を発するとともに、警察か消防署に電話して「毒蛇退治」を依頼する。毒蛇が退治されるまでは、完全防護をしないと近くを歩くことはない。毒蛇を潜在危険の高い化学物質と思えばわかりやすいだろう。「毒蛇退治」は、本質的に安全な物質を探すことであり、それができない場合は、十分な安全対策が必要である。
普通のひとは「蛇」と聞けば本能的に避けて通り、「毒蛇」となれば「非常に危ない」ことを察知し徹底した危険回避の行動をとる。化学物質も「危ない」ということがわかれば、それ相応の安全対策をとることになる。「毒蛇」にもいろいろあるので、種類を特定し咬まれた場合に用いる血清を選定しておくことが重要であり、化学プラントの安全対策も「毒蛇」の種類に応じたものであり、「咬まれること」を想定した対策が必要である。
子供が手にした風船が破裂するのを夏祭り会場などでよく見かける。風船には、我々の生命維持に必要であり安全な空気が入れられている。風船に何らかの予期せぬ異常(空気の入れ過ぎ、鋭く尖ったものに触れる、など)が生じて破裂するが、その場合の影響は、周りのひとが驚くだけで済むだろう。風船の例では、取扱物質、それを取り扱う設備の仕様と取扱条件の組み合わせに着目して欲しい。これらの組み合わせがプロセスであり、これらの組み合わせを評価して安全対策を検討するのがPHAである。
化学物質そのものは安全であっても、設備と取扱条件の組み合わせによっては、大変危険なプロセスになり得るのである。空気といえども工業的に取り扱う場合には、十分な注意が必要である。たとえば、空気の高圧貯槽が破裂すると大惨事になり兼ねない。逆に、大気圧の貯槽であっても、毒蛇が逃げ込んでいる(潜在危険物質の存在)貯槽であれば、貯槽は破裂に至らなくても、漏洩することによって大きい災害になり得るのであり、必要な防護策をとらないと使用できない。
化学プラントのPHAに必要な情報には、化学物質に関するもの、設備に関するもの、操作に関するものなどがあり、一般的にこれらをまとめて「プロセスの安全に関する情報」とよんでいる。PHAを行う場合、「プロセスの安全に関する情報」に「危ないもの」という情報が含まれているか、あるいは、その情報から「危ない」ということが読み取れるかどうかによって、安全対策に大きな違いを生じる。

第29号 ワールドカップを振り返って

野口和彦  三菱総研
ワールドカップが開催されていたのは、つい3ヶ月前であった。しかし、実感としては、随分昔のことのように感じる。今度、ワールドカップが話題に上がるのは、年末の10大ニュースの時ぐらいしかないであろう。
この間いろいろなことが起きた。原子力の保安に関する問題、小泉総理の北朝鮮訪問等めまぐるしい日々が続く。
このような状況であるから、ワールドカップの危機管理に関与してきた立場として、今後のために簡単に経験を整理しておきたい。
まず感じるのは、まちがいなくワールドカップは日本が米国ではない世界を経験したイベントであったということである。米国は、世界政治・経済の中心であるが、サッカーではヨーロッパ、南米の世界が大きく影響をもたらす。この経験はものを見る目を多様にした点で貴重である。
次に、日韓で開催されることで、これまでのW杯とは異なるリスクに関する対応が必要になり、社会や組織の安全を守るためには、いかに多様なリスクへの対応が必要であるかを認識したイベントでもあった。
W杯のリスクとしてまず思いつくのは、フーリガン対応であり、サポーターの騒乱であったであろう。しかし、今回のW杯は、自然との戦いでもあった。
6月の日本は、梅雨の時期である。今年は幸いにして大した雨には遭遇しなかったが、大雨対策、台風対策、地震対策等、関係者は大変気を使い、準備を実施してきた。
観客輸送、チケット問題への対応等、大小の課題に対し関係者は文字通り不眠不休でがんばってきた経緯がある。
危機管理を担当したものとしての感想を最後に記す。
それは、「危機管理は意志である」ということである。危機が発生すると、何とかしたいと思っている人、心配している人等多くの人が対策本部に集まる。しかし、そのような人が何人集まっても、危機管理はできない。危機管理には、この危機を具体的にどのように治めるかという意志を持っている人がいないと実施できないということである。今回のW杯にはその人材を得たことが幸いであった。
今後、様々な事件・事故が組織や社会を襲うであろう。その時に明確な意志を持って事にあたれるか。その事が、危機管理の成否を決するであろう。

第28号 事故現場記録について

中村順   <科学警察研究所>
工場などで発生した事故に関しては、現場調査が消防、労働、通産、警察それぞれの立場で行われる。それは、原因究明、再発防止、災害予防、今後の災害対策の確立など目的もいろいろで、それぞれの機関における調査目的及び必要性に応じてなされる。
警察でも、現場調査は、その程度にかなりの幅があるが行われる。
 大きな事故の場合、現場の破壊状況、周辺の被害状況、当事者の供述など克明に記録が取られていく。それには、多くの時間と人員が投入される。例えば、壊れた配管の接続状況の確認、破片化した物の元の位置の特定、構造物の変形・移動状況、飛散物の飛散方向や飛散距離、死傷者の状況などが記録計測され、現場や器物の状況の図面が作られ、写真記録される。そのために材質の検査をしたり、専門家に立ち会ってもらい教えを受けたりもすることにもなる場合がある。
 事故原因の究明は、専門家の方にお願いすることもあるし、独自の立場で行うこともあるが、いずれにしても事故現場記録は原因究明のための基本となるものである。事故原因だけに限って言えば、詳細な現場記録は必ずしも必要というわけではない。専門家が数回現場を観て必要箇所だけ写真を撮ることで済む場合もある。しかしこうした記録をきちんと行うということは、公的機関として法令に基づいて現場を記録して事実を明らかにするという目的があるか
らである。このような事故現場での活動は、あまり知られていないようなので紹介した。

第27号 HaZOpとWhat-if

高木伸夫   <システム安全研究所>
プロセス安全性評価手法にHAZOP(Hazard and Operability Study)とWhat-ifという手法があります。
両手法とも専門分野の異なる複数のメンバーからなるチームを編成して実施するのが一般的です。前者は、ガイドワード(無し、増加、減少、逆転など)とプロセスパラメータ(流量、圧力、温度、液レベルなど)を組み合わせることにより、例えば「流れが無い」、「流れが増える」、「逆流」といったプロセス異常を想定し、その原因となる機器故障、ヒューマンエラーなどをまず洗い出し、次に、その原因が発生した際のプロセスへの影響の検討、異常の発生防止ならびに影響の抑制にあたって講じられている安全策の妥当性を評価しようとするものです。一方、What-ifは、評価チームのメンバーそれぞれの気付きにより、「ポンプが故障で停まったら」、「バルブが閉まったら」、「不純物が混入したら」といった異常の引き金事象を想定し、それが発生した際のプロセスへの影響の検討、安全策の妥当性を評価する手法です。手法としてはHAZOPの方が系統的・網羅的でWhat-ifの方が簡単ですが、逆に簡単さゆえに上手く機能しないことがあります。時々、What-ifを上手く実施するにはどうしたらよいかという質問を受けます。色々な要因がありますが、対応策の1つとしてHAZOPの経験を積み、HAZOP的な思考方法をWhat-ifに持ち込むことにより効率的にHAZOPに近い効果をあげることができると思います。

第26号 最近の事故例に対して思うこと

小川輝繁   <横浜国立大学大学院 工学研究院>
「以前は管理職、特に課長級の人は現場のことは細かい点までよく熟知していたが、最近は管理職の現場の把握が乏しくなってきている」という話をよく聞きます。
確かに事故事例の中には、管理職が現場の仕事をよく把握していなかったことが原因の一つと考えられるようなものが少なからず見受けられます。このように、管理職が現場の隅々まで把握することが難しくなる背景は経営の合理化に伴い、管理職の守備範囲が広くなっていることや認証制度の普及拡大に伴って文書化が求められるためデスクワークが増大していることなどが挙げられます。
また、最近の事故例をみると組織の中枢部の目が行き届きにくい部分で起こっているものが多いと思われます。組織の中枢部が危険性を強く認識して関心をもっている部分ではほとんど事故は起こっていないと思われます。事故が起こった後、現場で行っている作業を事業所の幹部が初めて知ったというような例も見られます。周辺部の仕事を管理職がよく把握して適切な措置を講じることのできる仕組みを作っていくことが安全確保のために重要ではないかと考えている昨今です。

第25号 安全工学実験講座

飯塚義明   <三菱化学㈱ STRC 環境安全工学研究所>
今から22年前、私達の研究室は、新規物質の合成における不安定物質の分解危険性や反応の走危険性の定量的な評価法の研究に着手した。
当時に比べて、現在は、断熱熱量計ARC、DSCそして反応熱量計のRC1、小型熱量計CRCと評価に使用する機器類は多種多様になっている。危険要因や発現条件の摘出さらには対策案の提示が非常に効果的に行える時代になっている。但し、問題なのは、DSCなどの発熱データだけで安全性評価が行われていることである。プロセスのセーフティー・アセスメントやセーフティー・レビューは、この実態感のないデータをベースに「安全」とか「危険」とかが議論されているような気がしている。このような個人的な危機感から、実際に起こる災害事象(反応機からの内容物の噴出から火災の発生、または反応機や蒸留塔の爆発)をいろいろな人達に体験して頂こう思い体験講習会なるもの昨年企画した。これは、協会の普及委員会の特別講習会とて、日本カーリット㈱のご協力を頂き、紅葉の伊香保温泉におけるの座学とヒドロキシアミンの熱分解爆発試験や冷却系統の異常から発生する反応暴走のモデル実験を体験していただいたものであった。参加者から好評を得て図に乗り、今年もう一度新たな講習会を企画中(10月末を予定)である。今回は、より現実に近いモデル、例えば、空気中に長時間さされた有機溶媒を蒸留した場合、どうなるか?
別なモデルテストとして、廃棄物などの集積で問題となる混触や自然発火現象の再現を先の熱分析データと対比させながら、宿舎での参加者による模擬アセスメントもいれた講習会を考えている。

第24号 There is always one more question

練馬区    西 茂太郎
最近、内部や外部機関による監査(サーベイ)の重要性が増して来ている。
過日、米国のある有名なリスクサーベーヤーにサーベイする際の心構えをレクチャーして貰ったことがある。
 冒頭に紹介した言葉「There is always one more question」が今でも頭に残っている。彼曰く「刑事コロンボだよ。コロンボが犯人と思しき人を訪ねていろいろ質問する。私は忙しいから帰ってくれと言われて、帰りかける。ドアのところまで行ってもう一度振返って、もう一つ教えて下さいよとあれをやるんだよ。」と。
 「疑問を持つ、さらに疑問を持つ、つとめてこれをやる。」事実を知ろうとすることは、Suspicious(猜疑心)では無く、技術者としてInquiring(知りたい)、very interested(非常に興味深いこと)ではないか。
当たり前の分かりきった質問を重ねる中で、お互いの意思統一がなされ、結果として出席者の信頼関係が作られる。それが安全を確保するための原点なのだと教えて貰った。

第23号 「知識化」や「教訓」の次に来るもの

和田有司  <(独)産業技術総合研究所>
このたび普及委員会委員を拝命しました。安全工学の重要性は誰もが認めるところですので,安全工学協会の普及にはどこかに突破口があると信じて微力ながらお手伝いしたいと思います。
さて,前号の福田先生や19号の若倉氏が書かれているように,最近,事故事例を活用しようという動きが各方面でみられます。それも,事故事例データベースを作るのではなく,「知識化」や「教訓」として事故事例を一般化して事故防止に役立てようという動きです。おそらく次は,こうした「知識」や「教訓」を分野を越えて活用するために,得られた「知識」や「教訓」を学問として体系化し,教育するシステムが必要になるでしょう。幅広い分野の「知識」や「教訓」を学問として体系化し,それ教育するための安全教育システムを構築するのは,幅広い分野の安全の専門家の方々が集まっている安全工学協会にしかできないことではないかと感じています。

第22号 災害事例解析と防止対策検討委員会の活動

福田 隆文    <横浜国大>
当協会学術委員会に「災害事例解析と防止対策検討委員会」(委員長:横浜国大・関根教授)が設置され,活動しています。
私も委員ですので,その紹介をしたいと思います。失敗学などの言葉が新聞などに出てくることが多くなりました。現在,いくつかの学会などが協力して失敗事例データーベースの構築と活用の検討が進められています。ここでは,建築,化学物質・プラントなど4分野で,各々数100件程度の失敗事例データベースを作るそうです。一方,私たちの委員会は,データベースではなく,絞り込んだいくつかの事例につ いて,直接原因だけでなく背後にある要因や根本原因にまで遡って解析し,教訓を抽出し,更に再発防止に何が大切かを導き出そうというものです。現在,40余件の事例について,解析のための資料収集と視点をどこの置くかの討論を行っています。絞り込んだ事例からの解析ですので,「読み物」として通読して,共に考え,普遍的な教訓を導き出せるものにしたいと考えています。 失敗事例データベースと相互補完的に活用して頂けると考えています。成果は成書としてまとめます。期待して頂きたいと思います。