セーフティー・はーと

2006年2月の記事一覧

第102号 安全第一主義 というけれど

若倉正英 <神奈川県産業技術センター>
しばらく間があきましたがセーフティーハートを再開させていただくことになりました。
セーフティーハートは安全工学会の活動を積極的に支える様々な分野の専門家が,“安全・環境問題”にその専門性を基にコメントしていく場です。ご一読いただき,そのコメントに対して皆様からのご意見をいただければ幸いです。

この1年近くのインターバルの間に様々な産業事故,製品事故,偽装問題,コンプライアンス問題などが起きてきました。特に,ガス湯沸かし器の事故では,多くの人命が失われていたことが明らかになりました。企業のトップが従業員,消費者いずれもの命の重さを第一に考えるべきなのですが,安全とは空気のようなものだという思いもします。普段はその存在を全く気にしていないのに,なくなってみると実は大変な思いをするのです。企業の安全部門の方から時折耳にする言葉があります。“上の人は安全第一って言うけれど,会社の中では利益に貢献する部署に比べると,安全環境部門の評価は低いんだよね”。病気になって初めて健康のありがたさを知る,というのと同じで安全は当たり前のことと思われすぎていて,それを維持するために知恵や努力がいることが忘れられているのではないでしょうか。

安全工学会では産業分野の安全に寄与するため,「ヒヤリハットや事故情報を活用して,現場の安全性を向上させるための研究開発(石油産業活性化センター;安全基盤整備事業)」,「産業保安分野における安全文化の向上に関する調査・検討(原子力安全・保安院;原子力発電施設等社会安全高度化事業)などの活動を行っています。これらの事業の直接の目的はプロセス産業を中心とする製造産業の安全ですが,様々な分野に利用可能です。多様な安全専門家が活躍する安全工学会の特長を生かして,得られた成果を広く活用していきたいと考えております。

第101号 水俣病50年に思う

伏脇裕一
今年は,公害の原点とされる水俣病を行政が公式に確認してから,5月1日で50年の節目を迎えました。
思えば,私が学生であった1970年代頃,水俣病に関心を覚え,その原因を究明する過程で,メチル水銀の分析法,食物連鎖,生物濃縮,難分解性化学物質の胎児への移行等多くの貴重な知見を学ぶことが出来ました。公害・環境に関する調査研究の職を求めたのも水俣病問題がその根底にありました。また,この頃チッソ株式会社の一株運動も盛んになり,患者さんは厚生省(当時)やチッソ本社などへの抗議のために座り込みやビラまきを繰り返し行ってきました。これら一連の運動の成果として2004年10月に,最高裁判所は水俣病の被害拡大防止を怠った国と熊本県に対し法的責任を認めた判決を言い渡しました。水俣病の発生から約50年をへて確定したこの判決の意義は大きく,水俣病患者さん達の運動の賜と思われました。患者の高齢化,胎児性患者の将来への不安など解決しなければならない重要な課題が山積しておりますので,国は病気で苦しんでいる原告らに対し医療救済や保障などの必要な施策を早急に取り組むことが必要になってきております。さらに,まだ取り除かれていないヘドロの一部は海に残されております。不知火海域の環境調査も引き続き国の責任で取り組んで頂きたいと思います。

50年を迎える節目の年に,再び水俣病のような惨禍が世界で繰り返されないように,水俣病問題を様々な角度からもう一度見つめ直すことが求められております。