セーフティー・はーと

第101号 水俣病50年に思う

伏脇裕一
今年は,公害の原点とされる水俣病を行政が公式に確認してから,5月1日で50年の節目を迎えました。
思えば,私が学生であった1970年代頃,水俣病に関心を覚え,その原因を究明する過程で,メチル水銀の分析法,食物連鎖,生物濃縮,難分解性化学物質の胎児への移行等多くの貴重な知見を学ぶことが出来ました。公害・環境に関する調査研究の職を求めたのも水俣病問題がその根底にありました。また,この頃チッソ株式会社の一株運動も盛んになり,患者さんは厚生省(当時)やチッソ本社などへの抗議のために座り込みやビラまきを繰り返し行ってきました。これら一連の運動の成果として2004年10月に,最高裁判所は水俣病の被害拡大防止を怠った国と熊本県に対し法的責任を認めた判決を言い渡しました。水俣病の発生から約50年をへて確定したこの判決の意義は大きく,水俣病患者さん達の運動の賜と思われました。患者の高齢化,胎児性患者の将来への不安など解決しなければならない重要な課題が山積しておりますので,国は病気で苦しんでいる原告らに対し医療救済や保障などの必要な施策を早急に取り組むことが必要になってきております。さらに,まだ取り除かれていないヘドロの一部は海に残されております。不知火海域の環境調査も引き続き国の責任で取り組んで頂きたいと思います。

50年を迎える節目の年に,再び水俣病のような惨禍が世界で繰り返されないように,水俣病問題を様々な角度からもう一度見つめ直すことが求められております。