セーフティー・はーと

2002年4月の記事一覧

第20号

大島 榮次  <安全工学協会 会長>
最近、浜岡原子力発電所の水素爆発の事故を始めとして、高圧ポリエチレンプラント、ナイロン紡糸プラント、石油精製の脱硫プラントなど、と幾つかのプラントの事故が発生しております。
 幸いどの事故も人身に被害はありませんでしたが、社会的な不安を引き起こした点の責任は免れません。 しかし、日本のプラントの安全性は国際的に見て、非常に高い水準にあることが統計的には示されております。 米国のある保険会社の人から、何故日本ではプラントの事故件数が少なく、しかも事故の規模が小さいのかと尋ねられたことがあります。 現場をまもるオペレーターが優秀であるということは大きな原因であると言うことが出来るでしょう。 しかし、いまだに失敗が散見されるのは残念なことであります。 最近の事故の原因を見ると、従来の安全管理技術の裏をかくような、想像し難かった状況で事故になっている例が多いようです。 言い換えれば、今では当たり前の事故は起こさない技術水準に達しており、これから起こるのは難しい事故ばかりということにになるのかも知れません。 風邪のビールス退治のように、事故は常に皮肉な条件で起こるので、絶えず新たな取り組みが求められということでしょう。

第19号 失敗知識の活用研究が始動

神奈川県産業技術総合研究所  若倉 正英
「失敗は成功の母」と言われているにもかかわらず、わが国には失敗を恥とする風潮があり、それが事故を隠蔽し類似事故の発生を招いたり、時には積極的技術開発の足かせにすらなってきた.
さらにはH2ロケットや臨界事故など、我が国の科学技術に対する信頼性が揺いでいると自覚した(?)文部科学省は、昨年度から工業技術分野での失敗経験の積極的活用を目指して研究プロジェクトをスタートさせた.対象となる技術分野は建設、機械、材料そして化学物質・プラント分野である。それぞれの分野で多くの失敗事例を収集・解析して、失敗知識を体系化しようとするものである.一方、化学物質・プラントの分野では過酷な開発競争や企業企業秘密の壁があり、同時に化学物質に対する厳しい市民の視線が存在する.市民が化学物質と安心感をもって共存するためには化学物質のリスクに関する社会的コミュニケーション、その基礎となる企業の安全活動やリスクを正しく認識するための社会教育や公的教育の充実が不可欠である.
 失敗知識の活用研究はそれだけで単独で存在するのではなく、安全に関する多様な工学的研究、リスクマネージメントに対する取り組み、生産活動から生じるリスクの社会的受容性のあり方など結びついた、21世紀の安全の中核研究として考えるべきなのではないだろうか.

第18号 「安全文化」と保安管理

野田市   平田勇夫
チェルノブイ発電所の原子炉事故以降、世界の原子力発電の分野で安全文化の論議が行われるようになったが、1990年代後半まで日本国内ではあまり論議されていなかったように思う。
東海村での臨界事故、H-Ⅱ打ち上げ失敗などを契機に、政府が「事故災害防止安全対策会議」を開催(1999年秋)し「安全文化」の創造を取り上げてから、国内の原子力以外の産業分野においても注目されるようになった。このような流れの中で2000年末高圧ガス保安協会が「安全文化研究会報告書」を発行し、INSAGがまとめた安全文化の8つの要件(1991年)などについて敷衍している。その部分を読むと「安全文化」は保安管理そのものであることを痛感する。前者を後者(OSHAのPSM規則など)と対比して例示するとつぎのとおりである。
  1. 相互の確実、密接なコミュニケーション⇒「安全に関する情報の収集と教育」及び「事故調査・報告」
  2. 的確な手順の作成と厳守(学習の文化)⇒「操作手順の作成と周知徹底」
  3. 安全活動に対する厳格な内部監査(自立の文化)⇒「内部適合監査」
  4. エラーを率直に報告できる雰囲気作り⇒「事故の調査・報告」
「言わずもがな」のことを述べるが、これらの要件の基底には組織問題としてのヒューマンファクターの取り組みが含まれおり、上に例示した対比は機能的な保安管理システムの構築には、その組織において「安全文化」を醸成することが不可欠であることを示唆している。
最近保安関連法規・基準の性能規定化などが進められているが、わが国における安全管理が新しいパラダイムへの移行を始めたと見ることができる。これを実り多きものにするためには、関係者が「安全文化」の醸成について論議を深め、社会と安全を共有できるパラダイムを創造していく努力が必要であり、その責務を認識して対応することが重要である。