セーフティー・はーと

2004年5月の記事一覧

第68号 自主保安は自守保安

坂 清次 (株)三菱総合研究所 客員研究
少し古い話になりますが、りそな銀行に預金保険法第102条により公的資金が注入され、事実上の経営破綻で国による管理下に入りました。自己資本比率という最重要な尺度から判断されたもので、リスク対応が問われたものでした。
 わが安全工学協会が入居しているビルが、りそな銀行の前身の大和銀行ビルでした(その支店も合理化で閉鎖され、なくなりました!)。もっともまだ旧名の大和横浜ビルとなっていますが、何やら象徴的です。安全を標榜する協会の足元が、経営的に揺らいだのです。
 昔は銀行といえば、堅実・確実さの代名詞でした。勝負の世界では“銀行レース”といえば、間違いのない堅いレースのことで面白みの少ない本命が必ず勝つレースのことでした。この世界に、国際ルールが適用され、リスク対応それも自主的な取り組みが求められるようになりました。旧大蔵省の護送船団方式の庇護のもとの“出来レース”が、市場経済のもとで評価されるようになったわけです。法律万能から自主保安に移行した安全問題と同じです。銀行の場合は、その社会性、公共性から国が守ってくれましたが、工場や事業所の火災・爆発・漏洩はそうではありません。自“主”保安は、自らが自らを守る自“守”保安なのです。
 思えば日本の金融破綻のきっかけは、“安全銀行”という安全を冠した銀行の破綻でした。奇しくも地下鉄サリン事件の当日銀行名が消え、消滅しているのです。他山の石としたいものです。

ご安全に

第67号 安心な社会への進歩

和田有司 <(独)産業技術総合研究所 爆発安全研究センター>
同時多発テロ以後の社会に対する不安の裏返しであろうか,「安心な社会」というキーワードがよく聞かれるようになった。「安心な社会」とはどんな社会であろうか。
「安心」=「心が安らか」であるからには,きっといろんな心配事がなくて,住民は何も心配しなくても安全に暮らせる,そんな社会のことであろう。もちろんこれは理想にすぎない。今の日本が「安心な社会」である,と思っている人はまずいないであろう。しかし,安心ではない社会,すなわち,危険と隣り合わせの社会に暮らしていながら,自分だけは安全,と思いこんでいる人は,決して少なくはないようである。六本木ヒルズの回転ドアの事故以後,同様の子供の被害として児童公園の遊具による事故が盛んに取り上げられている。昨年の安全工学研究発表会で警察関係の方が遊具の事故調査事例を発表されていた。私はこうした事故例はどんどん世間に公表していただきたい,とお願いしたが,期せずしてマスコミに取り上げられている。多くは管理責任を問題視しているようであるが,それだけでよいのであろうか。先日,近所の児童公園でブランコが動かないように固定されているのを見かけた。これならブランコにぶつかって怪我をする心配はない。しかし,これが真に安心な社会への進歩なのであろうか。安心な社会は,何が危険かを認識することから始まるものであると思う。動かないブランコから動いているブランコと隣り合わせの危険を知ることは困難なのである。