セーフティー・はーと

セーフティー・はーと

第121号 世界に依存している我が国を再認識して

今泉博之 <(独)産業技術総合研究所> 2008年2月4日掲載
冷凍ギョーザから殺虫剤成分が検出された事件についての報道が続き、その被害が徐々に拡大する様相を呈してきた。
最初に報道された薬剤のみならず、新たな薬剤も検出されたとか・・・。昨今殺伐とした事件が頻発する中、何が起っても不思議ではないと思ってはいるが、「食べ物から殺虫剤成分が・・・」となれば、やはりショッキングと言わざるを得ない。また、身の回りに輸入品が実に多い状況を鑑みると、「一体どうなっているんだ」というのが率直な気持ちであり、とにかく真実を知りたいところである。しかし、我が国の情勢を考える時、これに類する事象は今後も発生するのではないかと思う。

我が国は国土が狭いこともあり、いわゆる"資源"に恵まれているとは言い難い。

例えば国内で消費する一次エネルギーの自給率は、原子力を含めた場合で20%程度、原子力を除くと約4%である[1]。1970年代の2度のオイルショックを経て石油への依存を少しずつ是正し、現在ではその依存度が50%を下回る水準となったものの、他の主要国に比べれば高い水準と言わざるを得ない。今も昔も、我が国の生命線が石油であることに変わりはない。

食料についても類似した状況である。世界の主要国で十分な食料自給率を有する国は多くないが、我が国の自給率40%(正確には総合食料自給率)は最低水準であり、その上漸減傾向にある[2]。何とも心許ない。

ところが、我々は日常生活の中で食物などに "量的な不満・不安"を実感する瞬間がどれだけあるだろうか。筆者はというと、ほとんどない。多くの人がそうではないかと思う。これは、世界中から物資が潤沢に供給されているという有り難い状況の証であるが、そこでの物の売り買いは経済性(価格)が最優先され、勢い"質的な要求(安全性など)"は置き去りに成りがちではないか。我々の日常生活はこの状況の上で"支えられている"のである。今回の事故の背景に、この構図が透けて見える気がする。

昨今の世界情勢は少しずつ緊迫あるいは悪化していると思われ、未来永劫、潤沢な物資の供給が続くとは考え難い。この変化は我が国の国勢に間違いなく深刻な影響を及ぼすし、特に食物やエネルギー等は国の基盤を支える物資であるため、"経済ではなく安全保障"と捉え対処すべきである。こんな当たり前とも思える事が、今回のような事件に遭遇するたびになぜか気になって仕方がない。

参考資料
 IEA, Energy Balances of OECD Countries 2000-2001 (2003).

第120号 安全教育としつけ

鈴木和彦 <岡山大学> 2008年1月21日掲載
私の研究室名は「高度システム安全学」である.この名に示すように,大学の内外に「安全」に関する研究と教育をすると宣言している.
しかし,最近思い悩むのは,「安全教育」として,学生達に何を教授したらいいのかである.システム安全工学として,理論,手法を学ぶことは必須であるが,「信頼性工学,危険評価手法,安全管理の基礎・理論を講義で教授すること」=「安全教育」とは言えない.昨今「安全文化の醸成」の必要性が唱えられている.「教育」により,若い学生達に,「安全」の重要性を意識させ,「安全意識・知識」を身につける助けをしたいと思っているが,なかなか実現は難しい.

ところで,「安全教育」と「人の命」であるが,新聞紙上,毎日のように悲惨な事件が報道されている.ほんの一部の人達によるものとしても,人の命に対する意識が薄れているようで気がかりである.最近の若者(一般大学生)を観ても挨拶ができない,お礼が言えない等々であり,結構マナーも悪い.どうも一般的には倫理観に欠ける学生が増えているような気がする.また,ゲーム感覚で生きている学生を多く見かける.

しかし,1年間研究室に所属し,教員,先輩学生とつきあう内に徐々に学生達は変化をみせる.ゼミ等で安全研究についての議論をしながら,「しつけ」も同時にしていることの成果かもしれない.学生達は,結局「教育」「しつけ」により変わる.社会,企業においてのこのような努力をしなければならないのが現状であろう.

学生達(若者)には,うっとうしがられるのを覚悟で,これからも「安全教育」「しつけは」地道に続けるつもりである.

「安全意識・知識」を持ち「人の命」の尊さを常に考えながら行動できる若者を育てることができればと思う.

第119号 駒宮先生のファイル

辻 明彦 <NPO法人・災害情報センター> 2008年1月7日掲載
昨年11月、日本の労働安全、安全工学に多大な貢献をされた駒宮功額先生が他界された。
古今東西の事故事例に精通され、私どもの初歩的な質問にもいつも丁寧なお答えを頂戴した。ある時、都市ガスの事故についてお尋ねした折、これを見るようにと1つのファイルを渡されたことがあった。その中には、都市ガスの性状に関するデータ、事故の新聞切り抜き、内外の論文などがまとめて保存されていた。

先生は、当センターの会誌に毎月欠かさず安全に関するコラムを寄稿して下さっていたが、そのテーマは高圧酸素の事故から温泉地の硫化水素事故、さらには動物による交通事故まで多岐にわたっていた。先生はそれぞれのテーマごとにファイルをお作りになっていて、ご研究や原稿作成の糧とされていたようだ。

先生が2001年に中央労働災害防止協会から上梓された「技術発展と事故―21世紀の「安全」を探る」は、それらのファイルも活用しながら長年にわたる事故調査と実験研究の成果を読みやすく集大成されたものだ。技術の発展やエネルギーの変化、日本と海外の風土の違いなどから独自の史観で事故の変遷を俯瞰されたもので、今日、このようにしてライフワークを世に問う安全研究者は極めて少ない。この本の中で先生は、明治以来日本は、欧米の技術を事故や失敗の多大な犠牲の末に安全が確立した段階になって導入することができ幸運だったと指摘されている。安全の技術や基準の多くを欧米に頼る状況は今日でも基本的に変わりなく、技術史から事故を見る先生の視点はこれからも重要である。

私は、駒宮先生が遺された膨大なファイルや書籍の整理・活用の仕事に縁あって参加させていただくこととなったが、故人の方法論を引き継ぎつつ活用の道を探りたいと思う。

第118号

古積 博 2007年12月10日掲載
今秋、中国、韓国を訪問する機会があった。小生、両国とも過去数10年の間にそれぞれ数回ずつ訪問しているが、ここ数年の両国の変化の大きさには目を見張るものがある。また、その活気には圧倒される。
日本には、長年、「世界第二の経済大国」という枕詞が与えられてきたが、昨今の中国の発展と日本経済の沈滞のために残念ながらこの枕詞を返上する時がやってきた。一方、安全防災の面でも日本は長年世界の中でも高いレベルを維持してきたが、これも中国、韓国に追いつかれつつあるように感じられる。これは、国際的な雑誌での中国や韓国の論文の掲載数の増加をみても判る。

日本が世界の安全防災の面で引き続き、世界のトップランナーの立場を維持するためにどうしたらよいのか、考えさせられる。我々、研究者は、先ず第一に、引き続き、地道な研究を続け、成果をできるだけ発表するべきであろう。また、国際会議に出席するなら出来るだけ発表したいものである。外国の研究者と交流する時、ギブアンドテイクでないと続かない。研究発表の質は最も重要だが、数も大事であろう。研究者は、利害が絡まない場合、研究成果に対しては、公平である。日本からたくさん発信していれば思いがけない好意的な反応があるかもしれない。他方、成果を基に社会に貢献して安全工学研究の認知度を上げ、その重要性を理解してもらうよう努力したい。他方、安全工学会は日本の安全防災研究の司令塔なわけで、我々の研究の高さと重要性を国内外の社会に理解してもらうようサポートしていただけるとありがたい。また、我々はどうしても視野が狭いので社会のニーズを取り込み、研究の方向性を示していただけたらありがたい。

国際化がはやりだが、我々は日本人であり日本がベースである。日本の存在感が無くなるのはさびしい。

第117号

熊崎 <(独)労働安全衛生総合研究所> 2007年10月15日掲載
少し前の話ですが,某大学で実験後の廃液処理中に,学生が化学薬品を混合させた結果やけどを負った,という事故がありました
報道等によれば,幸い,症状も軽く大事には至らなかったようです。聞くところによれば,この実験が行われていた研究室の専門は化学ではなかったそうです。

ある種の化学薬品は混ぜただけで急激な反応を起こして危険な状態になる,ということは化学安全に携わっている人ならご存じの事です。しかし,その危険性はどれだけ知られているのでしょうか?上記の事故も,学生はその事実を知らなかった・気づかなかった可能性があります(化学の研究室だったら起こらなかった,とは言えませんが)。
逆に,化学の実験室で起こった感電やポンプの巻き込まれなどは,電気安全や機械安全の専門家からすれば「なぜ気づかなかったのか?」と思われる事故であるでしょう。

多くの分野にまたがる複雑な作業に日々追われていれば,何処にどんなリスクがあるか,自分の専門分野でなければなかなか見えません。しかし,それをよしとするのではなく,常に自分の行っている行動に危険性があるのではないか?という「疑いのまなざし」と,専門外の情報や自分とは関係のないと思える事故情報にも「アンテナ」をたてて自分の業務に役立てるどん欲さが重要なのではないかと思う次第です。

第116号 「コミュニケーション」と情報技術

仲 勇治 2007年9月25日掲載
ISOの標準化に参加したことがあったが,そこでの会議の進め方と日本における同様の会議の進め方が全く違うのに驚かされた。
まず,両方とも議事次第が用意されるが,向こうは,項目やそれらを議論する順番に結構時間を費やし,その日に議論し,決めたい事項を明確にしていく。日本では,議事次第の中に委員長挨拶などから始まり,項目や議論の順番などの議論には時間を割かないことが多い。どうも,向こうは参加者のバックグラウンドは異なるのが当然であり,その違いを旨くかみ合わせることで広い観点から議論しながら素目標に向かって議論をする意図を持っていた。一方,日本流は,会議の主催者側の意向表明があるものの必ずしも十分でなく,参加メンバーが意向を徐々に理解しながら,意向に添って議論を進める場合が多い。 
どちらが旨いコミュニケーションの取り方であろうか? 
もっと驚いたことは,書記の能力の高さである。委員の話をコンピュータに打ち込み,それも色分けして。休憩の10分前に,同色を合わせながら,議論の中間のまとめを作ってしまった。利用者の能力が高ければ,もの凄いコンピュータのパワーを引き出せる。 コミュニケーション手段としてコンピュータはもはや必須である。

安全技術に関わる設計や運転標準などの図書は,過去に行われた設計で考えていたことを表現している。今それらを見ている人達は,当時の設計に関わった人達と交信していることになる。しかし,必ずしも交信がうまくいっていないことは,団塊世代の退職に伴う技術伝承問題として表面化している。

コンピュータのパワーを用いて,何処まで論理的に,多角的に,安全管理を支える技術として整備できるのであろうか。

第115号 安全な設備とは?

和田
燃料電池自動車普及に関連するある事業に携わっています。燃料電池自動車が普及するためには水素ステーションが必要です。
様々な安全性の評価を行い,規則が改正され,水素ステーションが設置できるようになりました。しかし,安全を確保するためにかなり広い敷地が必要とされます。燃料電池自動車が普及するためには市街地にも水素ステーションが設置できるように水素ステーションをコンパクト化する必要があるといいます。そのために,水素ステーションで高圧の水素を貯めておく容器を地下に設置できないか検討することになりました。すでに安全対策もいろいろと考えられています。設備そのものは,規則に則り,まず水素が漏れることがないように作られます。それでも,万が一の水素漏れに備えて,警報設備を設置し,水素が漏れても溜まることがないように,24時間故障のない換気装置で換気します。たぶん安全な設備ができると思います。でも,本当に大丈夫でしょうか。

以下はあくまで「最悪の」想定です。この安全な水素ステーションに勤勉な運転員が働いていたとします。営業をはじめて数日後,近所の住民から「換気の音がうるさいからなんとかして」という苦情がきました。勤勉な運転員は設備が安全なことを良く知っています。警報設備もあります。苦情のために営業を止めることはできません。とりあえず,換気装置なら止めてもいいか,と思うかもしれません。24時間故障なく動くように設置された換気装置はこうしてムダになってしまいます。そんなバカな,と思われる方に以下の渋谷の温泉施設爆発に関する情報を紹介します。

温泉施設の温泉くみ上げ施設では,開業当初は発生するガスを排気管を通して直接外に放出する仕組みになっていたそうです。ところが,くみ上げポンプの音が排気管から外に漏れ,周辺住民から苦情が寄せられました。そこで排気管を隣の部屋の換気扇まで延ばしたというのです。報道情報なのでこれ以上の詳しいことはわかりませんが,住民の苦情で当初の設計は簡単に変えられてしまいました。

第114号 安全のイメージ

安田憲二 <(独)国立環境研究所>
廃棄物の処理では,取り扱い物の組成が不均一で変動が大きいため,
安全への対応が原料から製品を作る場合とは違ってきます。
廃棄物処理施設を建設する場合,許可等を受ける過程で住民の意見が重視されますので,個々の住民が持つ「安全のイメージ」が施設の内容に大きな影響を与えます。

廃棄物の中間処理施設の建設では,環境負荷に関して環境基準に基づく排出基準値の順守が求められます。施設の内容は,当然それに対応したものになりますが,多くの場合,排出基準値の数分の一から1/10程度の厳しい値に設定されています。処理施設が建設される場所は地域性に違いがあるため,周辺環境により基準値よりも厳しい値を設定する必要のある施設もありますが,地域性に関係なく,一律に値を設定するケースも少なくないように思われます。

「安全のイメージ」はリスクマネージメントに属する領域ですが,不必要に厳しい値に対応した施設を建設した場合,建設費や維持管理コストの増加や,資源の無駄遣い,地球温暖化への負荷を高める原因にもなります。自治体等は住民との論争を避ける傾向にありますから,不必要とは感じつつも過剰設備の施設を建設しがちです。

地球温暖化の影響が抜き差しならぬ状況である昨今,専門家も交えて「安全のイメージ」をより客観的なものにし,過剰設備を無くして資源の無駄遣いや地球温暖化への影響を軽減するための努力が必要とされているのではないでしょうか。皆様はいかがでしょうか。

第113号

渕野哲郎 <東京工業大学>
昨日,アメリカ合衆国ミネソタ州ミネアポリスで高速道路の橋梁が崩落した。
まだ行方不明の人が何十人もいる現在,一人でも多くの方の生存発見を祈るばかりである。
それにしても,日本に限らず,世界中何かおかしいのではないだろうか?本当のところはわからないが,新聞やネットニュースが伝える限りでは,この橋は1967年開通で,1990年すでに接合部の腐食,劣化による亀裂が見つかり「構造上の問題」が指摘されていたが,2005年2006年の検査で,亀裂の進行の拡大がないことを理由に,重量制限なしの継続使用となったとのことである。また,1950年代,60年代の橋は構造上の問題が多いことや,全米で7万箇所以上の橋が同様の問題を持っていることを伝えている。

「わかっていたんじゃない」と言いたくなるし,継続使用を判断したときの根拠,設計強度と当初想定交通量に対し,交通量が激増した段階での余寿命をどう推定したのかなどなど,懐疑的な目で見たくなる。「結局,事が起こらないと対処しない」ところは,どこも同じかと思わざるを得ない。日本では,柏崎刈羽原発の問題,ジェットコースターの事故,エレベータの事故,湯沸かし器の事故,トラックのハブ設計強度不足の問題に,加えて隠蔽・・・・「やはり重要なのは,安全文化(Safety Culture)なのかなー?本当は,エンジニアの要件なのに・・・」とぼやきたくなるのは,私だけ???

第112号 電車の信頼性に赤信号?

藤田哲男 <東燃化学(株)>
奇しくも,2年前にセーフティー・はーとに投稿した際も,
JR宝塚線での電車脱線事故の直後でありましたので,これを話題にした内容を書かせて頂きました。
最近も,またまた,鉄道関係の事故が非常に多いように感じます。特に,非常に長時間にわたり,且つ多くの人々に影響を与えたと言うことでは,(1) さいたま市でのJR高崎線の架線切断事故と,(2) 都営地下鉄浅草線三田駅近くでのケーブル火災事故が挙げられます。これらも,前回で書かせて頂きましたのと殆ど同様に,結局プリミティブな原因が主であり,(1) については,停止位置を守らなかったこと,(2) については,マニュアルの不備があって対応方法が周知されていなかったことのように集約されるように感じました。リスクをどこまで,把握していたかどうか,詳しくはまだわかりませんが,十分防ぎ得ることであったと思います。いずれにしても,大きく信頼性を損じたことは否めないと思います。

局面は違うのですが,自身も,夜遅く会社から帰宅する際に,JR東海道線で約1時間半も缶詰めにされて,うんざりしたことが記憶に新しいものです。前を行く電車が,線路内に何者かが侵入した後,接触したかどうかで,その救出作業に手間取ったとの説明であったように思います。先日も,東海道新幹線で,同種の事故がありました。これは,JR東海社員の自殺によるものであったようですが,運転再開に多くの時間を要したと言う点では共通するものがあったと思います。つまり,リスクを如何に把握し,その対応方法をどこまで検討しているかと言うことではないでしょうか。ただ,いたずらに安全サイドに時間をかけて良いということではないと思いますので,当然のことですが,如何に迅速に対応するか/できるかと言う視点で取り組むことが,信頼性を上げることに非常に大事だと思います。

初心に帰って,改めてリスクマネジメント・アセスメントの大事さをマネジメントがきちんと把握して,リーダーシップをもって,臨むことが肝要と思った次第です。