安全工学会の発足にあたって

平成17年4月
前 安全工学会 会長 田村昌三

 このたび,永年の懸案であった法人化が認可され,「特定非営利活動法人安全工学会」が発足することになった。この機会に安全工学会会長として,法人化への思いと法人化にご尽力いただいた方々への感謝を申し上げるとともに,安心・安全社会の構築に向けての「特定非営利活動法人安全工学会」の今後の活動展開について一言述べさせていただくことにする。安全工学協会は,災害発生の原因究明および災害防止,特に予防に必要な科学および技術に関する系統的な知識体系としての安全工学の確立と,経営者,研究者,技術者などに対する安全工学の知識の向上,ならびに専門の安全工学技術者の養成を目的として,1957年に設立され,これまで48年間にわたり活発な活動を展開し,災害防止,安全工学の確立,安全知識の向上と普及等において数々の貢献をしてきた。しかしながら,これまでの安全工学協会の活動は任意団体としてのものであり,社会的存在として認知された団体ではなかったため,その活動に自ずと限界を感じることがあった。

 そのような事情から,社会的に認知された団体としての活動を行うため,10年前から諸先輩により法人化を目指した努力が展開されてきた。しかしながら,社団法人としての法人化には種々の困難があり,法人化への道は容易ではなかった。
幸いにして,1998年の特定非営利活動促進法の制定により特定非営利活動法人の設立が可能となり,また,2003年の改訂特定非営利活動法人法の施行により科学技術振興を図る活動分野が拡大し,さらに,規制緩和により法人格の取得が容易になった。

 そのような背景のなかで,三浦前会長のご指導の下,2003年5月の理事会において,法人化に向けての検討が決議され,2004年3月の理事会において,法人としては「特定非営利活動法人安全工学会」とし,法人化の時期は2004年度の総会承認後の早い時期とするとの方針が決定され,総務委員会が法人化の検討を担当し,定款の見直し等の事務手続きが開始され,2004年7月の安全工学会の設立総会を経て,2004年12月,「特定非営利活動法人安全工学会」が神奈川県から認可されるに至った。安全工学協会としての永年の悲願が達成された。
 今回の法人化に当たり,三浦前会長,松井前総務委員長,植松総務委員長をはじめとする理事,監事の方々,井村前事務局長,神谷事務局長をはじめとする事務のかたがたのご尽力,会員諸氏のご理解とご協力に心から感謝申し上げる次第である。
 一方,近年のわれわれを取り巻く世の中を見ると,種々の事故や災害等の安全問題が発生した。原子力関係の事故,化学物質の輸送中の爆発事故,化学工場や煙火工場の爆発事故,石油プラントでの火災事故,ゴミ処理施設の火災爆発事故,ガスタンクの爆発事故,ゴム工場の火災事故等数多くの産業災害が発生した。また,台風による被害,中越地震による被害,スマトラ沖地震での津波による被害等,大きな被害を与えた自然災害が発生した。さらに,昨今の新聞,テレビ等をにぎわわせている数々の深刻な社会問題の発生等,われわれの生活に不安を感じることが多くなっている。
産業災害について見ると,災害の発生原因として,多くは安全意識や安全倫理の欠如,安全知識や安全技術が十分でないことが挙げられる。ものをつくることに目が向けられ,安全への慣れから,安全が不可欠の重要な要素であるという安全意識の希薄化や,問題が起こった場合の社会への影響に関する認識不足ともいえる安全倫理の欠如があったと思われる。また,安全知識や安全技術に関しても,直接関係する分野の知識や技術はあっても他分野の知識や技術を活用することができなかったことに起因する問題,すなわち,安全知識や安全技術の共有化の不足等があったと考えられる。

 これらの安全問題には,その背景に日本経済の発展による豊かな生活の実現とライフスタイルの変化,産業の発展,国際化の進展等に伴う産業構造の変化があったといえる。すなわち,安全な環境の中で育ってきたために危険に対する感性が低下してきたこと,成熟期における人の考え方,価値観の変化が見られることが挙げられる。一方,産業の高度化,多様化,国際化,局限化の中で,潜在危険は増大し,作業の分化,専門化,コンピュータ化が進んだことにより,作業の全体像や中身がわからなくなってきており,異常事態への対応が困難になってきていること,合理化,リストラ等による技術伝承が問題になってきていること等がある。
また,台風,地震,津波等の自然災害の発生により,思いもよらなかった多くの被害がもたらされた。自然災害に対するわれわれの安全意識の問題や災害予測や防災対策を十分に行うことの困難さが痛感される。さらに,昨今の社会問題の発生等には目を覆うものがある。倫理感の醸成をどうすべきか考えさせられる問題である。
21世紀は安心・安全の社会と言われている。これは人間社会において,安心・安全が必要不可欠な一つの重要な要素であるということの社会的認知であろう。これまでの発展期においては忘れがちであった安心・安全が成熟期においてその重要性が再認識されてきたということかも知れない。

 われわれが安心して暮らせる社会を構築していくためには,まず,安全の基本である倫理感をもち,危険に対する感性,すなわち,安全意識を高めることが必要であろう。また,安全についての基本的知識を身につけ,リスクというコンセプトを理解することであろう。かっては絶対安全ということがよくいわれてきた。しかし,絶対安全神話に浸ることなく,リスクの存在を科学的に理解し,ベネフィットとリスクの考え方を基に,リスクの低減に努めることが重要である。次いで,家庭教育,初等・中等・高等教育,社会人教育,一般市民教育等の各段階において,安全教育・啓発を推進し,安全の基本に対する理解を深め,安全知識や安全技術の普及に努めることであろう。さらには,安全教育・啓発推進のための人材育成を図り,先導的,統合的な安全技術を確立していくための総合的安全研究や総合的安全性評価を行うことができ,また,安全知識や安全技術を整備し,体系化を図るとともに安全知識や安全技術を共有化していくことができる安全環境の構築に努める必要があろう。
安心・安全社会の構築において,いま,安全工学が果たす役割には極めて大きいものがあり,安全工学をその活動の基礎とする新生なる「特定非営利法人安全工学会」への期待は大きいものがあろう。

 安全工学協会の2004年度および2005年度の活動方針についてはすでに安全工学誌Vol.43.No.4(2004)で述べた。今回の法人化による「特定非営利活動法人安全工学会」においても,その活動方針は基本的には変わるものではない。安全工学の体系化,安全を支える人材育成,安全知識の整備と普及・共有化を目指して,安全工学会の活動を展開していきたいと考えている。このたびの法人化により,社会的に認知された団体として活動を展開することが可能となったため,安全工学会の存在と活動に対する社会的理解はいっそう増大するであろうし,今後の安全工学会の活動には幅広い展開が可能になるであろう。
 21世紀における安心・安全社会の構築に向けて,「特定非営利活動法人安全工学会」への社会の期待に応えていくためにも,役員,理事,監事とも十分相談し,議論しながら学会活動を展開していきたいと考えている。会員諸氏のご理解とご協力を切にお願いする次第である。