セーフティー・はーと

2005年7月の記事一覧

第91号 モスクワの大規模停電について思うこと

今泉博之 <独立行政法人 産業技術総合研究所>
都市が大規模災害に見舞われたら・・・。“現代社会の脆弱性”が叫ばれて久しいが,それを如実に示す出来事がモスクワで発生した。
現地時間5月25日昼前,モスクワ市内の南部及びその周辺の州を含めた広域で,大規模な停電が発生した。報道によると,停電の原因は設置後40年程度が経過し老朽化した変電所で発生した火災であり,急増する電力需要に変電設備が対応し切れなかったことが背景にあるという(別の要因も報道されているようであるが)。モスクワでは,地下鉄,トロリーバス,郊外電車などの交通機関がストップ,水道が止まったり,電話がかからなくなったりするなど,1000万人以上の生活に影響を及ぼした。停電からの復旧には2日程度を要した模様で,その影響は市民生活に止まらず経済活動にも波及した。

我々の日常生活を振り返ると,電気は生活を支える最も重要なエネルギーの形であり,近年その重要度は増大する傾向にあると思われる。“オール電化の家”というTVコマーシャルが頻繁に流れるご時世である。日本では“空気や水はただ”という意識が強いということを度々耳にする。電気をただとは言わないが,意識の中ではそれに近い存在になりつつあるように思われる。つまり,コンセントにプラグを差し込むと電気が供給されることを当たり前と思っている節はないだろうか。社会生活の利便性が非常に高くなっている今日,大部分のものが簡単に手に入るという意識が知らぬうちに根付いてしまったのかも知れない。まさに,突発的な災害の餌食ではないだろうか。

災害はいつ発生するか分からない。そのため,規模の大小を問わず,被害を最小限に止めるためのバックアップ体制が重要となる。“公”は被害の想定(シナリオ)を行い,対策(備え)を検討する。その際,どの程度の被害を想定するかが難しい。過大な想定はそれに要する経費が莫大となり実現性に欠ける。過小な想定では心許ない。想定外のことも度々起こりえるであろう。やはり“公”で対応できる範囲は自ずと限界があり,“私(個人)”の対応が欠かせない。

恥ずかしながら,筆者の災害に対する備えは危うい。先日発生した福岡西方沖地震の直後,親族が住む福岡市内へ電話連絡がつかず右往左往した。この類の報道は再三耳にしているにも係らず,自身に問題が降りかからないと,どうしても真剣に考えられない。反省しきりである。個の意識を高め,社会全体の災害に対する備えを底上げできるような妙案はないものであろうか。

現代社会の“安全・安心”は,それを構成する多種多様な要素が複雑に絡み合う上に微妙なバランスを保って構築されている。昨今,社会の“安全・安心”が激しく揺らいでいる。今回のモスクワでの停電は,日本と状況は異なるものの,改めて安全・安心の確保の難しさを突きつけた出来事と言えるのではないだろうか。日本では“災害に強い社会の構築”が提唱されている。その鍵の一つは個の意識ではないだろうか。