セーフティー・はーと

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第91号 モスクワの大規模停電について思うこと

今泉博之 <独立行政法人 産業技術総合研究所>
都市が大規模災害に見舞われたら・・・。“現代社会の脆弱性”が叫ばれて久しいが,それを如実に示す出来事がモスクワで発生した。
現地時間5月25日昼前,モスクワ市内の南部及びその周辺の州を含めた広域で,大規模な停電が発生した。報道によると,停電の原因は設置後40年程度が経過し老朽化した変電所で発生した火災であり,急増する電力需要に変電設備が対応し切れなかったことが背景にあるという(別の要因も報道されているようであるが)。モスクワでは,地下鉄,トロリーバス,郊外電車などの交通機関がストップ,水道が止まったり,電話がかからなくなったりするなど,1000万人以上の生活に影響を及ぼした。停電からの復旧には2日程度を要した模様で,その影響は市民生活に止まらず経済活動にも波及した。

我々の日常生活を振り返ると,電気は生活を支える最も重要なエネルギーの形であり,近年その重要度は増大する傾向にあると思われる。“オール電化の家”というTVコマーシャルが頻繁に流れるご時世である。日本では“空気や水はただ”という意識が強いということを度々耳にする。電気をただとは言わないが,意識の中ではそれに近い存在になりつつあるように思われる。つまり,コンセントにプラグを差し込むと電気が供給されることを当たり前と思っている節はないだろうか。社会生活の利便性が非常に高くなっている今日,大部分のものが簡単に手に入るという意識が知らぬうちに根付いてしまったのかも知れない。まさに,突発的な災害の餌食ではないだろうか。

災害はいつ発生するか分からない。そのため,規模の大小を問わず,被害を最小限に止めるためのバックアップ体制が重要となる。“公”は被害の想定(シナリオ)を行い,対策(備え)を検討する。その際,どの程度の被害を想定するかが難しい。過大な想定はそれに要する経費が莫大となり実現性に欠ける。過小な想定では心許ない。想定外のことも度々起こりえるであろう。やはり“公”で対応できる範囲は自ずと限界があり,“私(個人)”の対応が欠かせない。

恥ずかしながら,筆者の災害に対する備えは危うい。先日発生した福岡西方沖地震の直後,親族が住む福岡市内へ電話連絡がつかず右往左往した。この類の報道は再三耳にしているにも係らず,自身に問題が降りかからないと,どうしても真剣に考えられない。反省しきりである。個の意識を高め,社会全体の災害に対する備えを底上げできるような妙案はないものであろうか。

現代社会の“安全・安心”は,それを構成する多種多様な要素が複雑に絡み合う上に微妙なバランスを保って構築されている。昨今,社会の“安全・安心”が激しく揺らいでいる。今回のモスクワでの停電は,日本と状況は異なるものの,改めて安全・安心の確保の難しさを突きつけた出来事と言えるのではないだろうか。日本では“災害に強い社会の構築”が提唱されている。その鍵の一つは個の意識ではないだろうか。

第90号 自然災害と危機管理

安田憲二 <岡山大学>
昨年から今年の初めにかけて,台風や地震などの自然災害が荒れ狂いました。人為的な災害と異なり,自然災害を無くすことはできませんが,災害が生じた後の危機管理の重要性は人為的な災害と同じです。
これは,人命救助の世界だけではなく,廃棄物の処理・処分に関しても同じです。災害の際には大量の廃棄物が生じますし,日本の気候風土からすると,衛生上の問題から迅速にこれら廃棄物を処理する必要があります。

これまで,自然災害に対する廃棄物関連の危機管理としては,地震を想定したものが多く,私の前職場である神奈川県でも市町村の間で地震災害に対応した廃棄物のマニュアルが作成されていました。10年前の1月17日に発生した阪神・淡路大震災において廃棄物処理が比較的順調に行われたのは,これらの経験が生かされたことも一助になったのではないでしょうか。

同じ自然災害でも,台風では被害の内容が地震と大きく異なります。台風が原因となって廃棄物処理に深刻な影響を与えたのは,2000年に東海地方をおそった台風14・15・17号による大雨でした。特に名古屋市は日降水量428mmの記録的な豪雨で,通過後に水をかぶった大量の廃棄物が残されました。それまで水害を想定した危機管理は行われていませんでしたので,焼却もままならない廃棄物が長期間放置され,社会問題にもなりました。名古屋市と同じことが,私が現在住んでいる岡山県でも起きました。岡山県は「晴れの国」として良く知られていますが,昨年は観測史上最多の台風が上陸しました。岡山県は瀬戸内海に面しているため,海水面が高く,高潮で簡単に海水が冠水してしまいます。この場合の被害も名古屋市と同様に水をかぶった大量の廃棄物が残されました。残念ながら,このときは名古屋市の経験が十分に生かされなかったようです。今年も台風の上陸は避けられそうにありません。私も微力ながら,水害による危機管理に向けて役に立てればと思っています。

第89号 そして「変更管理」の問題による事故は繰り返される

渕野哲郎 <東京工業大学所> 2005年5月16日掲載
大惨事となったJR西日本福知山線での脱線事故に関して,信じられない「新事実」が,事故後一ヶ月近くたつ今も,頻繁に報道されています。
運転手の異常な行動や,組織風土の問題はさておき,「過密スケジュールでの遅れを取り戻すために,日常的に行われていた速度オーバー」,「物理的な路線と運行計画間の整合性を無視して,現場の都合で勝手に変更された運行方法」・・・何処かで聞いたことのある話しではありませんか?そうです,JCOの臨界事故です。「プロセス,操作手順,現象の間の整合性を無視して,時間短縮のためにプロセスおよび操作手順を,現場で勝手に変更したがゆえに起きた事故」・・・,「変更管理」の問題による惨事と言っても過言ではありません。では現場では不整合を認識していたのでしょうか?一字一句は覚えていませんが,JR西日本の技術責任者が「物理的なカーブの設計スピードは,現在調査中です。」と答えていたと記憶しています。えっ?そんなこと,この情報化社会で調査することか?「何時迄,ローテクとするのか,安全管理」字余り。

第88号 大規模事故の続発に思う

藤田哲男 <東燃化学(株)>
一昨年,製造業等での大規模事故が続発したのに伴って,関係省庁を中心として種々の対策が講じられて来たことは,記憶に新しいと思いますが,この所,自然災害を含めて内外でまた大規模事故が後を絶たない状況にあるようです。
4月25日には,JR宝塚(福知山)線で電車脱線事故が発生し,多くの死傷者が出ましたことは誠に痛ましいことです。実は,私は今回のセーフティー・はーとの執筆に当って,同業に近い石油精製分野で,3月23日に米国BP Texas City Refineryで発生した爆発火災事故に関連して,原因はまだ十分に解明されてはいないものの,事故は忘れかけている時に起り易いものだと言うこと,また原因は意外に単純で,且つ通常運転ではなく非定常作業の段階で起り得るものではないかと書いてみようと考えていた所でした。このJRの事故では,事故原因についてこれから詳細に調査が行われますので,予断は許さないものの,カーブでの減速という変更作業に対するリスクアセスメントの不備ないしは定時運行を優先するに安全に対する配慮が二の次になった可能性も考えられます。BPの事故の場合,定修後の変更管理に対するフォローアップシステムの問題ないしは手順の遵守のあり方に問題があるように見えますし,加えて死傷者を多く出した要因として仮設小屋の管理体制の問題も考えられます。何やら,まとまりのつかないことになりましたが,要するに,非定常作業に係るリスクアセスメントの徹底と変更管理の手順の明確化・遵守について周知することの必要性が改めて問い直されていると考えました。「安全第一」“Safety First”---極めて単純な表現ではありますが,意味の重い言葉だと改めて思い直している今日この頃です。

第87号 F君の思い出

西 茂太郎
33年前の冬,私は有為な後輩F君を事故で失いました。極く身近な同僚を失ったのは後にも先にも彼だけです。「今度の土曜,日曜は夜勤明けの連休ですので,故郷の宮崎からフィアンセが遊びに来ます。
西さんの家へ連れて行って良いですか」,「もちろん良いよ」という会話を交わしたあくる日の出来事でした。ある圧力機器が破裂し,爆風で飛ばされてしまったのでした。その圧力機器には安全設備がきちんと装備してありませんでした。この事故を教訓に徹底した事故原因の究明がなされ再発防止の対応が取られました。設計基準にまで反映されました。良く「今ある基準は尊い人命と引き替えに定められたものでゆめゆめおろそかにしてはならない」と言われます。まさにこのことを自ら体験している訳です。あの日,F君が病院へ運ばれていく途中で見た横たわった彼の姿が眼に焼きついています。打ち身で黒ずんだ大腿部が生々しく浮かんできます。このことを契機に安全について真剣に考えるようになりました。NHKの朝ドラ「わかば」を見るたびに思い出します。F君が良く唄っていた「峠越えれば霧島の山の青さが目にしみる・・・・・」の歌声と共に。「西さん,元気にやっていますか,ご安全に!!」彼の声が聞こえます。

第86号 疑問・質問事故事例

中村 順 <科学警察研究所>
先日,全国の県警において火災,爆発事故の現場調査を担当されている科学捜査研究所の技官の方々と事故事例について話し合う機会を持ちました。電気火災,化学火災,爆発事故など多くの事故事例について発表していただき大変参考になりました。
また,既に原因調査結果が報告されている過去の事例について,その事故時の周囲の状況や事故の背景などを教えていただき,そうしたこともあるのだと納得することが多くありました。私共は,事故現場調査に訪れても,時間も限られており,事故の直接的な原因に係わる部分に重きを置かざるを得ませんが,県警の方は,長期にわたって調査を担当されており,後になって判明する事実や,より細かく掘り下げた考察があり,改めて現場でじっくりと調査をされている方との連携が重要だと思いました。

そのなかで,出席者の方から事故原因がうまく究明できたものと,事故原因が特定できないか,あるいはよくわからず,疑問の残った事例,他の県で同様な事例がなかったか質問してみたい事例を分けて発表してはどうかとの意見がありました。さらに,疑問・質問のある事例は,あらかじめ出席者に,その疑問・質問に関する情報を流しておき,それを参加者間でディスカッションするといいのではないかということでした。

最近,失敗事例を生かそうということが言われていますが,事故原因調査に関しても原因究明の出来た成功事例ばかりでなく,疑問の残った事例や,他の人にきいてもらいたい質問事例も取り上げて検討するのも必要だと思いました。

次の会議では,参加者同士で疑問・質問事故事例について,同種事故の調査経験のある人の意見や,どういうことが考えられるか,何を現場で調べたらそれを明らかに出来るかなど大いに議論を深めたいと考えています。

第85号

高木伸夫 <システム安全研究所>
1:29:300というハインリッヒの法則が示すように,大きな事故の背景には300という小さなトラブルが発生しており,小さなトラブルを防止することが大きな事故の防止につながる。
安全工学協会では,石油産業安全基盤整備事業の一環として(財)石油産業活性化センターのもとで石油各社の委員の協力を得て製油所を対象としたヒヤリハット事例を活用するプロジェクトを進めている。なお,対象とするヒヤリハットは滑った・転んだといった行動災害に関するものでなく,危険物質の漏洩や火災・爆発,装置の破損につながる恐れのあるヒヤリハット(いわゆるプロセスヒヤリ)である。どのようなヒヤリハットがどのような装置で発生しているのか,発生要因は何か,何故ヒヤリハットでとどまり事故にまで進展しなかったのかなど,ヒヤリハットに関する情報の体系化をはかり,石油産業における安全基盤の強化に役立てようとするものである。平成16年度は予備調査を行なったが,今後,平成19年度までの3ヵ年で事例収集とヒヤリハット情報処理システムの構築を図る予定である。地道な作業であるがこのシステムが完成し事故の予防に役立てれば幸いであると思っている。

第84号 同じ様な事故を繰り返さないために

島田行恭 <産業安全研究所>
先日,ある工場の爆発事故調査に同行しました.1名死亡7名重軽傷という被災状況でした.現場に入ったのは事故発生の翌日でした.
現場に着く前に入手した情報からは様々な原因が予想され,調査の目的はその推測を確実にするための証拠探しであるかのようにも感じられました.当日は被災された方がまだ手当を受けていらっしゃるということで,事故当時どのような作業が行われていて,何がトリガー(引き金)となって爆発に至ったかは明らかにされませんでした.経験的判断からいくつかの事故シナリオも予想されていますが,今後,被災者の方が元気になられ,お話が聞けるようになれば,事故発生の真の原因が解明されることと思います.

ここ数年,安全技術情報の共有や技術伝承問題への取り組み,事故事例データベースの構築などに関する研究が盛んに行われるようになりました.安全工学協会でも昨年11月に情報安全研究委員会が設立され,(1)情報利用危険予知技術の確立,(2)熟練技術者の危険予知能力の収集と外部監視系への適用などをテーマとし,今後議論が進められていく予定です.今回の調査事故にも関連していますが,事故はちょっとしたミス(勘違い)や無知(知らなかった)から発生しています.「昨日までは何も問題なかったのに・・・」というような過信が事故に結び付いた例も数多くありますし,危険であることを知らなかったために予防することを考えていなかったという問題もあります.確かに事故は偶然が重なり合って初めて(ある意味,運が悪く)発生しますが,その偶然の確率を小さくするためには,決められたことだけを決められた通りに実行するのではなく,一つ一つの作業(行動)の理由(意味)を考え,Know-how(どうやるか)とKnow-why(なぜやるか)を理解した上で,確実に実行することが要求されます.あらかじめ予測できてしまうような過去に経験した同じ種類の事故を繰り返し発生させないためにも,安全に関する情報(知見と技術)や事故事例情報を共有し,事故発生の原因追及のためだけでなく再発防止にも役に立つような環境作りを考えていく必要があると思います.

第83号 仕組みと運用

小川輝繁 <横浜国立大学>
現在,我が国に事業所の安全対策をみると,重大な事故に発展する可能性のあるものについてはハード対策にコストをかけて,重大災害にならないようにする努力がなされている。
しかし,当然ながらハード対策だけでは事故防止を達成するのは現実的ではなく,ソフト対策を適切に組み合わせて安全対策を実施しているが,事故はなくならないので,各企業や事業所はソフト対策を如何に実施すべきかで腐心しておられるように見受けられる。

最近では,ISO取得や認定事業所のように,安全を担保するための仕組み作りが我が国にも定着しつつある。この仕組みはハード,ソフト両面から構築されるが,その運用が適切に行われないことによって事故が発生している。仕組みと運用については,そのバランス,整合性,持続性が重要である。立派な仕組みができると,それだけで安心して運用面に目が届かなかったり,せっかく立派な仕組みがあってもこれを運用する人が仕組みの本質や構造をよく理解しないために適切な運用ができなかったり,長い間に仕組みが変質することによって運用と整合性が悪くなったり,あるいは仕組みを運用する人の世代交代のときの伝承が悪いなどのために事故が発生している。

今後とも,安全の担保の仕組み作りが重要視されるようになると考えられるので,その運用面の配慮を怠らないようにすることが重要と考える。

第82号

飯塚義明 <㈱三菱化学科学技術研究センター フェロー>
阪神・淡路大震災からもうすぐ10年を経過しようとしている。高速道路,ビルの倒壊など近代都市部地震災害の衝撃的な様相をテレビ画面から見たのがほんの昨日のようである。   


5年前から娘夫婦が神戸に移り住み,これまで縁のなかった三宮市内や神戸埠頭に何度か足を運ぶ機会があった。テレビ画面で見た震災直後の惨状は,5年前には殆んど目にすることが無くなりつつあった。人工物の立ち上がりの早さに感心している。

昨年末起こった,新潟地震による山間部の崩壊,インドネシア・スマトラ島沖の巨大地震・津波は,多くの人命が失われた同時に,自然そのものが破壊されており,元へ戻すことは不可能なように思われ,心が痛む昨今である。