セーフティー・はーと

2008年9月の記事一覧

第123号 残留リスクと危機管理

大谷 英雄 <横浜国立大学大学院環境情報研究院> 2008年9月19日掲載
まだ私自身の理解が混乱している面もあると思うが、以下は頭を整理する意味で書いてみたものである。
残留リスクとは、リスクアセスメントの結果として予想された好ましくないリスクを低減した後に残るリスクのことであり、リスクマネジメントにおいては、残留リスクが受容限度内であることが求められる。費用対効果を考慮して受忍限度内で低減対策を終了することもあるかも知れないが、これも含めて、ここでは受容限度と表現している。残留リスクが正確に見積もられていないならば、これが受容あるいは受忍限度内であるかどうかの判断はできない。したがって、残留リスクが正確に求められていることが必須である。

はたして残留リスクを正確に求めることは可能だろうか?リスクとは我々を取り巻く環境が複雑系であり、すべての要素の因果関係を正確に見積もることが困難であるので、我々がコントロールできる要素、および認知可能な要素に変動が生じるために生じるものである。つまり、リスクとは因果関係を正確に見積もることが困難であるために生じる概念であり、未知の要因・因果関係が残っている可能性を忘れてはならない。たとえば、化学プラントで言えば、いつ配管に穴が開くかが分かれば、その前に配管を取り換えればいいので、配管内の流体が漏えいするリスクは存在しない。しかしながら、配管を取り巻く状況により腐食の進行度合いは異なり、いつ穴が開くかという時期に変動が生じるためリスクが発生する。この他にも、隣接地域での工事等に使用する重機が接触する、大雪で高所に降り積もった雪の塊が落下する等により配管が折れ曲がり、破断して漏えいするという事故も実際に発生しており、このようなハザード要因も現実には存在している。これらを本当に正確に予想できるのだろうか?

リスクアセスメントは未来予測であり、我々が未来に起こり得ることをすべて予測できるのでない限りは、必ず予測できていないハザード要因があるはずであり、残留リスクを正確に見積もることは不可能である。それでは、リスクマネジメントは不可能なのであろうか?リスクアセスメントは、実施者の知識内でしか行えないものであるから、実施者一人一人ができるだけ多くの知識を蓄え、アセスメント実施の際に活用できるようにするとともに、いろいろな知識を持った複数の実施者で行うことが望ましい。こういう努力を払った上でも予測困難なハザード要因が残っていることを想定しておく必要がある。残留リスクは正確に見積もれないかもしれないが、合理的に説明できることについては、できるだけ広範囲に検討し、予測範囲内では正確に残留リスクを算出する。その残留リスクが受容限度内であれば、合理的なリスクマネジメントはできていると考えるべきであろう。

予測できていないハザード要因に対しては、それの発現確率を下げるような直接的な対策は困難である。安全文化の構築のような間接的な対策で、ある程度は下げることが可能かも知れない。つまり、このようなハザード要因は通常のリスクマネジメントの対象にはならないことから、これへの対処は危機管理の範疇となる。予測できていないのであるから、予め対応策を検討しておくことはできず、ハザードが現出してからそれへの対応を図る必要がある。なお、危機管理とリスクマネジメントを同じように使っている人もあるが、リスクマネジメントは予測が可能なことを前提としており、予測が可能な範囲では危機に陥らないようにマネジメントすべきである。

ここのところ食品の偽装に関して危機管理という言葉が使われるが、偽装が発覚した場合に企業の存続が脅かされるような事態になることは容易に予測が可能である。また、偽装の事実を永久に隠匿できないことも予測の範囲内のことである。したがって、このような事例はリスクマネジメントができていなかったと見るべきで、リスクマネジメントに多大な努力をしている企業の危機管理と同列に論じるべきではない。