セーフティー・はーと

セーフティー・はーと

第101号 水俣病50年に思う

伏脇裕一
今年は,公害の原点とされる水俣病を行政が公式に確認してから,5月1日で50年の節目を迎えました。
思えば,私が学生であった1970年代頃,水俣病に関心を覚え,その原因を究明する過程で,メチル水銀の分析法,食物連鎖,生物濃縮,難分解性化学物質の胎児への移行等多くの貴重な知見を学ぶことが出来ました。公害・環境に関する調査研究の職を求めたのも水俣病問題がその根底にありました。また,この頃チッソ株式会社の一株運動も盛んになり,患者さんは厚生省(当時)やチッソ本社などへの抗議のために座り込みやビラまきを繰り返し行ってきました。これら一連の運動の成果として2004年10月に,最高裁判所は水俣病の被害拡大防止を怠った国と熊本県に対し法的責任を認めた判決を言い渡しました。水俣病の発生から約50年をへて確定したこの判決の意義は大きく,水俣病患者さん達の運動の賜と思われました。患者の高齢化,胎児性患者の将来への不安など解決しなければならない重要な課題が山積しておりますので,国は病気で苦しんでいる原告らに対し医療救済や保障などの必要な施策を早急に取り組むことが必要になってきております。さらに,まだ取り除かれていないヘドロの一部は海に残されております。不知火海域の環境調査も引き続き国の責任で取り組んで頂きたいと思います。

50年を迎える節目の年に,再び水俣病のような惨禍が世界で繰り返されないように,水俣病問題を様々な角度からもう一度見つめ直すことが求められております。

第100号

土橋 律 <東京大学>
2006年新年最初のセーフティー・はーとです。読者の皆様には,本年もよろしくお願いいたします。
建築物の耐震強度偽装が昨年末から大きな問題となっています。これは,安全神話の崩壊にかかわる問題として報道され,安全の関係者には気になる事件ではなかったでしょうか。この事件は多くの問題を含んでおりますが,私なりに感じた点を述べさせていただきます。

まずは,安全に関わるしくみは基本的に善意のシステムであるということです。我が国では,様々な安全の研究や技術の蓄積の上に技術基準や法規を作成し安全を担保するしくみを構築してきたわけですが,ここでは,基準や法規の遵守や確認・認証は善意のもとに適切に実行されるものと想定しており,悪意で計算書を偽装するということを厳しく抑止するシステムにはなっていなかったわけです。建築物に限らず,安全の担保では通常,善意を前提としてシステムを作成しており,今回のような悪意の偽装をも考慮した,安全・安心を確保するシステムについては十分に検討されておらず,今後の課題となると思います。

今回は,建築確認を民間の確認検査機関がおこなっていたことも話題となりました。小さな政府の実現には,このような民間への業務委譲が必要ですが,偽装の代償が建築士や民間検査機関で償える範囲をはるかに上回っている以上,何らかの安全担保の制度が必要ではないでしょうか。

今回の耐震強度偽装建築物のいくつかには,行政から使用禁止命令が出ました。居住者の安全確保のための命令と思っている方もいるかもしれませんが,これはあくまで違法建築物に対する命令です。1981年の建築基準法改正以前の建築物には,今回使用禁止命令が出た建築物と同程度かそれ以下の耐震強度のものが多数存在していると考えられます。居住者の安全確保が目的なら,これらの建築物にも使用禁止命令を出すべきですが,これらは違法建築物ではないため(現在の法規には合わないので既存不適格と呼ばれる)行政がそのような命令を出さないわけです。地震時の安全を考える上では,こちらの問題も忘れてはならないものです。

第99号

田中 亨
ここしばらく,石油・化学産業では,全国紙の紙面に載るような大きな事故も無く,平穏な状態が続いております。皆様の努力の成果と言えましょう。
隣国中国では,11月13日,吉林省の石化プラントが爆発事故を起し,5名死亡,1名行方不明,約60名が負傷,さらに有毒物質(ベンゼン,ニトロベンゼンと報道されています。) 約百トンが松花江に流れ込み,前後80kmにおよぶ汚染水が下流のアムール川を経て,日本海,オホーツク海に向かっていると報道されています。この事故は,1986年に起こったスイス・バーゼルでの化学品倉庫火災事故を思い起こさせます。消火のための放水で,ライン川に流入した毒物は,バーゼル下流の独仏国境,独国内,オランダの各流域を汚染し,ロッテルダムから北海に流れ込み大きな国際問題を引き起こしました。今回,毒物が流入した松花江の下流はアムール川です。アムール川はロシア国内を流れ,河口は間宮海峡です。すでに,中国とロシア間では対応に関する協議がなされているとの報道がありますが,日本海,オホーツク海に出た場合,北海道他への影響が懸念されます。

国内には,国境を越える川はありませんが,大規模漏洩・流出事故が発生した場合,沿岸海浜汚染が引き起こされます。すでに,漏洩・流出事故対策はなされているでしょうが,この種の報道を対応策の確認・点検の切っ掛けとするのも実務でしょう。

なお,昨日12月11日には英国・ロンドンの北西約40kmに位置するヘメルへムステッドの石油貯蔵施設で爆発事故があり,燃料タンク20基が炎上(43名負傷,内2名重症)中とのことです。いずれも事故状況の報道のみで,原因などに関する記事は,まだ,見当たりません。今後の原因究明結果が公表され,プラント災害防止に役立てられることが期待されます。 今年も,残り3週間。ご安全に!

第98号 ものには限度が...

西 晴樹 < (独) 消防研究所>
以前,危険物保安に非常に尽力されている神戸市の化学会社の会長の方と話をする機会があったのですが,その中で「最近は,日本に名立たる企業で頻繁に火災事故が起きていますが,その理由はどのようにお考えでしょうか」という質問を率直にぶつけてみました。
回答はごく簡単なもので「本当に痛い目に遭ってないんでしょうな。」ということでした。阪神・淡路大震災で大打撃を受けた神戸市長田区にご自身の会社もあり,当時は大変苦労されたとのことですので,「痛い目に遭ってない」というお答えを聞いて非常に考えさせられました。

最近,失敗学や失敗知識データベースというものを耳にします。人は他人の成功談を聞くよりも失敗談を聞く方が興味がわくもので,他人がした失敗と同じ失敗をしないような行動を取るようになることが期待されているのだと思います。しかし,体験者の痛みが分からずに字面だけの解釈で終わってしまえば,失敗の知識が本当に身に付くことはなく,結局は本人が痛い目に遭うことになってしまうのではないでしょうか。

「失敗」や「痛み」を実際に体験させる施設もあると聞きますが,これとて,体験する側の心もち一つで,その効果は千差万別でしょうし,体験できる「失敗」や「痛み」には限界があるでしょう。ほどほどに失敗するというのは難しいものです。

あまり自慢できることではないのですが,私が仕事で使っているヘルメットは傷だらけです。現場では狭いところに,よく入るのですが,その時にヘルメットをよく擦ります。ヘルメットをかぶらずに頭をぶつけたことのある人には,ヘルメットの有り難みはよく分かると思います。頭をぶつけたことが無い人が,その痛みを感じ取るためには,たくましい想像力と鋭い感性が必要です。

そういう意味では,抽象化された失敗の知識を読むだけではなく,失敗した者から”なま”の失敗談を聞く方が,聞き手の感性に与える刺激は大きそうです。失敗談伝承のための語り部のような存在があってもいいのではないでしょうか。話を聞くだけで,本当に「痛い目」にあったような気分にさせてくれれば,言うこと無しなのですが。

第97号 制度体制か,はたまた価値観か

高野研一 < (財) 電力中央研究所>
1999年以降,企業の不祥事や事故が相次いでいる。事故の形態や起こった業界によって原因や経緯は様々であるが,スケジュール優先,過去に学んでいない,潜在リスク軽視等の共通点も見られる。
このような企業の中には,不幸にして業務を再開できない企業,企業規模の縮小を迫られたところもある。存続した企業は例外なく,未然防止のための体制や規程などを整えつつある。

しかしながら,体制や規則などの仕組みが思惑通り機能するかというとそうでもない。 
例えば,リコール隠しを犯した企業は当初,専門家でも非の打ち所のない倫理コンプライアンス体制を構築したといわれているが,その後,繰り返しこの問題が発覚し,最終決着らしきものを見たのはごく最近である。 
したがって,日本人は体制や仕組みに多くを期待しがちであるが(ISO認証企業は我が国が最多であることなど),このような仕組みの実効性を確保するには,人・組織など人間側への配慮が不可欠である。

すなわち,どんな小さなリスク,たとえ,それが自分にとって都合が悪い情報であってもそれらを共有できる文化を根底にもち,そのリスク情報への対応を客観視して公平に決断できるような,組織としての価値観共有がなければ,どんなに立派な仕組みも機能しないことを教えてくれた。事例は常に最高の教師である。

第96号 リスクとは?

大谷英雄 <横浜国立大学>
JIS Q 2001によれば,リスクとは「事態の確からしさとその結果の組合せ,又は事態の発生確率とその結果の組合せ」となっている。
安全工学の分野では,この定義の後半部分を使うことが多いと考えられるが,生態系,金融,経営といった事態の発生確率を推定することが困難な分野では前半部の定義が使われるようである。確からしさというのを無理やりに数字で表してしまえば発生確率と同じになってしまうのであろうが,数字で表さないことを良しとする考え方もあるようで,あくまでも確からしさという表現となっている。発生確率を推定する根拠あるいは手がかりすらないということであろうか。

しかし,もともとのリスクの語源は「絶壁の間を敢えて船で通り抜ける」というものであり,ジーニアス英和辞典には「みずから覚悟して冒す危険」という訳が載っている。すなわち,リスクとは自分が主体的に立ち向かうことのできるものというニュアンスがある。それに対して我々,安全工学に携わる者が普段扱っているリスクはどうであろうか。確かに産業分野におけるリスクを事業者が評価する場合には,みずから覚悟してリスクを冒していると言ってよいと思うが,それを周辺住民や,あるいは行政から見たらどうだろうか。行政にとっては,税収などのメリットもあるのだからみずから覚悟してリスクを冒しているのかもしれない。しかしながら,周辺住民にとっては,みずから覚悟してる人がどれだけいるだろうか。

昨今はRCやCSRといた,周辺住民などとのコミュニケーションを重視しなければならない経営環境となってきている。事業者が周辺住民といわゆるリスクコミュニケーションを行う場合には,周辺住民に「みずから覚悟して」と思わせる,何らかのインセンティブが必要なのではないだろうか。

第95号 真夏のできごと

上野信吾 <(株)三菱総合研究所>
関西電力・美浜発電所3号機で二次系配管破損による蒸気漏れ事故が起こったのは,1年前のお盆休みの直前であった。
この事故により,関西電力の協力会社従業員5名の尊い命が失われるとともに,関西電力への信頼,原子力への信頼も大きく揺らぐこととなった。事故から1年を迎えて,関西電力は安全に対する社長の宣言と5つの行動基本方針を掲げ,安全の誓いをホームページに掲載した。この中で事故の直接的な原因の背景に,「安全を最優先するという意識が私たちの中に十分浸透していなかったこと」をあげ,反省を表明している。

最近,JR西日本福知山線の脱線転覆事故,相次ぐ日本航空のトラブル(奇しくもJAL123便事故の20年目の翌日にJAL子会社のエンジン部品落下事故が発生)など,いわゆる名門大企業で国民の不安を煽る安全上の事案が多発している。事故やトラブルの直接的な原因は機械の故障であったり,人的ミスであったり様々であるが,こうしたハザードが顕在化しないように整えられている筈の仕組みやシステムが「機能しなかった」結果,事故やトラブルとして露呈してしまったケースが多い。「機能しなかった」要因には企業組織の問題(例えば,無理な作業要求や作業手順,職場内コミュニケーション,教育・訓練など)が指摘され,その背景には企業組織の安全意識・風土,安全文化の問題があったとされる,安全の専門家の間で「組織事象」と呼ばれる事案であることも少なくない。

安全文化はチェルノブイリ原子力発電所の事故後に国際原子力機関(IAEA)が提示した概念であり,その詳細については他の記事や文書に譲るが,企業経営に密接に係わる組織風土や文化(安全に対するものも含む)の問題は従来直接的にも間接的にも規制を受けるべきものではないと考えられてきた。しかしながら,先にあげた事例の他にも目に余る事故や不正,事件に対して社会が不安を覚えることを見過ごすことはできず,様々な産業分野で国は安全に係わる規制を強化する動きに出ている。

少子高齢化,産業・経済のグローバル化,情報化など社会環境が大きく変わりつつある中,企業も変革を余儀なくされている。変革することは容易ではないが,これまで信じてきた価値の延長を追及するばかりでなく,新たな価値を標榜し,従業員の意識を揃え,組織やシステムを見直すとともに,それらが企業の中身である人や組織に歪が生じることのないようにする,慎重かつ大胆な対応が安全を担保する上で必要なのだと思う。真夏に,蝉が土中の世界の幼虫から空中の成虫へ脱皮するように。

第94号 スペースシャトルの打ち上げ成功

板垣晴彦 <(独)産業安全研究所>
約2年半ぶりにスペースシャトルが打ち上げられた。予定通りであり順調に進んでいるとのこと,再開までの困難を乗り越えた関係者の成功をまずは祝したい。
前回のコロンビアの爆発事故では,当然さまざまな批判や意見が述べられたが,今回も先日の打ち上げ直前の延期問題が生じ,マスコミ記事は絶え間なかった。

7月13日の延期の原因は,4つある外部燃料タンクの液体水素残量センサーのうちの1つが燃料が枯渇しているのに燃料があるという誤作動を起こしたからだ。打ち上げを延期し,常温での試験・調査を行い,ある程度の絞り込みはできたそうだが,結局,原因が特定されなかった。特定するには測定相手の極低温の液体水素を実際に充填してみる方法が有効だが,タンクの巨大さ,日程の問題から実験が非常に困難であり,実施されなかった。 
そして,従来の飛行許可条件を緩和して,試験をしながらのぶっつけ本番とも言える今回の打ち上げに至った。このNASAの姿勢には批判も多く,「安全対策が不十分」とする報告書もある。しかし,NASAは「何重もの安全策を講じてある。ロケットという先端技術ですべて100%安全などあり得ない。そのリスクが許容範囲かどうかが問題だ」と説明する。

シャトルの部品数は250万以上という。開発初期の技術であれば,「想定していなかった要因」による事故がしばしば起こる。「想定」がなけば,リスクを見つけることも評価することもほとんど不可能。だから,少なくともわかっているリスクについては,万全を期す。「同じ失敗は二度と繰り返さない」ということが必須なのだ。 
ところが,時を経て,さまざまな失敗・事故を体験すると状況は変わってくる。失敗・事故の発生するのかどうかだけでなく,それによる悪影響はどの程度か?影響する範囲はどこまでか?を考える。そして,その悪影響の程度と範囲をできる限り抑え込もうとする。未然に防ぐことが最大の安全策ではあるのだが,システムが巨大になればなるほど,確実な実行がますます困難になる。 
一方,巨額の開発費をつぎ込む国家プロジェクト級の技術開発では,できる限り計画に沿って結果を出していかねばならず,原因の究明にばかりに時間を割くわけにもいかない。

冒険・挑戦とは「危険・未知」に立ち向かうこと,「安全」とは相反するのではないか。コロンビアの時に問題になった耐熱タイルが今回もごく一部らしいがはがれたようだ。今,実機で命をかけて実証実験をしている挑戦者たちに拍手を贈りたい。

第93号 システムの安全設計

天野 <出光興産>
安全の職務に携わる者として,決していい話題ではありませんが,最近,新聞紙上で産業事故等が大きく取り上げられています。
過去,昭和48年から50年頃に化学プラントで事故が多発し,社会問題として騒がれ,安全に対する社会の関心を呼んだ時期がありました。それを契機に企業の安全の取り組みが一段と加速され,安全と名のつく講習会が繁盛していたのを思い出します。

昭和50年頃から見れば現代の方がハード面,ソフト面での安全性は格段に向上しています。安全性が向上し,現場で働く一人ひとりが一生懸命,安全を確保するため,力を入れて安全活動を行っている現状から,現在も50年頃と同じように事故が続くのは,不思議でなりません。今までの安全に対する取り組みに何か忘れたものがあるのではないかと思っています。

話しは変わりますが,「安全対策をいくらとっても事故のリスクは変わらない」(ジェラルド・ワイルド)という,あまりうれしくない奇妙な説があります。データ的には否定されていますが,ひょっとしたら,現場を取り巻く安全体制が整備され,その機能が強化され,現場での教育もシステマティックに行われ,いろいろなところで安全の配慮がなされた結果として,危険を意識して仕事を行うということに変化が現れて来た兆しではないでしょうか。

安全な環境に置かれると,あえて心の中に不安や危機意識を呼び込み,緊張状態を作り出すようなことはせず,危険に対する意識がどうしても薄れて来るのではないでしょうか。フェーズの理論にもあるように,人の意識レベルは0からⅣまでの間を揺らいでいます。このような前提から安全対策を考えた場合,重大事故に繋がる部分については,ハードによって事故が回避されるようなシステム設計が必要不可欠と考えます。今後,このような観点からシステムの安全設計についての議論が多くなされてくると思っています。

第92号 安全のゴールはあるのか?

岡田 <三井化学分析センター>
先日,会社主催の九十九里浜 約70kmを歩く(走ってもよい)という行事に参加しました。 
参加したのは,今回で3回目です。1回目は,新入社員の時,2回目は,2年前,です。 残念ながら,過去2回は,天候や体調不良で70km完歩できずに悔しい思いをしていました。 今度こそは70km踏破しようと朝4時から延々と歩き始めました。
歩く間には様々な葛藤と戦いました。もうやめよう。もう少し頑張ろう。今度頑張ればいいじゃないかなど。 
歩きながら,ふと安全について考えました。安全にゴールというものは存在するのか? 安全に関しては,これで良い(完璧)ということはないのではないか。 
ここまで実施したという中間地点は存在するもののゴールなんて無いのでは?安全に関しては作業自体をやめてしまうことがゴールなのか? 
かといって,何もしなければ進歩はないし,ベネフィットも得られない。 
安全活動をしなければ運を天に任せるだけではないのか? 一歩一歩確実に,今より安全に,が積み重なって見えないゴールに向かっていかなければベネフィットが得られないではないかと思います。

70kmのゴールは,今年も見ることができませんでした。ゴールはあるのでしょうか?

※ちなみに70kmのゴールは存在して5時間半で走りきった人もいます。

第91号 モスクワの大規模停電について思うこと

今泉博之 <独立行政法人 産業技術総合研究所>
都市が大規模災害に見舞われたら・・・。“現代社会の脆弱性”が叫ばれて久しいが,それを如実に示す出来事がモスクワで発生した。
現地時間5月25日昼前,モスクワ市内の南部及びその周辺の州を含めた広域で,大規模な停電が発生した。報道によると,停電の原因は設置後40年程度が経過し老朽化した変電所で発生した火災であり,急増する電力需要に変電設備が対応し切れなかったことが背景にあるという(別の要因も報道されているようであるが)。モスクワでは,地下鉄,トロリーバス,郊外電車などの交通機関がストップ,水道が止まったり,電話がかからなくなったりするなど,1000万人以上の生活に影響を及ぼした。停電からの復旧には2日程度を要した模様で,その影響は市民生活に止まらず経済活動にも波及した。

我々の日常生活を振り返ると,電気は生活を支える最も重要なエネルギーの形であり,近年その重要度は増大する傾向にあると思われる。“オール電化の家”というTVコマーシャルが頻繁に流れるご時世である。日本では“空気や水はただ”という意識が強いということを度々耳にする。電気をただとは言わないが,意識の中ではそれに近い存在になりつつあるように思われる。つまり,コンセントにプラグを差し込むと電気が供給されることを当たり前と思っている節はないだろうか。社会生活の利便性が非常に高くなっている今日,大部分のものが簡単に手に入るという意識が知らぬうちに根付いてしまったのかも知れない。まさに,突発的な災害の餌食ではないだろうか。

災害はいつ発生するか分からない。そのため,規模の大小を問わず,被害を最小限に止めるためのバックアップ体制が重要となる。“公”は被害の想定(シナリオ)を行い,対策(備え)を検討する。その際,どの程度の被害を想定するかが難しい。過大な想定はそれに要する経費が莫大となり実現性に欠ける。過小な想定では心許ない。想定外のことも度々起こりえるであろう。やはり“公”で対応できる範囲は自ずと限界があり,“私(個人)”の対応が欠かせない。

恥ずかしながら,筆者の災害に対する備えは危うい。先日発生した福岡西方沖地震の直後,親族が住む福岡市内へ電話連絡がつかず右往左往した。この類の報道は再三耳にしているにも係らず,自身に問題が降りかからないと,どうしても真剣に考えられない。反省しきりである。個の意識を高め,社会全体の災害に対する備えを底上げできるような妙案はないものであろうか。

現代社会の“安全・安心”は,それを構成する多種多様な要素が複雑に絡み合う上に微妙なバランスを保って構築されている。昨今,社会の“安全・安心”が激しく揺らいでいる。今回のモスクワでの停電は,日本と状況は異なるものの,改めて安全・安心の確保の難しさを突きつけた出来事と言えるのではないだろうか。日本では“災害に強い社会の構築”が提唱されている。その鍵の一つは個の意識ではないだろうか。

第90号 自然災害と危機管理

安田憲二 <岡山大学>
昨年から今年の初めにかけて,台風や地震などの自然災害が荒れ狂いました。人為的な災害と異なり,自然災害を無くすことはできませんが,災害が生じた後の危機管理の重要性は人為的な災害と同じです。
これは,人命救助の世界だけではなく,廃棄物の処理・処分に関しても同じです。災害の際には大量の廃棄物が生じますし,日本の気候風土からすると,衛生上の問題から迅速にこれら廃棄物を処理する必要があります。

これまで,自然災害に対する廃棄物関連の危機管理としては,地震を想定したものが多く,私の前職場である神奈川県でも市町村の間で地震災害に対応した廃棄物のマニュアルが作成されていました。10年前の1月17日に発生した阪神・淡路大震災において廃棄物処理が比較的順調に行われたのは,これらの経験が生かされたことも一助になったのではないでしょうか。

同じ自然災害でも,台風では被害の内容が地震と大きく異なります。台風が原因となって廃棄物処理に深刻な影響を与えたのは,2000年に東海地方をおそった台風14・15・17号による大雨でした。特に名古屋市は日降水量428mmの記録的な豪雨で,通過後に水をかぶった大量の廃棄物が残されました。それまで水害を想定した危機管理は行われていませんでしたので,焼却もままならない廃棄物が長期間放置され,社会問題にもなりました。名古屋市と同じことが,私が現在住んでいる岡山県でも起きました。岡山県は「晴れの国」として良く知られていますが,昨年は観測史上最多の台風が上陸しました。岡山県は瀬戸内海に面しているため,海水面が高く,高潮で簡単に海水が冠水してしまいます。この場合の被害も名古屋市と同様に水をかぶった大量の廃棄物が残されました。残念ながら,このときは名古屋市の経験が十分に生かされなかったようです。今年も台風の上陸は避けられそうにありません。私も微力ながら,水害による危機管理に向けて役に立てればと思っています。

第89号 そして「変更管理」の問題による事故は繰り返される

渕野哲郎 <東京工業大学所> 2005年5月16日掲載
大惨事となったJR西日本福知山線での脱線事故に関して,信じられない「新事実」が,事故後一ヶ月近くたつ今も,頻繁に報道されています。
運転手の異常な行動や,組織風土の問題はさておき,「過密スケジュールでの遅れを取り戻すために,日常的に行われていた速度オーバー」,「物理的な路線と運行計画間の整合性を無視して,現場の都合で勝手に変更された運行方法」・・・何処かで聞いたことのある話しではありませんか?そうです,JCOの臨界事故です。「プロセス,操作手順,現象の間の整合性を無視して,時間短縮のためにプロセスおよび操作手順を,現場で勝手に変更したがゆえに起きた事故」・・・,「変更管理」の問題による惨事と言っても過言ではありません。では現場では不整合を認識していたのでしょうか?一字一句は覚えていませんが,JR西日本の技術責任者が「物理的なカーブの設計スピードは,現在調査中です。」と答えていたと記憶しています。えっ?そんなこと,この情報化社会で調査することか?「何時迄,ローテクとするのか,安全管理」字余り。

第88号 大規模事故の続発に思う

藤田哲男 <東燃化学(株)>
一昨年,製造業等での大規模事故が続発したのに伴って,関係省庁を中心として種々の対策が講じられて来たことは,記憶に新しいと思いますが,この所,自然災害を含めて内外でまた大規模事故が後を絶たない状況にあるようです。
4月25日には,JR宝塚(福知山)線で電車脱線事故が発生し,多くの死傷者が出ましたことは誠に痛ましいことです。実は,私は今回のセーフティー・はーとの執筆に当って,同業に近い石油精製分野で,3月23日に米国BP Texas City Refineryで発生した爆発火災事故に関連して,原因はまだ十分に解明されてはいないものの,事故は忘れかけている時に起り易いものだと言うこと,また原因は意外に単純で,且つ通常運転ではなく非定常作業の段階で起り得るものではないかと書いてみようと考えていた所でした。このJRの事故では,事故原因についてこれから詳細に調査が行われますので,予断は許さないものの,カーブでの減速という変更作業に対するリスクアセスメントの不備ないしは定時運行を優先するに安全に対する配慮が二の次になった可能性も考えられます。BPの事故の場合,定修後の変更管理に対するフォローアップシステムの問題ないしは手順の遵守のあり方に問題があるように見えますし,加えて死傷者を多く出した要因として仮設小屋の管理体制の問題も考えられます。何やら,まとまりのつかないことになりましたが,要するに,非定常作業に係るリスクアセスメントの徹底と変更管理の手順の明確化・遵守について周知することの必要性が改めて問い直されていると考えました。「安全第一」“Safety First”---極めて単純な表現ではありますが,意味の重い言葉だと改めて思い直している今日この頃です。

第87号 F君の思い出

西 茂太郎
33年前の冬,私は有為な後輩F君を事故で失いました。極く身近な同僚を失ったのは後にも先にも彼だけです。「今度の土曜,日曜は夜勤明けの連休ですので,故郷の宮崎からフィアンセが遊びに来ます。
西さんの家へ連れて行って良いですか」,「もちろん良いよ」という会話を交わしたあくる日の出来事でした。ある圧力機器が破裂し,爆風で飛ばされてしまったのでした。その圧力機器には安全設備がきちんと装備してありませんでした。この事故を教訓に徹底した事故原因の究明がなされ再発防止の対応が取られました。設計基準にまで反映されました。良く「今ある基準は尊い人命と引き替えに定められたものでゆめゆめおろそかにしてはならない」と言われます。まさにこのことを自ら体験している訳です。あの日,F君が病院へ運ばれていく途中で見た横たわった彼の姿が眼に焼きついています。打ち身で黒ずんだ大腿部が生々しく浮かんできます。このことを契機に安全について真剣に考えるようになりました。NHKの朝ドラ「わかば」を見るたびに思い出します。F君が良く唄っていた「峠越えれば霧島の山の青さが目にしみる・・・・・」の歌声と共に。「西さん,元気にやっていますか,ご安全に!!」彼の声が聞こえます。

第86号 疑問・質問事故事例

中村 順 <科学警察研究所>
先日,全国の県警において火災,爆発事故の現場調査を担当されている科学捜査研究所の技官の方々と事故事例について話し合う機会を持ちました。電気火災,化学火災,爆発事故など多くの事故事例について発表していただき大変参考になりました。
また,既に原因調査結果が報告されている過去の事例について,その事故時の周囲の状況や事故の背景などを教えていただき,そうしたこともあるのだと納得することが多くありました。私共は,事故現場調査に訪れても,時間も限られており,事故の直接的な原因に係わる部分に重きを置かざるを得ませんが,県警の方は,長期にわたって調査を担当されており,後になって判明する事実や,より細かく掘り下げた考察があり,改めて現場でじっくりと調査をされている方との連携が重要だと思いました。

そのなかで,出席者の方から事故原因がうまく究明できたものと,事故原因が特定できないか,あるいはよくわからず,疑問の残った事例,他の県で同様な事例がなかったか質問してみたい事例を分けて発表してはどうかとの意見がありました。さらに,疑問・質問のある事例は,あらかじめ出席者に,その疑問・質問に関する情報を流しておき,それを参加者間でディスカッションするといいのではないかということでした。

最近,失敗事例を生かそうということが言われていますが,事故原因調査に関しても原因究明の出来た成功事例ばかりでなく,疑問の残った事例や,他の人にきいてもらいたい質問事例も取り上げて検討するのも必要だと思いました。

次の会議では,参加者同士で疑問・質問事故事例について,同種事故の調査経験のある人の意見や,どういうことが考えられるか,何を現場で調べたらそれを明らかに出来るかなど大いに議論を深めたいと考えています。

第85号

高木伸夫 <システム安全研究所>
1:29:300というハインリッヒの法則が示すように,大きな事故の背景には300という小さなトラブルが発生しており,小さなトラブルを防止することが大きな事故の防止につながる。
安全工学協会では,石油産業安全基盤整備事業の一環として(財)石油産業活性化センターのもとで石油各社の委員の協力を得て製油所を対象としたヒヤリハット事例を活用するプロジェクトを進めている。なお,対象とするヒヤリハットは滑った・転んだといった行動災害に関するものでなく,危険物質の漏洩や火災・爆発,装置の破損につながる恐れのあるヒヤリハット(いわゆるプロセスヒヤリ)である。どのようなヒヤリハットがどのような装置で発生しているのか,発生要因は何か,何故ヒヤリハットでとどまり事故にまで進展しなかったのかなど,ヒヤリハットに関する情報の体系化をはかり,石油産業における安全基盤の強化に役立てようとするものである。平成16年度は予備調査を行なったが,今後,平成19年度までの3ヵ年で事例収集とヒヤリハット情報処理システムの構築を図る予定である。地道な作業であるがこのシステムが完成し事故の予防に役立てれば幸いであると思っている。

第84号 同じ様な事故を繰り返さないために

島田行恭 <産業安全研究所>
先日,ある工場の爆発事故調査に同行しました.1名死亡7名重軽傷という被災状況でした.現場に入ったのは事故発生の翌日でした.
現場に着く前に入手した情報からは様々な原因が予想され,調査の目的はその推測を確実にするための証拠探しであるかのようにも感じられました.当日は被災された方がまだ手当を受けていらっしゃるということで,事故当時どのような作業が行われていて,何がトリガー(引き金)となって爆発に至ったかは明らかにされませんでした.経験的判断からいくつかの事故シナリオも予想されていますが,今後,被災者の方が元気になられ,お話が聞けるようになれば,事故発生の真の原因が解明されることと思います.

ここ数年,安全技術情報の共有や技術伝承問題への取り組み,事故事例データベースの構築などに関する研究が盛んに行われるようになりました.安全工学協会でも昨年11月に情報安全研究委員会が設立され,(1)情報利用危険予知技術の確立,(2)熟練技術者の危険予知能力の収集と外部監視系への適用などをテーマとし,今後議論が進められていく予定です.今回の調査事故にも関連していますが,事故はちょっとしたミス(勘違い)や無知(知らなかった)から発生しています.「昨日までは何も問題なかったのに・・・」というような過信が事故に結び付いた例も数多くありますし,危険であることを知らなかったために予防することを考えていなかったという問題もあります.確かに事故は偶然が重なり合って初めて(ある意味,運が悪く)発生しますが,その偶然の確率を小さくするためには,決められたことだけを決められた通りに実行するのではなく,一つ一つの作業(行動)の理由(意味)を考え,Know-how(どうやるか)とKnow-why(なぜやるか)を理解した上で,確実に実行することが要求されます.あらかじめ予測できてしまうような過去に経験した同じ種類の事故を繰り返し発生させないためにも,安全に関する情報(知見と技術)や事故事例情報を共有し,事故発生の原因追及のためだけでなく再発防止にも役に立つような環境作りを考えていく必要があると思います.

第83号 仕組みと運用

小川輝繁 <横浜国立大学>
現在,我が国に事業所の安全対策をみると,重大な事故に発展する可能性のあるものについてはハード対策にコストをかけて,重大災害にならないようにする努力がなされている。
しかし,当然ながらハード対策だけでは事故防止を達成するのは現実的ではなく,ソフト対策を適切に組み合わせて安全対策を実施しているが,事故はなくならないので,各企業や事業所はソフト対策を如何に実施すべきかで腐心しておられるように見受けられる。

最近では,ISO取得や認定事業所のように,安全を担保するための仕組み作りが我が国にも定着しつつある。この仕組みはハード,ソフト両面から構築されるが,その運用が適切に行われないことによって事故が発生している。仕組みと運用については,そのバランス,整合性,持続性が重要である。立派な仕組みができると,それだけで安心して運用面に目が届かなかったり,せっかく立派な仕組みがあってもこれを運用する人が仕組みの本質や構造をよく理解しないために適切な運用ができなかったり,長い間に仕組みが変質することによって運用と整合性が悪くなったり,あるいは仕組みを運用する人の世代交代のときの伝承が悪いなどのために事故が発生している。

今後とも,安全の担保の仕組み作りが重要視されるようになると考えられるので,その運用面の配慮を怠らないようにすることが重要と考える。

第82号

飯塚義明 <㈱三菱化学科学技術研究センター フェロー>
阪神・淡路大震災からもうすぐ10年を経過しようとしている。高速道路,ビルの倒壊など近代都市部地震災害の衝撃的な様相をテレビ画面から見たのがほんの昨日のようである。   


5年前から娘夫婦が神戸に移り住み,これまで縁のなかった三宮市内や神戸埠頭に何度か足を運ぶ機会があった。テレビ画面で見た震災直後の惨状は,5年前には殆んど目にすることが無くなりつつあった。人工物の立ち上がりの早さに感心している。

昨年末起こった,新潟地震による山間部の崩壊,インドネシア・スマトラ島沖の巨大地震・津波は,多くの人命が失われた同時に,自然そのものが破壊されており,元へ戻すことは不可能なように思われ,心が痛む昨今である。