セーフティー・はーと
第129号 安全・不安な社会
大久保 元 <株式会社 エックス都市研究所> 2011年1月20日掲載
最近は「安全・安心な社会の確立」とか「安全・安心な社会の構築」とか「安全・安心」というキーフレーズがよく使われているように思いますが、私はやや違和感を覚えます。
最近は「安全・安心な社会の確立」とか「安全・安心な社会の構築」とか「安全・安心」というキーフレーズがよく使われているように思いますが、私はやや違和感を覚えます。
「安全」の部分には全く反対しませんが、「安心」の部分にはおいそれとは賛同しかねます。
安全な状態を担保するためには、社会に棲む人々が日々懐疑的精神を失わず、あらゆる事象を疑い、自らの頭で考えた上で、適切な判断を下すという姿勢が不可欠であると思います。したがって、「安全・安心な社会」と一気に縮めるのではなく、各人が感じる「不安」を端緒とし、懐疑的精神に基づき、十分な思考や行動を重ね、その結果として「安心」を享受するという社会、つまり、縮めるのであれば、敢えて誤解を恐れずに「安全・不安な社会」とでもした方が望ましいのではないかと考えています。