『リスク』という語について
熊崎美枝子 <横浜国立大学 大学院環境情報研究院> 2012年7月9日掲載
国内の政治・経済・経済情勢も先行き不透明で、日々報道される世界情勢も混沌とし将来が読めない昨今では、
不確実性の高い状況を説明する上で『リスク』という語は、大変便利な言葉だと思います。『リスク』とカタカナで書かれていることから、比較的新しい言葉であることが推察されます。オンライン記事データベース(聞蔵Ⅱビジュアル)で調べましたところ朝日新聞の記事中に『リスク』という語が用いられたのが1984年には37件だったのが、徐々に使用頻度が増え、1998年には1166件、2011年には震災の影響もあってか2193件に達しており、近年ではすっかり身近な語として浸透したようです。それだけ新聞記事がリスクという語を用いて、時代の不確実な面を切り取っていると言えるでしょう。
しかし果たして我々は『リスク』という語が表す意味を理解し、共有しているのでしょうか。事実、データベース中には「リスク(危険)」 「危険度(リスク)」と書かれているような記事もあり、『リスク』という語が本来もつ「顕在化する可能性」の要素が抜け落ちていたり、事象や物質・システムがもつ固有の『ハザード』と混同しているケースも見受けられます。このような混同は、安全性を考える議論において問題となってきます。ハザードについて対策しているのか、リスクについて対策しているのか、自ずと対策の内容も異なるはずであり、管理の仕方も変わるので議論している場では参加者が認識を共有する必要があるでしょう。
ヨーロッパ言語のなかにはリスクとハザードの区別がない言語もあるとのことですが日本語話者である我々も改めて『リスク』と『ハザード』について、認識を見直してみる必要があるのではないでしょうか。